46.亡命
その日の真夜中に、シアードとバートは少ない荷物を持ち、カリナーンを出ようとする。
この国の第一王子と大臣が一夜にして姿を消したとなると、皆、城をひっくり返したように探すだろう。
だが、そんなことはどうでもいい。
今まで積み上げてきた信頼も立場も、自分の宝である王子には変えられない。
バートは、シアードが産まれた時から、彼に一生仕えようと心に決めていた。
大切な王子を、汚らわしい義理母などには殺させはしない。
「坊ちゃま、参りましょう。
少々長旅になりますが、大陸の東の外れに船を用意するよう部下に伝えておりますゆえ。」
「……エルバーは?
エルバーは連れて行かないのか?」
マントを羽織ったシアードが、バートに問う。
「エルバーは連れていけません。
このような高貴な白馬がいれば目立ってしまう。
それにエルバーには、来年子供が生まれるでしょう。
親と子を引き離してはなりませぬ……。」
自分がやっていることはどうなんだ、と問いただしたくなるが、シアードの命を守ることが最優先なのだと、バートは心の中で踏ん切りをつけた。
シアードは淋しさを覚えるが、バートの言う事は理解していた。
それに、母は生まれながらにしておらず、父ももう長くはない自分と、大切なエルバーの子が同じ思いをしてしまうのはどうしても避けたかった。
「エルバー……。」
シアードの呼ぶ声に、白馬はいつもと違う声で鳴く。
エルバーはすべて解っているのだろう。
名残惜しむかのように、彼の頬に自分の顔をすり寄せた。
「ごめん……。
僕、お前を連れていけない。
エルバー、子供と幸せにな。
……さよなら。」
シアードは白馬に別れを告げると、バートと共に東へと向かった。
砂漠の夜は冷える。
バートに寄り添うようにして、ただひたすら東を目指して歩いた。
夜が明ける頃、二人は大陸の最も東の地に着いた。
こちらに向かって、若い男が手を振っている。
バートは彼に舟をつけるよう命じたことをシアードに話し、警戒心を解かせた。
そこはかつて船着場として使われていたようで、小舟が一隻用意されていた。
「今頃、城では王子とワシを探しておるはずじゃ。
さあ、追手が来る前に船を出してくれ。」
だが、バートが頼んでも、男は船を一向に出そうとはしない。
男は黙ったまま、歪んだ笑みを浮かべていた。
「ま……まさか、お主も……!?」
「大臣、悪く思うな。
金に困ってたところを、王妃さまが貧民街で拾ってくれてねぇ。
ホント王族って、おめでたい奴らばかりだよ。
ちょっと味方なふりをしとけば、ホイホイ信頼してきてさ。
なぁに、殺しはしねぇ。
ただちょっとアンタらを他国に奴隷として売りさばくだけさ。」
男は、シアードの羽織っているマントを乱暴に掴んだ。
「坊ちゃま!!」
だが、バートの声がした瞬間、男は吹っ飛んでいった。
シアードが振り向くと、そこには夜中に別れを告げたはずのエルバーの姿があった。
白馬は、男の服をくわえてそのまま放り投げたのだ。
「エルバー!」
白馬は興奮していた。
自分の大切な親友を汚い手にかけようとするならば、それ相応の覚悟が必要だということをこの男に教えてやる。
そう言わんばかりの殺気を見せる。
「ひいぃっ!」
白馬は男の顔面をめがけ、蹄鉄のついた固い蹄を振り下ろした。
男は至近距離でそれを交わすと、失禁した。
白馬の怒りが頂点に達したのか、大きく嘶いた後、もう一度前足を上げた。
失禁しながら後ずさりする男を仕留めるため、外さないように狙いを定めていたその時、親友の声がした。
「エルバー!
駄目だ!
人を殺してはいけない!」
シアードの声に、エルバーの動きが止まる。
その隙に男は素早く立ち上がり、白馬の喉元に持っていた短剣を突き刺した。
柄まで刺さったそれを、更に奥へグッと押し込む。
白馬の口から赤い鮮血が零れることで、真っ白な馬体が赤く染まった。
白馬は一歩も後ろに引くことなく、立ったまま男を睨み続けた。
「坊ちゃま、行きなされ!」
男がエルバーに手を取られている隙に、バートはシアードを小舟に乗せ、繋いでいる紐を外した。
「おいじじい!
てめぇ何やってんだよ!」
焦った男がバートを羽交い絞めにした時、バートは右足で思い切り舟を蹴って陸から離した。
シアードのみを乗せた舟はみるみるうちに、波にさらわれて陸から離れていく。
その時、白馬は横から倒れた。
細くもたくましい脚はびくん、びくん、と痙攣し、シアードは白馬のそれ以上の姿は確認出来なかった。
「じいや、エルバー!」
「逃げなされ王子!!
ずっと遠くへ、ユニベルの果てへ!
そして必ず、生き続けるのです!」
男はバートに馬乗りになって顔面に何度も何度も殴り、黙らせようとする。
その間、バートはずっと、王子の身を案ずるかのように名前を呼ぶだけだった。
そして、バートは男が背を向けた瞬間に、短剣で左胸を突き刺した。
自分の手が、初めて人間の血で染まった。
真っ赤に染められた手は、まるでカリナーンの崩壊を伝えるかのようだった。
「……ワシはその後、城には戻らなかった。
偶然見つけたこのオアシスで暮らしていたら、国に不満を持った城の者や街の者が次々にやってきてのう。
それからこのリジェの集落が出来たんじゃ。
ワシらは必ず、この手でカリナーンを取り戻す。」
強く決心する老いたバートの姿を見て、シアードは今、何を考えているのだろう。
レンジ達はそれが気になったが、あえて聞かなかった。
それよりも、こんなにつらい過去があったのに、彼は今まで一つも口にしたことはなかった。
レンジとセレスは、それに加えて淋しさに胸を締め付けられる。
どうして、今まで話してくれなかったんだろう、と。
「おぉ、そろそろ帰ってくることだと思ったわい。」
ヒヒン、と馬の声が建物の外から聞こえる。
シアードは、聞き覚えがあったのかすぐさま外に確認しに行った。
そこには、見事な白馬がいた。
「エルバー……。」
バートはそっとシアードの隣に行き、微笑みながら話した。
「エルバーの息子、シリウスじゃよ。
無事に産まれてすぐ、母馬と一緒にこの者が連れて来てくれたんじゃ。」
「坊ちゃん、俺のこと覚えてますか?
エルバーの世話をしていた者ですよ!
王妃のやつが第二王子に贈ろうとしてたのを拒んだら、駄馬と共にのたれ死ね、と俺も城を追い出されちゃって。
まっ、いいけどね別に。
こいつも親父に引けを取らない名馬だぜ!」
シリウスと呼ばれる白馬は、父エルバーに引けを取らない美しい馬体だった。




