44.腹違いの弟
シアードは、二歳になろうとしていた。
産まれた時から母のぬくもりを知らずして育ったが、不思議と淋しくはなかった。
王という立場でありながらも、アケルは時間を見つけては息子に構うようにしていた。
そんな父の愛情を注がれて育ったシアードは、心の優しい少年へと育った。
「これこれ坊ちゃま。
危のうございます。
王様も、どうかお止めください。」
「はっはっは。
まぁ良いではないか、大臣。
今のうちから馬に慣れ親しんでおいたほうがよかろう。」
二歳になった白馬の手綱は、王が自ら握った。
その懐に幼い王子を乗せ、中庭で乗馬に勤しんでいる。
その時、とある女性が王の目を引いた。
中庭の通路を静々と通る女性は、二年前に亡くなったリーネにそっくりだったのだ。
「……バート、馬とシアードを頼む!」
「王様!?」
王は馬からひらりと飛び降りると、その女性の元へと駆けて行った。
そして、思わず女性の手首を掴んだ。
「きゃっ!」
「驚かせてすまない。
名を、そなたの名を聞かせてくれないか。」
「……マ、マリーよ。」
女性の顔がみるみるうちに赤くなる。
絹糸のようにしなやかな銀色の髪が揺れる時、女性は王の手を振りほどき、王をその場に残したまま何処かに行ってしまった。
後に判明したことだが、その「マリー」と名乗る女性は、リアンの貧民街出身であった。
だが、王にとってそれは全く関係のない事であった。
愛してやまなかったリーネの生き写しのような姿は、彼にとって王族の血をも越えるものだと思っていた。
やがて、王は自らリアンの貧民街へと足を運ばせ、マリーを迎えに行った。
「前代未聞ですぞ!
王族でもない、ましてや汚らわしい貧民街出身の娘などを娶るとは!
王は一体、何を考えておられるのじゃ!」
バートをはじめ、側近達は王に詰め寄った。
だが、王は玉座に腰かけたまま、家臣を黙らせる。
「口を慎め、見苦しい。
……リーネは、シアードを産む前に私に言ったんだ。
自分がいなくなった時、この子に新しい母親を、とな。
マリーの出で立ちは、まるでリーネそのものだ。
母を知らぬシアードのためにも、彼女こそ新たな妻にふさわしいと私は思っている。
もう一度リーネを思わせてくれるのならば、血筋など必要ない!」
盲目的に語る王の姿を見ると、側近達は何も言えなくなってしまった。
それから、王はマリーを新たな王妃としてカリナーンに迎え入れた。
だが、それを歓迎する者など、城の中には誰一人としていなかった。
王族だの血筋だの、何も知らない国民だけが二人を祝福した。
「シアード王子。
今日から私はあなたの母親になるのよ。」
王妃はおいで、と言わんばかりにシアードの目の前で両手を広げる。
だが、シアードはその姿を見ても寄り付こうとはしない。
少年は、恐ろしかったのだ。
どんなに似ていたとしても、この目の前にいる女性は自分の母親ではない。
それどころか、自分を見据える彼女の目からは、優しさも、暖かさも感じない。
自分の部屋にある肖像画の母は、柔らかい眼差しでこちらを見ている。
「どうされたのです、坊ちゃま。」
シアードは無言で、傍にいたバートに抱き付いた。
そんな王子の姿を見て、これまでマリーに対して盲目的だった王の心に、極々小さなわだかまりが生じる。
マリーが王妃の座についてから一年が過ぎた。
シアードに、三歳年下の弟ができた。
だがあろうことか、弟の髪の色は黒色だった。
マリーは確かに銀髪だったが、根本はかすかに黒みを帯びている。
彼女は、リーネに似せるために自分の髪を銀色に染めていたのだ。
王にそれが分かると、王はマリーと新しく生まれた王子に一切見向きもしなくなった。
王はただひたすら、第一王子であるシアードだけを可愛がった。
義理母の、自分を見る目が冷たい。
シアードは最初は怖がっていたが、日を追うごとに慣れてくるもので、何も感じなくなっていた。
大臣でありながらも、よき理解者でもあるバートが幼いシアードを献身的に支えていた。
シアードにとって、夫婦間や城内の派閥といった、大人の事情など関係なかった。
彼は、シェネルと名付けられた腹違いの弟を可愛がった。
その甲斐あってか、シェネルはシアードを慕っていた。
幼い弟は事あるごとに、兄上、兄上、と後ろをついて回った。
中庭での出来事だった。
父である王や側近、そして王妃が見守る中、シアードとシェネルは落馬してしまった。
馬の嘶きとともに、鈍い音が響いた。
「シアード!」
その様子に、真っ先に駆け寄ってきた王は、シアードの名前しか呼ばなかった。
そして、二人が転げているうち、抱き上げたのはシアードだった。
大臣や側近たちも、シアードの身を案ずるばかりで、シェネルの傍に来たのは、彼の実の母親である王妃ただ一人であった。
二人は近くとも遠くに感じる距離から、アケル親子と、その取り巻きの姿を眺めていた。
痛みが出てきだしたのか、泣き叫ぶ我が子をその手に抱く王妃の目は、黒く、醜い思いを煮えたぎらせていた。
そしてその思いは、やがて一国をも飲み込むのだった。




