203.印の魔法
ヤグティンは、レンジ達にゼロを倒す手段を考えろと言った。
だが、全ての魔力を失った彼らに、成す術など何一つなかった。
自分達が考えている間にも、ヤグティンは身を削って時間を稼いでいる。
ゼロの拳を中心に作られた巨大な黒い輪は、今にも放たれようとしていた。
皆、力を使い果たし、何も出来ない自分の不甲斐なさを呪った。
だが、レンジだけは違った。
紅蓮のバンクルを握りしめ、強く念じた。
「……アレス。
これが最後になってもいい。
炎の力が使えなくなってもいい。
もう一度、俺に力を貸してくれ!!」
レンジの声に、火の精霊アレスの反応はない。
「アレス、頼むよ!!
俺……ユニベルを、皆を……ハープを守りたいんだ!!」
その時、紅蓮のバンクルがレンジの声に反応したかのように輝き出した。
(お前は自分の限界を、とうに超えちまってる。
魔力が空の状態で魔法を使うと、下手すりゃお前自身が死ぬかもしれねぇ。
それでもいいのか?)
「……どのみちこのまま何もしなけりゃ死んじまうだろ。
つうかよ、俺は絶対に死なねぇよ。
こんなところで死んでたまるか。
まだやらなきゃいけねぇ事があるんだよ!!」
レンジの覚悟を感じ取ったアレスは、少年に最後の力を貸した。
少年の体に、深紅の炎が纏われた。
「最後に勝つのは この僕だ……。
───世界の終焉。」
ゼロの究極奥義が放たれる。
拳を開くと巨大な黒い輪が広がると共に、辺りに闇が広がっていく。
「させるかよッ!!」
レンジは全力でゼロの元まで駆け寄り、そして飛び上がった。
「てめぇの好きになんかさせねぇ。
この手で終わらせてみせる!!」
深紅の炎を纏ったレンジは、爆炎を巻きおこして巨大な黒い輪を炎で覆う。
「炎神の煌───!!」
レンジは声を上げながら全ての力を出し尽くす事で、ゼロの魔法を焼き尽くした。
その時、レンジの両腕にはめられた紅蓮のバンクルが音もなく崩れ落ちた。
ゼロの魔法が消滅したと同時に、レンジは飛び上がった勢いそのままに、ゼロに向かって正拳を垂直に下ろす。
「───あばよ。」
ゼロの立っていた場所が大きく窪んだ。
レンジはゼロの腹に向かって、渾身の力で拳を入れた。
紫色の血を口から吐きながら、ゼロはそのまま意識を失った。
衝撃により、砂煙が巻き起こる。
激しく巻き起こったそれは、仲間の視界を奪う。
そして、砂煙が止んだ時、立っていたのはレンジのみであった。
「……レンジっ。」
ハープが真っ先にレンジの元へと駆け寄る。
窪みから上がってきたレンジは、腕を広げて彼女を待つ。
ハープは、勢いよくレンジの胸に飛び込んだ。
全ての力を使い果たした少年は、倒れそうになるのを堪えてハープを抱きとめた。
「やったぜ……。
俺達は勝ったんだ。
印の魔法を使わなくても、俺達はゼロを倒す事が出来たんだ。」
ハープは首を横に振り、目を閉じてレンジの胸に頬を寄せた。
「もういいの……。
あなたが無事で、本当に良かった……。」
抱き合ってお互いが生きていることに喜びを噛みしめている二人を見て、シアード、セレス、ヤグティンは柔らかい笑みを見せた。
ロイドもハープの幸せそうな表情を見て、自然と笑顔がこぼれた。
「帰ろう。」
レンジ達がその場から立ち去ろうとした時、かすかな物音がした。
ばっ、と振り返り、目を向けた者だけがそれに気付いた。
「……女神。
せめてお前だけは……この手で消してやる……!
いいか……最後に勝つのはこの僕だ!」
皆、ゼロを倒したという喜びに浸っていたのだ。
そのため、誰も気づくことが出来なかった。
ただ一人、彼を除いては───。
レンジ達の後ろから、強風が巻き起こる。
「な、何だ!?」
明らかに不自然な風に、寒気とおぞましさを感じたレンジ達は後ろを振り返った。
ゼロの放った赤黒い魔力の球が、ハープとレンジを目掛けて猛スピードで迫って来る。
気付くタイミングが遅かった。
二人が避ける間もなく立ち尽くしている時、二人の目の前にロイドが飛び出した。
「ロイド!?」
ロイドは後ろを振り向くと、レンジに向かってこう口にした。
ハープを 頼むな。
儚く微笑むと、ロイドは真正面からゼロの攻撃を受けてしまう。
ロイドが赤黒い魔力の球に飲み込まれると、黒い炎が巻き上がる。
炎が燃え尽きた時、そこには彼が風の精霊エアロラから授かった武器、風龍の牙が残されていた。
主を失った武器は白い砂と化し、風に飛ばされていった。
「ロイド……あなた……!」
セレスもシアードも、ただ茫然と立ち尽くすだけだった。
「あ、あ……!」
レンジは膝から崩れ落ち、一か所だけ黒く焼け焦げた大地の砂を握りしめた。
「こんなの……あり得ねぇ……。」
握った砂は、彼の指の間から零れ落ちていくだけだった。
何も考えられないままでいると、瀕死のゼロの声が聞こえる。
「女神……は 生きて……いるのか……。
だが……戦う気力もなかろう。」
身動きも取れないゼロは、紫色の血を吐きながらも歪んだ笑みを浮かべていた。
レンジと同様、膝から崩れ落ち目の輝きを失ったハープを見て、ゼロは喜びに浸っている。
その時、全身を引き裂くような高音が全員の耳に聞こえてくる。
音のする方に何とか目をやると、そこにはハープがいた。
彼女を中心に、この得体の知れない音が発せられていた。
やがて、ハープの周辺の砂や岩が舞い上がっていく。
感じた事のない彼女の魔力に、レンジは彼女がやろうとしている事に気付いた。
「やめろハープ!!
やめるんだ!!」
レンジの呼ぶ声も空しく、ハープの悲しみが広がっていく。
我を失ったハープは、涙を拭うことなくあの魔法を口にしてしまう。
決して使わないと誓った、決して使わせないと約束した、忌まわしきあの魔法を───。
天極封印魔法───!!
ハープの体から発せられた暗闇は、瞬く間にゼロの体を飲み込んだ。
ゼロは声を上げる間もなく、白目を向いたまま意識を失った。
そしてハープはレンジ達を残したまま、そのまま地面に力なく倒れ込んだ。
印の魔法を使ってしまったのだ。
「ハー……プ……?」
レンジは、動かないままでいるハープの元まで歩み寄り、彼女を抱き上げた。
「ウソ、だろ……?」
いくら呼んでも、反応がない。
レンジはハープの華奢な手を、優しく、強く握った。
だが、その手が握り返されることは無かった。
レンジは、ロイドが彼女に贈った真珠のブレスレットが千切れているのを見つけた。
辺りに散らばった真珠はまるで、彼女の涙を表すかのようだった。




