02.警戒と感謝の間
目を覚ました時、最初に見えたのは薄暗い布の天井だった。
オレンジ色の光が細く差し込んでいる。
複数の男性の声が遠くに聞こえる。
ゆっくりと瞬きをする。まぶたが重い。
体の中に熱がこもっている。血管そのものが熱を持っているような、不思議な感覚だ。
それがもどかしくて、大きく息を吸って深く長く吐き出す。
しかし、それだけで熱が逃げるはずもない。肺の奥に溜まっていた空気が、ため息のように抜けていくだけだった。
「起きたか」
横から低い声が降ってくる。
首を動かしてそちらを見る。
そこには、金髪の騎士がいた。手を伸ばせば届くほどの距離。
夢ではなかったのか。
彼は簡素な椅子へ腰掛けていた。手にはメモ帳ほどの薄い本。鎧は外していたが、黒い戦装束の上からでも分かるほど体格がいい。
肩に掛かるか掛からないかの長さの金髪は少し乱れていたが、不思議なほどに隙がなかった。
蒼い目が真っ直ぐこちらを見ている。綺麗だな、とぼんやり思った。
騎士は無言のまま本を卓上に置き、そこにあった水差しを手に取った。金属製のコップに水を注いで、差し出してくる。
「飲め」
警戒するべきだとは思った。しかし喉は酷く渇いていて、断る余裕もなかった。
なんとか上体を起こして受け取り、ぐいっと一気にあおる。
冷たい水が喉を落ちていく。ただの水のはずなのに、とても甘く感じられた。
飲み干してから、ようやく、ひと心地が着いた気がした。
「……ありがとうございます」
掠れた声で礼を言うと、騎士は小さく頷いてコップを受け取った。それを卓上に置くと、沈黙が落ちる。
外からは話し声が聞こえてくる。食料がどうとか、荷物がどうとか。それが妙に響いてしまうほど、天幕の中は静かだった。
やがて騎士が口を開く。
「お前は何者だ」
問い詰めるというより、確認する響きに近い。
一瞬答えに詰まり、それからゆっくり唇を開く。
「……宇賀川、ミナトです」
「ウカガワミナト」
騎士が僅かに眉を動かした。発音がぎこちない。慣れない響きなのだろう。
もしかしたらここでは、名前と名字の順番が逆なのかもしれない。そう思い、念のため補足する。
「あの、ミナトが名前です。ウカガワは名字で」
「ミナト」
「はい」
短く答える。
騎士は黙り、ミナトを見ている。視線が、顔から肩に降りて、腕、胴のあたりと巡る。
値踏みされているのか、観察されているのか。いずれにせよ居心地が悪い。
名前を聞かれたわけではなかったのかも、と、今更ながらに考えてしまう。
「その衣服……この国のものではないな」
「服?」
思わず聞き返し、自分の体を見下ろす。していたはずのネクタイがなくなっていて、ワイシャツの首元のボタンが一つ外されていた。ジャケットは身につけたままだ。
騎士は答えなかった。ただ、蒼い目が僅かに細められる。そのまま話題を切り替えるように言った。
「森での出来事を覚えているか」
「え?」
森での出来事と言えば、鱗に覆われた獣に襲われ、彼に助けられたことだ。
騎士が魔法を使ったこと。頭の中に大量の文字列が流れ込んできたこと。ひどい頭痛と吐き気に襲われ、最後には気を失ったこと。
覚えてはいるが、何と答えればいいか迷う。そんな出来事の説明を求められているとは思えない。
「森で、お前は私の魔法に干渉したな」
一気に空気が変わった。ピリッと張り詰める緊張感。
「干渉……?」
「あの時、術式構造が変化した。もはや別の魔法になったと言えるほどに」
騎士はそこで言葉を切った。
油断なくこちらの表情を観察しているのが分かる。どのように反応するか確かめられているようだ。
「何をした」
逃げ道を塞ぐような、責める声だった。
ミナトは困惑し、眉間に皺を寄せる。
何をしたかと問われても、自分でも分からない。そもそも、魔法というものが何なのかすら分からない。そんな自分が、どうやって干渉したというのだろう。
あの時は、騎士の腕に守られていて周りはほとんど見えなかったうえに、ひどい頭痛の中で文字列を追うのに必死だった。そして、『こうすれば良くなる』と思った。それだけだった。
もし魔法に干渉していたとしても、それだけでは何かをしたという実感も確証もない。
「……俺にも、分かりません」
正直にそう答えると、騎士はしばらく無言だった。やがて、小さく息を吐く。
「分からない、か」
失望より、奇妙な納得が滲んでいた。それ以上の追及はなかった。もともと、理由など期待していなかったとでも言うように。
騎士は椅子から立ち上がる。高所から見下され、威圧感がひしひしと感じられた。
「王都に、魔法を管理・研究している機関がある。そこへ同行してもらう」
「同行」
「拒否権は無い」
オウム返ししかできないミナトを、バッサリと切り捨てる言い方だった。
ミナトはムッと口をすぼめる。その表情を見て、騎士は眉をひそめた。
「お前が分からないと言うのであれば、分かる必要がある。分からないままでいていい能力ではない。他人の魔法を変えてしまうなら、危険なことだ」
「それは……」
もっともな話だ。魔法に干渉したというのが本当であるなら、状況を把握しておく必要がある。
本当でなかったにしても、疑いがあって警戒されているのであれば解消したい。
「出発は明朝だ。何かあれば外に兵がいる。声をかけろ」
騎士は踵を返す。
「あっ、待ってください」
思わず声が出た。
騎士は何も言わずに振り返り、まっすぐにこちらを見てくる。睨まれているとも感じる、鋭さを持った目。
一瞬、言葉に詰まる。怖い。
それでも、このまま別れるのは嫌だった。
「名前を教えてください」
「それを知る必要があるのか」
即座の応答は、冷たい声だった。確かに、知らなくても支障はないだろう。バツが悪くて顔を伏せる。
「助けてくれた人の名前を聞くのは、駄目ですか」
少し声が震えた。泣いているわけではない。
騎士は黙ったまま、項垂れたミナトの頭を見下ろしていた。やがて短く息を吐く。
「アルヴェインだ」
「アルヴェイン」
ミナトはパッと顔を上げる。金髪の騎士、アルヴェインは目を細め、それから視線を外した。
「それで十分だ」
「アルヴェイン……」
慣れない音を、もう一度口に乗せる。独り言のようでもあった。
アルヴェインは出入り口へ向かう。
「アルヴェインさん!」
今度ははっきりと呼んだ。アルヴェインは振り向かない。足も止めない。もう話すことはないという拒絶にも見えたが、構わなかった。
「助けてくれて、ありがとうございました」
そう言うと、チラリと視線だけが送られてくる。話は聞いているという、それを表すだけの仕草。そのままアルヴェインは天幕の外へ消えていった。
アルヴェインの背中を見送ると、ミナトはベッドに寝転び、目を閉じた。
外から音が聞こえる。
指示を出す声、それに応える声。ガチャガチャと金属が鳴る足音、馬のいななき。
皆がそれぞれに役割を持って動いている。
思考を整理するために、大きく深呼吸をする。
とうてい現実とは思えない時間がずっと続いている。
昼間は危険な生き物に襲われ、魔法という不思議な現象を目の当たりにした。
どれも夢ではなく、現実だ。
何故、ここにいるかも分からないまま警戒されて、挙げ句の果てには、どこかに連行されるという。
同行とは言ったが、拒否権が無いなら逮捕されたようなものだ。手錠をかけられていないだけマシな方か。
「どうなったかな……」
そんな中でも思い出すのは、対応していたシステムの不具合のことだった。
おそらく自分は突然消えてしまったわけで、復旧作業は他の社員が出勤した後からだっただろう。
システムが使えないことで、現場の人たちも、お客さんも困っているだろう。申し訳が立たない。
ここ数年のシステム障害は自分しか対応していないから、ログを追って原因を探し出すだけでも一苦労だろう。総出でやっても1時間で終わるかどうか。
その後の復旧作業は、更に分からない。触ってはいけない場所が多すぎる。
上司は怒っているだろうか。ツギハギだらけのソースコードを見て、同僚たちは嘆いていないか。
ミナトはそんなことをグルグルと考えながら眠りに落ちていった。




