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「マリー、今日はもう一度あの雑貨屋さんに行きたいの。先日買いそびれた置物が頭から離れなくて!」
朝食を終えたアメリアは、浮き立つような声でそう告げた。
もはや屋敷の者たちも「お嬢様がお出かけに出るのは日課」くらいに感じており、執事アデルも微笑ましく馬車を用意してくれる。
王太子との婚約破棄という大事件があったはずなのに、いまやアメリアは「我が道を行く」スタイルを確立していた。
ドレスも以前は淡いピンクや白が多かったが、いまは情熱的な赤、深い青、黒に金刺繍など、派手な装いを意識的に選んでいる。おかげで外へ出れば多少の目立ちは避けられないが、それが逆に心地よい。
「今日のドレスも素敵ですね。裾のレースが華やかで……」
マリーが感想を口にすると、アメリアは照れくさそうに笑った。
「そう? この前、仕立て屋の青年が“もっとリボンを足しましょう”って勧めてくれたの。すっかり盛り沢山になっちゃったけど、私の自由だもんね」
馬車が石畳を走り、王都のにぎわう大通りへ。窓を開けると、露店や行商人の声が活気をもって響いている。貴族の中には「こんな雑然とした場所は苦手」と敬遠する人も多いが、アメリアはむしろそういう喧騒に惹かれてしまう。
(静かに優雅に……なんて、殿下のもとで散々やったもの。今はこの雑多なエネルギーが面白いわ)
やがて馬車を降り、先日訪れた雑貨屋に向かう。店先には相変わらずカラフルで奇妙な置物が所狭しと並べられている。
アメリアが店主に「あの時、迷って買わなかった金色の小鳥のオルゴールって、まだある?」と尋ねると、店主は「ああ、あれなら奥に仕舞ってますが……ぜひ見ていただけますよ」と嬉しそうに奥へ消えた。
「こういう何の役に立つかわからないものに惹かれるなんて、前の私からは考えられないわよね」
アメリアはマリーに耳打ちしながら、おかしそうに笑う。
「理想の后を目指していた頃なら、“こんなもの飾って何になるのか”って自分で自分を止めていたでしょうね」
しばらくして店主が持ってきたオルゴールは、金属細工の小鳥がくるくる回る仕掛けがあり、つまみを回すと儚げなメロディが流れ出す。一見チープかと思いきや、音色は意外と澄んでいて癖になる。
「……まあ! なんて可愛いの」
目を輝かせるアメリアに、店主は「ご覧のとおり一点ものですから、ぜひ大事にしてやってください」と微笑む。
当然のごとく購入し、他にもテーブルクロスや妙な人形をいくつも抱えて店を出た。荷物がかなり増えたので、マリーが苦笑しながら「馬車を近くに呼んできます」と声をかける。
そのあいだアメリアは店の前に立ち、通行人が賑やかに行き交うのを眺めていた。するとどこかで「あ、あの方はパルミエーレ公爵家の……」と囁く声がする。彼女は特に気にせずに微笑するだけ。
そのとき、すぐ隣の通りから女性の怒声が聞こえた。
「ですから! 私が先に予約をしたのに、勝手に後ろの順番に回されるなんておかしいでしょう?」
「い、いえ、でもこっちにも事情がありまして……!」
どうやら近くの小さなパーラー(喫茶兼軽食屋)で予約のトラブルが発生しているらしい。覗き込んでみると、そこにいるのは以前もちらっと見かけた“社交界で横暴だ”と噂される伯爵令嬢グループ。
アメリアが目を細めて近づくと、店員はあたふたと頭を下げているが、伯爵令嬢たちは聞く耳を持たず「責任者を呼べ!」と騒ぎ立てている。
「伯爵令嬢様だそうで……?」
さりげなく口を挟むと、令嬢グループの一人がアメリアを見てぎょっとする。どうやら彼女たちも王太子との破棄後のアメリアが自由に振る舞っているという噂は知っているらしい。
「な、なんですか、あなた……いえ、アメリア様? これは私たちの問題です、勝手に口出ししないで」
「ふうん、それはそうだけど、ここは公共の場所よね。大声で店員を責めるなら、周りが気になって当然じゃない?」
アメリアの柔らかい微笑みとは裏腹に、目は少しきらりと光る。令嬢たちは押され気味だが、形だけのプライドで「私たちは不当に扱われたから」と主張を続ける。
店員の話を聞くと、どうやら伯爵令嬢たちが何度も予約時間を変更し、「やっぱり今日は行かない」→「行くかもしれない」→「行く!」と翻弄したため、お店のほうで誤って“優先度を下げた”らしい。
それを令嬢たちが見て「伯爵家をバカにしたわね!」と激怒している構図で、店側にはそこまで非はなさそうだ。
「そういうことなら、お互い様じゃないかしら? 店員さんも困っていただろうし、あなた方も急に出かけたくなった。それで齟齬が生じただけでしょう?」
アメリアがさらりと言うと、「そ、それは……」と令嬢たちは口ごもる。
「それに、あなたたちも店員さんにここまで粘着せずとも、もっと優雅に生きたほうがいいと思うわ。——私、王太子に振られたと思われてるけど、それで死ぬほど鬱々としているわけじゃないの。楽しむ方法はいくらでもあるから」
遠回しに「そんなところで怒鳴り散らして何の得がある?」と諭す感じだ。
周囲の客や通行人がそれを聞き、静かに「さすがね……」と感嘆する。令嬢たちはバツが悪そうに「もういい! こんな店、こちらから願い下げよ!」と吐き捨てて立ち去るが、最初の勢いは失われている。
アメリアは店員に「お気の毒。大丈夫?」と声をかけ、店員が平身低頭で感謝してくる。そちらこそ頭を上げて、と微笑み返すアメリアには、余裕と品が漂っている。
「まったく、どこの世界にも他人に迷惑をかける人はいるわね。でもまあ……こうして立ち去ってくれたならいいか」
アメリアがぽつりとつぶやき、深い息を吐く。今や小さなトラブルにも動じない胆力が自分の中で育っているのを感じる。それを“ざまぁ”と言うかどうかはともかく、前の自分だったら多分指一本動かせなかっただろう。
マリーが「さすがアメリア様……いつ見ても格好いいです」と目を輝かせる。アメリアは「そ、そう?」と照れながら、じゃあもう少し街を散策しよう、と店を後にする。
夕方、馬車に乗って帰る途中、マリーがささやく。
「このごろ、いろんなところで『パルミエーレ令嬢は破棄されたのに元気そう』とか『むしろ前より輝いている』とか言われてますよ」
「へえ、そうなの? まあ、前はいつも殿下のご機嫌伺いばっかりだったから、そう見えるのかもね」
アメリア自身は、本当に自分が前と違うという実感はあるが、いちいち「そうよ、私って変わったでしょ」と公言する気はない。だが周囲にそう見えるならそれで構わない。
「一部じゃ“カリスマ令嬢”と呼ぶ人までいるそうですよ。だから最近は、王太子殿下がちょっと……」
そこでマリーが言いよどむが、アメリアはピンと来る。「ああ、殿下が気になり始めたんでしょ?」と軽く流す。
「私が王太子妃の“理想像”を演じなくなったら、彼が興味を持ち始めるなんて皮肉ね。……でも、今さら戻るわけないわ」
その言葉に、マリーも「そうですよね」と微笑む。アメリアの中に、ちょっとした勝利感が芽生えた。あえて口には出さないけれど、これこそ“ざまぁ”だと。
馬車が公爵家の門をくぐるころ、アメリアは車窓の向こうに沈む夕陽を見やり、「明日はどこへ行こうかしら?」と思いを巡らせる。
遊びや買い物を優先できるのは、今だからこそ許される贅沢だ。殿下の束縛が解け、家の束縛も緩やかになったいま、アメリアはありのままに楽しみ続ける。それが何より最高なのだから……。




