3-6
ネイハムの家は西側、金持ちや狂信者が住んでいると聞いたところにあった。地図はそれほど明確なものではなかったが、リアムを見て以来、向こう側の人間に良い印象を持っていないブラムは、予め騎士から情報収集をしていた。
ネイハムの家は、騎士の中では有名だったようだ。近衛騎士を辞めてからは、弟子入りを望む者もいたためだそうだ。
情報と地図を元に歩き回り、ブラムがようやく見つけたネイハムの家は、一人で暮らすのに十分な小屋のようだった。この家を探すのに通りかかった家々は、その入り口辺りに名前を彫ったように見える金属を、自分の力を誇示するように掲げているところもあったが、ネイハムの家はそんな様子もない。
こちら側の家に近く、あるいはこちら側よりこじんまりして見えた。それは、周りの家が大きいからでもあったかもしれない。
ブラムは、横払いや斜め払いに斬られた痕がいくつか残る扉をノックした。間も無くして、騎士姿ではなく軽装のネイハムが出てくる。
「よく来たな」
「扉の痕は一体?」
「決闘を挑みに来る奴がいるんだ。あしらうと、暴れてまで拒否する。騎士らしくないし、いい迷惑だ」
「それは大変ですね」
「まあな。中へ入れ」
促されるままに、ブラムは家の中へ踏み込んだ。顎で指され、扉を後ろ手で閉める。
部屋の中は、大した家具がなかった。長卓に椅子、棚にはボロボロの本が一冊。壁には縦に長い楕円形の盾が掛けられていた。訓練生が使うような丸盾とは違うようだ。
「覚悟はできてるんだろうな」
「斬られる覚悟ですよね」
「ああ。まあ、お前にとって都合の悪い話だったら、俺を斬り殺してでも逃げようって、そう考えてんだろうけどよ」
「否定はしません」
「いい度胸だ。それは叶わないがな。よし、そこに座れ。俺は好かんが、糖水くらいは振舞ってやる。ガキは好きだろ?」
「飲んだことがないので、わかりません」
「蜜やら糖やら溶かした水だよ。こっちにいる奴らは、酒に溶かして飲んでるがな。ありゃ、ガキには悪いもんだ。フラッフラになるからな」
糖水は樽のような造形のコップに注がれ、振舞われてた。一口飲んでみると、ブラムにはひどく甘く感じられた。今までに食べて来た果実など、ゆうに超えている。ブラムにも、好きになれなかった。
「多少は懐柔されて欲しかったんだが、失敗だったみたいだな」
「いえ、よく澄んだ水だって貴重ですし、出してくれただけで感謝はあります。ただ、どちらにせよ、話は別です」
「しっかりしてるな。なら、そろそろ本題に入るか」
ネイハムは腕を組み、椅子に座る。ブラムと向かい合う形だ。隙はあるが、剣を抜いて届かせるまでには至らない距離だ。
「まずは、自己紹介だ。俺の名前はネイハム。お前はブラムだな」
「合ってます」
「よし。まずは、お前に求めるものを、先に提示しよう。俺がお前に求めるのは、忠誠、それだけだ」
「ネイハムさんに、忠誠を誓えばいいんですか?」
「ああ。この町の騎士ってのは、教主様と五人の枢機卿、そして神様に仕えるもんだ。だが、お前には俺の目的を達成する手助けをしてほしい。たとえ、上を裏切ることになってもだ」
「……それは、別に構いません。俺は旅人ですし、この町に思うこともありません。ただ、今の俺は妹のために生きてます。だから、優先は妹だ」
そこだけは、譲るわけにはいかなかった。ネイハムの重大な危機と、アヴァのちょっとした危機。その二つを比べたとき、ブラムが向かうのはアヴァだ。しかし、それをネイハムに遮られてしまっては困る。アヴァの方へ行ったからと、危機を乗り越えたネイハムに斬られてしまうわけにはいかない。
「いいさ。家族は大切だ。なにかを守るために戦うのは、騎士に限らず人間ってやつは皆そうだ」
「それを飲んでくれるなら、俺は忠誠を誓おう。その代わりに、妹の、アヴァの保護を誓え」
ブラムの口振りは変わる。これまでは、騎士という立場での話だったが、今はブラムとネイハム、個人の話だからだ。
「わかった。なら、まずはその理由を作らねばならん。お前には、俺の養子という扱いになってもらう」
「扱いってことは、本当にはならないってことか?」
「よく聞いてたな。そういうことだ。正規の手続きなど面倒だからな。俺が養子にしたと言えば、周りも勝手に信じるだろ」
「あんたの養子になって、確かに名前の力は受けられるだろう。ネイハムという人間が何をしてきたか、それは知っている。ただ、代わりに俺自身が狙われることもあるだろう」
ブラムが山賊の仲間をしていた頃、動物狩りで周りより多く狩ったときのことだ。山賊の頭に珍しく褒められ、いつもより多い食事を得た。すると、周りの男たちから、攻撃的な態度を取られたのだ。彼はそれを思い出していた。
旅の最中に襲われ仲間にさせられた同士達だと思っていたのに、それを裏切られたようなその感覚が、ブラムには忘れられなかった。
「そんなもの振り払え。俺だって、近衛騎士になったとき経験したもんだ。ただ、殺すのだけは、やめておけ」
「無駄に殺すことはしない。にしても、頭を使わない答えだな」
「はっ。ここの奴らは、頭なんか使わないさ。特に騎士なんてな。戦うときだけ、頭を使ってればいいんだ」
「そう言うなら、それに従う。忠誠は誓うことになってるからな。で、俺はなにをすればいい?」
忠誠を誓うこと、アヴァを保護してもらうこと。この契約は交わされた。ブラムは後で、その証拠を見せてもらおうとも考えていた。ただ、その前に、ネイハムがなにを為そうとしているのか、それを知るべきだと考えた。
「それにはまず、お前の過去から話してもらおうか。俺はまだ、お前を信用しきってはいない。もしも、話に怪しいところがあれば、容赦無く問い詰めるからな」
「構わない。なら、洗いざらい話すぞ。口に出したくないものまで、全部」
その後、ブラムは子供の頃から今に至るまでを話した。しかし、主な内容を占めたのは山賊らとの体験だった。
「これは、俺が今でも許されないと思っている。妹には言っていない。言っても、理解できるもわからない。そんな、言い訳を重ねて、いや、聞かせるべきでない話なのは確かなんだ。……俺は、母を━━」
ブラムが話している間、ネイハムは一言も発さず目を閉じていた。ブラムが語るその光景を想像し、記憶に入り込んでいるかのようだった。
「それは、辛かったな。俺なんかより、余程だ」
「辛い過去は、誰にとっても辛い過去だろう。俺のと比べても、俺には慰めにもなんにもならない。きっと、アヴァにも」
「だろうな。ただ、力になりたいとは思わせてくれた。お前を選んで、正解だったよ」
「そうだ。そもそも、どうして俺を選んだんだ?」
「一つに旅人、もう一つにその目だ。普通の経験をしていないのはわかった。そんな人間なら、俺も気に入ってくれるんじゃないかと思った」
旅人であれば、信仰心に染まりきっている可能性は低い。仲間につけやすいという考えだろう。ネイハムが気にいるかどうか、というのは、ブラムにはわからなかった。
「で、どうだったんだ?」
「仲良くなれるとは思わない。残念ながら、友人にはなれない。ただ、親にはなりたいと思った」
「俺たちの親は、両親しかいない」
「……そうか。いや、いい。お前のことは信用するよ。それに、もしかしたら、お前の父親は━━いや、これもいい」
「なにかあったのか?」
「お前の父親には、世話になったかもしれないという話だ。間違いかもしれないから、今度にしてくれ」
「わかった。忘れてなければ聞く。それで、次はあんたの話だ」
ネイハムは手を組んで頷く。威圧感のようなものが感じられた。そんな意識は、ネイハムにはないのだろうが。
「俺は、元は捨て子で、生きるためにいろいろやってた。子供の時の話だ」
* * *
二十年以上も前の話だ。俺は、遠くの町に住んでいた。そこでも、ここみたいに区画が分かれていた。ああ、そこでは区画といったんだ。
俺が住んでいたのは、排泄物やら動物の死骸やら、汚い場所だったよ。誰も掃除なんかしない。面倒だからな。疫病なんかも大変だった。食べるものなんて、そこで得るものに比べれば、町を出てその辺に生えてる草でも食った方がマシさ。
その町には、カネが存在しなかった。物々交換さ。でも、俺みたいな奴らは出せるものがない。だから、自分を売るのさ。働くでも、人を代わりに殺すでも、なんでもな。代わりに食料を得る。そんな生活だ。
ある日、俺は偉ぶった人間に命令された。ある人間を殺せってな。それが、この町の教主様だったわけだ。俺が住んでいた国に、用事があって向かうところだったらしい。
依頼人は、それを阻止したくて、子供相手なら油断するだろうって、そう見積もってのことだった。俺が失敗しても、そのまま殺されて済むだろうって考えたんだろうな。まあ、子供の俺にはそんなところまで頭が回らなかった。
生きるために必死だからな。いい報酬を用意されれば、やるしかない。次にいつそんな機会が来るかもわからなかったし、仕方ない。
それで、策なんかを用意すれば良かったんだが、その労力が惜しかった。依頼人から、できた人間だと聞いていたし、具合の悪い人間を装って、近づいてきたら刺し殺せばいいと、そんな甘い考えしかなかった。
当日、それを実行したが、当時の近衛騎士に見破られた。かなり怖かったよ。殺されると思った。でも、それをまだ若かった教主様が止めた。
この者は、私が引き取ろう、って言ってな。
その後は、国で穏便に用事を済ませて、俺をこの町に連れてきて、訓練生にしてくれた。衣食住をくれた。だから、今の俺は全部、教主様のおかげだ。俺が仕えるのは、そのときから永遠に、教主様でしかない。
ここまでが、前置きだ。お前が妹にどれだけ尽くそうとしているのか、それと同じく、俺もどれだけ教主様に忠実な騎士なのかってことを説明したかった。
* * *
「本題は、その教主様の姿が、数年前から見えなくなったことだ。ここ数年は、この町にまつわる全ての取り決めを、枢機卿が教主様の代理として決めている。
『体調を崩している』だの、『立場の高いお方だから、姿を見せるべきではないと考えを改めたのだろう』だの、枢機卿は言い訳ばかり。ついには、俺や他に数人を近衛騎士の任から解きやがつた。
……俺には、それが信じられなかった。だから、もしかしたら、教主様は亡くなられたのではないかと、そう考えている。それを枢機卿が隠し、実権を得ようとしているんじゃないかと。
五人の枢機卿は、教主様を補佐する立場だ。教主様がいなければ、最も立場が上になる。くだらないとは思うが、人間ってのは、欲に目が眩むもんだ」
息を吐きつつ話をしていたネイハムは、そこで長い息を吐いた。話の終わりを告げるように。
その後、組んでいた手を解くと、一口も進まなくなっていたブラムの糖水を手に取り一気飲み。舌を出して苦い顔をしながら、樽型コップを卓に置いた。
「やっぱり甘過ぎるな。で、どうだ。話はわかったか?」
「わかったが、それで俺はどうすればいいんだ?」
「近衛騎士になって欲しい。そうすれば、教主様の側にいられるからだ。実在するか、確かめられる。俺の予感が的中していたら、枢機卿はネイハムの養子だということで警戒するかもしれないが、元は旅人だ。実力さえ見せれば、話は来るだろう」
「長い話になりそうだな」
「ああ、その通りだ。争いなんかも、しばらくはないはずだし、功績も降って湧いては来ない。地道に実力を知らしめるしかない。そのために、俺が特訓はしてやるが」
それは、ありがたい申し出だった。ブラムは、その辺りの獣や山賊には負けない程度の実力を持っている自信があった。しかし、訓練生になるとき、一対一にも関わらず連戦では長引き体力が持たなかったことを考えれば、より実力差をつけて一人一人の処理時間を短くするのも一手だ。基礎体力は時間を掛けて増やすしかない。
問題は、どうするにせよ、近衛騎士になるには長い時間が掛かること。それまで、アヴァを待たせられるか。今のアヴァは、幸せなのか。
「妹の幸せと安全が保障されるなら、それでいい」
「どうすればいい?」
「誰か、見張りをつけて欲しい。そして、孤児院で楽しくやっているならそこでいいが、退屈そうなら俺のところへ連れて来る」
「わかった。それだけでいいか?」
「いや、ネイハムの名前に、どれだけの力があるか証明して欲しい。妹が奪われた、首飾りを取り返したい」
それからブラムは、ネイハムとともにリアムの元へ赴いた。ネイハムの姿と名前は、十分な力があったようで、首飾りはあっさりと手渡してきた。
そして、ブラムとネイハムの訓練は、ブラムがアヴァの元へ向かう前日まで続いていた。実力は、それなりに上がってはいる。
また、訓練が増えて考えることができたおかげか、悪夢を見る頻度は減っていき、ブラムの心労を和らげる効果も持っていた。
* * *
「まあ、こんなところだ。ネイハムは、教主の騎士だが、その教主の無事が確認されるまでは、この組織の仲間でいるつもりらしい。アヴァとつながったのも、それがあったらからだな」
「お兄様は、いろいろ大変だったのね。私は、孤児院で勉強したり、子供達と仲良くなるくらいしかしていなかったのに」
「それでいいんだ。俺は、それを望んでいたんだから」
ブラムは、隣に座って見上げてくるアヴァの頭を撫でる。髪の感触が、艶やかになっている。生活が良くなったからだろうか。
「そろそろ、用事があるから出るよ。アヴァは、ここで食事が来るのを待っていてくれ」
長話をしている間に、日が落ちてきていた。赤い夕焼けが窓から入り込み、部屋を真っ赤に染め上げている。
「どこに行くの?」
「そう遠くないところだよ。すぐに戻る」
ブラムは撫でていた手を離し、立ち上がると部屋の外へ向かう。
俺は、この生活を守る。アヴァの敵がいない、この生活を。
そのために、裏切り者は始末しなければならない。




