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考えるべきは後のことだった。耳を塞ぎながら、ブラムは己の中で悔いる。死者が本当に蘇生を望んでいるのか。そればかり考えていた。だが、この先に訪れる光景は、恨みを持つ自分だからこそ、想像できることだったのだ。想像すべきだったのだ。蘇生なんて、させるべきではなかった。
「どうして、どうして!? どうして、息子が!? こ、ころさっ、お、おろして!」
ブラムは膝を折り、女性を下ろした。ずり落ちるようにして背から降りた彼女は、辿々しく、息子だったものに歩み寄る。
「お兄様!」
「だめだ。それは、もう、誰も幸せにしない」
もしも、男を蘇らせたところで、その生を祝福する者は、この場に二人しかいないのだ。そして、二人を除いて多くは、祝福しないどころか、再びその生を打ち止めるだろう。さらには、アヴァにまで、その手が及ぶかもしれないのだ。
「でも、あの人だけは、救えるかもしれないわ!」
「それも一瞬のことだ。アヴァ、お前は、さっきの光景がもう一度繰り返されるのが見たいのか?」
キツイ言い方になってしまったと、ブラムは唇を噛む。まだ幼い妹に、こんな物言いはなかった。
「この、人殺し! 人殺しども!」
女性が、これまで虐げられてきた者たちを糾弾する。彼女は何も知らなかった。ベッドで病に伏せるだけの日々を過ごしてきたのだ。
彼女を襲った理不尽は、そのまま見つめる先の者たちが受けたものだ。唐突に愛する家族を奪われる。その、一点においては。
糾弾された側は、その女性が何者なのか判断ができなかった。しかし、彼らにとっては、状況を処理して判断する必要さえなかった。
疲れ、飢え、そして反乱による冷めやらぬ士気。敵に味方する者は敵。彼らが攻撃する理由は、それだけで良かった。
ブラムは機微を察知し、咄嗟にアヴァの視界を腕で覆う。その直後、女性はもう、そこに存在してはいなかった。
集団の中から一人の男が抜け出す。以前よりもやつれていたが、健康そうな肌の男。ディルだった。
「反乱はこれで終わった! 俺たちはもう、自由だ!」
歓声、拍手、雄叫び。静寂などという言葉が存在しない世界が形成される。そしてそこには、犠牲という言葉の存在は無視されているかのようだった。
「この後どうするか、その選択も俺たちの自由だ。誰も、変えることはできない。さあ、解放だ、解散だ!」
ディルが叫ぶと、つられて彼らも叫ぶ。それはしばらく続き、やがて声が疎らになっていく。そうして自由を手に入れた個々は、もはや群れることさえも必要とせず、散っていった。
その間、アヴァは、ずっと震えていた。なにが起きているのかはわからない。だけど、良くないことが起きて、でも、良いことも起きたみたいで、なにを信じればいいのかもわからない。
だからこそ、怖かった。視界が閉ざされることで、なにが正しくて、なにが間違っているのか、それが曖昧になっていくような感じがして。
だが、アヴァにはそれがわからない。まだ器の成熟しきっていない彼女には、自分の感情や考えを、そんな風に理解して形にすることができなかった。そうして唯一、彼女が理解できたのは、わからないことが怖いということだった。
「ディル」
ブラムが彼を呼ぶ。アヴァの視界は、相変わらず閉じたままだ。今更という気がしないでもないが、ブラムにとって、道中で切り捨ててきた有象無象と、この場で最後の理不尽に出会った女性は、大きく異なる。異なるからこそ、アヴァに見せるわけにはいかなかった。
「ブラムか。その子は妹だな。なにか用か?」
「アヴァが、エフィーを探している。だから、会わせるぞ」
「……そうか。アヴァは、それを選ぶんだな。わかった。今日は部屋が違うから、俺が案内しよう。別れは避けられない」
「エフィーの選択は、変わらないのか?」
「ああ。だから、俺が言うのもなんだが、アヴァに期待してもいるんだ。身勝手な押し付けだろうと、俺は……」
「その気持ちはわかる。僅かな付き合いの俺でもだ。ただ、あまり、無理をさせないでくれ。アヴァはもう、何度も苦しんでいるんだ」
「わかってるさ。今日、エフィーのおかげで全てが救われた。アヴァも救われるべきで、苦しんで欲しくはない」
ブラムはそれだけは肯定できず、なにも返さなかった。ディルは全てが救われたという。だが、ブラムは直前に、救われなかった人間を目の当たりにしたのだから。
「エフィーに会えるの?」
会話が一区切り着いたと思い、アヴァは答えが待ちきれないといった声音でそう訊ねた。その事実が嬉しいのもあるが、実際は、混乱している頭を何か一つのことに向けることで、感じ取った悲劇から逃げようとする、無意識の結果でもあった。
「ああ、会えるぜ。……それと、アヴァ、前は、悪かった。いくら謝っても謝りきれない。なにか、恨み言でも、殴らせろでも、言うことは聞くぞ」
殊勝な表情のディルだが、アヴァはなにも考えたくなかった。今の彼女にとって、嬉しいこと以外は、全てが余計なことだった。
「そんなの要らない。わたしは、エフィーにだけ会えればいいよ」
「……そっか。やっぱり、いい奴ばかり騙されてるんだな。……わかった。会いたいならついてきてくれ。ブラム、その子の目は、閉じておけよ」
「ああ、わかってる。アヴァ、良いって言うまで目を閉じておいてくれ。なにがあるかは、大体わかるだろう?」
「……うん」
ただ、アヴァが気にしているのは、どうしてディルとエフィーが知り合いなのかという点だった。エフィーも確か、ディルに騙されてここに来たはずで、それなのに仲良くなるなんてできるのだろうか。
しかし、アヴァは、彼女の兄がディルと、対等な関係でいるように感じられた。それなら、ディルとエフィーだって仲直りしていてもおかしくないのかもしれない。
ひとまずは、そう納得することにした。エフィーが会ってくれるかどうか、ディルはそんなことを言うが、アヴァは絶対に会ってくれるはずだと信じている。
* * *
「着いたぞ。ここだ」
ディルは告げると、そのまま奥へ進む。一方ブラムは、妹をゆっくり背中から降ろした。今の彼女は、目どころか耳も両手で塞いでいた。ブラムもそれは構わなかったのだが、妹が背中から落ちないかだけ心配ではあった。ようやく軽くなった背中に、彼は一安心する。
ブラムは妹の両手を掴むと、軽く引っ張る。そして、目を開けることも許可した。
「もう、大丈夫なの?」
「ああ、大丈夫だ。この先にエフィーがいるらしい。ディルが先に行った。気分は大丈夫か?」
「うん、平気だよ。エフィーに会えると思えば、気にならない」
ブラムはその口振りから、アヴァは我慢をしているんだなと察する。
ここまでの道中には、死体や斬り落とされた体の一部が、そこかしこに転がっていた。砂利や石を踏んだのでは絶対に鳴らないような足音、血液のむせ返るような匂い。目を閉じるだけでは防ぎようのない情報量が、嫌でも惨状を見せつけようとしていた。
母の手紙にあったように、アヴァには幸せになってもらいたい。そのために、この世の不幸はこれ以上、できる限り、アヴァの目から排除したかった。俺にはもう、幸せになるという、その資格がないのだから。全ての泥は、俺が被ればいい。
「無理はしなくていいからな。俺になら、いくらでも頼っていいんだ。妹が兄に頼るのは、当然のことなんだからな」
「お兄様、ありがとう」
アヴァが感謝したのは、頼らせてくれることに対してではなく、やっぱり兄は優しいままだという認識を得させてくれたことだった。長い間、会わずにいた兄が変貌し、ためらくことなく人に怪我を負わせるまでになった。アヴァはその変化を恐れていたが、彼女の中でその恐れが、ようやく和らいだような気がした。
「二人とも、エフィーが会ってもいいそうだ」
アヴァが兄に笑みを向けると、ディルが奥から戻ってきてそう伝える。
「良かった。お兄様も行きましょう?」
「いや、俺はいい。邪魔になるだろうし」
「来て欲しいの。わたし、エフィーがいなかったら生きていなかったかもしれない。だから」
「……わかった。そこまで言うなら、ついていこう」
自分が折れない限り、アヴァは引っ張ってでも連れて行こうとするだろう。ブラムの中でそうした諦念があったのは否めないが、感謝は伝えるべきだろうとも考えての返答だ。
「なら、二人は奥に進んでくれ。俺はまだ、やることがある」
ディルが道を空けたあと、彼はそう言ってブラムの方を見る。ブラムは頷き、アヴァの背中を押して進んでいった。あれだけ恨んだ相手なのに、こんな関係になるなんてな。今日、何度目かの自嘲をしながら。




