其ノ壱
「行ってまいります」
養子にした鋼之助が、奉行所に出仕する姿を見送った新八郎は、濡縁に腰を下ろした。
春も半ば、ぽかぽかとした陽気が心地好い。降り注ぐ陽光のなかで、新八郎は目を細めた。
(うまくやっておるようだのう)
鋼之助を養子とした当初は、多少なりとも不安だった。どうみても同心が勤まりそうななりではない。ひょろひょろしていて、ひとたび風が吹けば、紙屑のように吹き飛んでしまいそうだった。
だがそれでも鋼之助を養子にしたのは、あの男の頼みだったからだ。
あの男、新八郎の人生を、まっ逆さまにした因業な男。
瀧澤亮之助、その人だ。
今年に入って、二十五年ぶりに亮之助が接触してきたのだった。会いたい、是非屋敷に来てほしい。瀧澤家の用人が携えてきた文に、そう書かれていた。
──逢い引きする男女でもあるまいし。
皮肉な笑みを浮かべた新八郎は、文を破り捨ててしまおうかとも思った。だが、何かが引っ掛かった。
なぜ、今更になって亮之助が文を寄越したのか。
一度生じた疑念は、なかなか消えてくれない。迷いながらも新八郎は、亮之助に会うことに決めたのだ。
そうして、久し振りに会った亮之助は、
「……久し振りだな……」
「………」
亮之助の思いもよらない姿に、新八郎は足元が冷たくなっていく気がした。亮之助は病床に伏していたのだ。床から身体を起こしている亮之助は頬も痩け、顔色も悪い。二十五年前の面影は見あたらない。
新八郎の表情を読み取ったのか、苦い笑いを溢した。
「こんな格好ですまぬ」
「いや……。それで、用とは?」
延べられている布団の枕横に座り、目を逸らしながら聞く。亮之助を見ていると、過ぎ去った年月が如実に感じられて、心がたまらなく騒ぎ立てるのだ。
「そなたに、頼みがある」
「頼み?」
亮之助は病身を改める。新八郎に向き合い、正座をした。そうして、
「次男の鋼之助を、そなたの養子にしてやってくれぬか」
深く頭を下げたのだ。地に頭を擦り付けるように、深く深く。
(あの、男が……)
二十五年前の亮之助の姿が、脳裏に思い出される。世界のすべてを憎んだような目をしていた。そんな男が、頭を下げたのだ。信じられない思いだった。




