其ノ壱
「そろそろ八つ半(午後三時)か」
強張った身体をほぐすように、片岡が両腕を上げて背を伸ばした。聞き込みは成果が無いと、必要以上に疲れが大きい気がする。鋼之助も身体をほぐしたかったが、流石に先輩同心のまえでは憚られた。
辰次達とは八つ半に、米沢町の自身番で落ち合うことになっている。まだ時間があるので、水茶屋で少し休むことにしようと、片岡が提案した。
片岡と鋼之助は、両国広小路の近くにある水茶屋に入った。入ったといっても、葦簾張りの簡単な作りだ。出入り自由といった具合である。
二人は並んで床几に座り、注文を取りにきた茶汲娘に茶を頼んだ。
「お団子はいかがです? 美味しいですよ」
と、愛想よく葦簾を指差した。その先には、たどたどしいが味のある団子が描かれた紙が貼られている。
「うむ、なら貰おうか」
と言った片岡。
鋼之助は、
(わたしのほうが、もっと上手く描ける……)
と、ひそかに対抗心を燃やしていた。
じっと団子の絵を見ていたから欲しいのだと思ったのだろう、片岡が「こいつにも」と注文した。
「おめえは、ほんとに人見知りだなあ」
一月以上鋼之助と共に行動した片岡は、鋼之助が人見知りであると見抜いた。見抜いたといっても、知らない人間のまえでは口を閉ざし、片岡や辰次のうしろでもじもじしていれば、誰でも気づくだろう。
「まあ、少しずつでいいから慣れろよ。人見知りの同心なんて、格好つかねえ……って、聞いてるのか?」
片岡が話しかけているあいだ、鋼之助はずうっと団子の絵を見ていたのだ。
流石に不審に思った片岡が、鋼之助の肩を揺らす。すると鋼之助が、
「へ、何か言いました?」
と、応えた。
今の鋼之助には、片岡の声が耳に入っていなかったのだ。どうやったら、あの団子より美味しそうに描けるか。あの団子の絵の色合いは、どうやって出しているのか。そればかりが頭を占めていたのだ。
「……おまえ、けっこう図太い神経しているな」
「は?」
養子に出ようが、同心になろうが、絵のことになると周りが見えなくなるのが鋼之助だった。
それを知らない片岡は、少し機嫌を悪くした。
そうこうしているうちに、茶と団子が来た。
団子は程よく甘くて、茶とよく合う。しばらく二人は無言で食べていたが、先に団子を食べ終わった片岡が、竹串をくわえたまま、訊いてきた。
「どうだ、何か気になることはあるか?」
「事件のこと、ですよね」
「そうだ」
「そうですね……」
鋼之助は、神田川に捨てられていたおちなの事件から順繰りに思い返した。
おゆいとおはるが同じ下手人の手にかかったというのを前提にして犠牲者を並べれば、
米沢町・おゆい、六歳・行方不明。
米沢町・おはる、三歳・行方不明。
平永町・おちな、五歳・神田川で、足に重りを付けられて遺棄。
富沢町・おみさ、七歳・橘町の廃屋に遺棄。
と、なる。
無意識のうちに鋼之助の頭のなかに、姪の七瀬が浮かび上がってきた。
(七瀬と同じくらいの娘達が、なぜこんな酷い目に)
鋼之助は地面に目を向けたまま呟いた。
「……どうして」
「ん?」
「どうして、この子達だったのでしょうか?」