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無能同心  作者: 葉弦
第三章 拠り所と見えぬ解決
24/51

其ノ漆

 「旦那、ここです」


 先を行く太助が、二階建ての店の前で手を振っている。

 店の前に行くと、こじんまりとした一軒屋だった。店先に掲げられた看板には、『蕎麦屋あずま』と書かれている。

 繁盛しているようで、店先にも縁台が並び、数人の客が座って蕎麦をたぐっていた。

 太助が障子戸を開けてなかに入る。蕎麦の良い匂いとともに、


 「いらっしゃいませ」


 と、可愛らしい声が出迎えてくれた。


 「あら、太助さん」


 応対したのは十七、八くらいの、まだあどけなさが残る娘だ。少し肌が黒く、口が大きい。だが十分に器量は良く、溌剌とした印象を受けた。


 「どうも。今日は、あっしが仕えてる片岡の旦那と、そのお連れを連れてきたよ」


 そう言うと、いそいそと空いてる床几に座った。食べれない娘には、まったく興味は無いらしい。


 「さあ、どうぞ」


 娘が鋼之助達を席に案内した。片岡は太助の横、二人の前の床几に鋼之助と辰次が座る。

 太助が、ここはかけ蕎麦が一番美味いと言うので、皆がかけ蕎麦にした。

 蕎麦を待っているあいだ、片岡は娘と話していた。娘はここの主人の娘で、お綾という。そんな会話を聞きつつ、鋼之助は佐倉家に養子になるまえのことを思い出していた。


 (あの頃は、昼に食事をすることはほとんど無かったな)


 飽きることもなく、一日中部屋で絵を描いていたから、腹も減りようがなかったのだ。下手をすると、一日一食も珍しくなかった。

 そんな鋼之助を叱るのは、ただ一人。


 (おじうえさま、ちゃんとおしょくじをとらねばなりませぬ)


 そう舌ったらずな声で、姪の七瀬がぷりぷりとよく怒っていたものだ。食べるまで出ていきませぬ。そう言って鋼之助の部屋に居座ることもあった。


 (元気にしているかな)


 これからは簡単に会えることはない。それが 少し寂しいと、鋼之助は思っていた。


 「お待たせしました」


 お綾が出来上がったばかりの蕎麦を運んできた。


 「うむ。太助の言うとおり、香りがいい」

 「いいのは、香りだけじゃありませんよ」


 ちくりと、お綾が言うと、片岡が笑いながら謝った。

 蕎麦をすすると、なるほどと納得した。これは美味い。香りが良く、ちょうどいい歯応え。もちろん味も良い。太助が薦めるのも納得である。

 食の細い鋼之助も、一番最後になったが、ぺろりとたいらげた。

 締めに茶を飲んでいた片岡が辰次に言う。


 「辰次、これから富沢町のおみさの両親に会ってきてくれ」

 「へい。それで何をすれば?」

 「おゆいとおはるのことを知ってるか訊いてくるんだ。俺は平永町のおちなの長屋に行く」


 おゆいとおはるの両親には訊いたが、どちらもおちなとおみさのことは知らなかった。


 「おちなとおみさの両親にも、一応聞いてみよう」

 「へい」


 どんな些細なことでもいい。手がかりが欲しかった。だが。期待とは裏腹に、どちらの両親も知らなかった。






 ◇◇◇◇◇






 翌日。

 鋼之助は出仕するため、八丁堀の屋敷を出た。

 南町奉行所の正門のまえにくると、


 「佐倉の旦那」


と、呼びかけられた。

振り向くと、青鈍色の羽織を鯔背に着こなす背の高い男がいた。


 「あ、辰次」


 片岡が手札を与えている岡っ引きの辰次だ。

 同心が手足のように使う岡っ引きは、奉行所から正式には認可をされていない。だから奉行所内には入れないのだ。逆に小者は、奉行所に認められているので入れる。 辰次がここにいるということは、片岡はすでに出仕しているのだろう。


 「ああ、旦那。ちょっといいですかえ」


 慌てて門を潜ろうとする鋼之助を、辰次が押し止めた。正門から少し離れた場所に鋼之助を促した。


 (何なのだろう?)


 探索に進展があったのだろうか。しかしそれなら片岡から話があるだろうし、こんなにこそこそとはしないだろう。

 理由がわからず、鋼之助は首を傾げた。

すると辰次は、思いがけないことを口にした。


 「佐倉の旦那。同心の暮らしはいかがてす?」

 「え?」

 「何か困ってはいませんか?」

 「ええ?」

 「ちゃんとご飯を食べてます?」

 「えええ?」


 矢継ぎ早の質問に、鋼之助はきょとんとするばかり。どうして辰次が、そんなことを聞くのだろう。というよりも、質問の意図がわからない。なぜ片岡の手先の辰次が鋼之助のことを気にするのか。

 鋼之助は意味がわからず、声が詰まっていたが、ついに辰次の威勢に押されて、


 「……大丈夫」


 そう答えていた。


 「そうですか」


 そう言う辰次の目が、鋼之助の目を見つめた。じいっと、鋼之助の心の奥底まで見極めるような目付きだった。


 (何だろう……)


 辰次と出会って、まだ一月ちょっと。なのに、その目から、どこか懐かしさを受けた。

 同時に、ほんの少しだけ奇妙に胸がざわめいた気がした。

 辰次に見送られて、鋼之助は奉行所の小門をくぐった。そのまま右側にある同心詰所に向かい、先に来ていた片岡に挨拶をした。片岡の手には、月に兎の湯飲み。自分で入れたのだろう。

 他の同心はまだ来ていないのか、すでに町廻りに出たのか、いない。

 片岡と鋼之助は町廻りに出るまえに、おちな達の一連の事件について話しだした。


 「おみさはともかくとして、おちなの遺体は周到に捨てられていた。もし、おゆいとおはるの二人が、おちなと同じ下手人の毒牙にかかっていたら、死体がいまだに見つからないのもわかる」

 「はい」


 一月前。もし船頭が気づかなければ、おちなの遺体は今でも見つかってなかっただろうと、片岡は言う。鋼之助もそうだと思った。


 「そうなると、おゆいとおはるの二人は、おちなより先……、最初の犠牲者なのかもしれない」

 「はい……」


 思わず鋼之助は、唾を飲んだ。

 それは、とても恐ろしいことだ。

 半年、もしくはそれ以上まえから、この卑劣な事件が水面下で蠢いていたのだ。

 誰にも知られることなく……。

 苦渋に満ちた顔で、片岡が天を仰いだ。


 「わからんな」

 「何がですか?」


 片岡は天井から目を離した。


 「おみさだ」

 「おみさ……、あっ。あの、遺体の捨て方ですか?」


 前から片岡が気にしていた。おみさだけ捨て方が違うと。

 鋼之助の答えが気にいったようで、片岡がにやりと笑った。


 「そうだ。よく憶えていたな」

 「いえ」


 片岡に褒められて、鋼之助は嬉しくなった。だが、今の場では不謹慎である。慌てて顔を引き締めた。


 「この手の常習犯というのはな、同じ行動をとるものなんだ」


 死体の置き方や、殺害の手口など。なのに、おみさだけ違う。

 これが意味することはなんなのか。


 「おみさだけ、別人なのでしょうか?」

 「……わからねえ」


 片岡は素直に自分の考えを吐露した。同じ性癖を持つ二人の人間が、同時期に犯罪を起こすとは考えにくい。だから同一人物だと思うと、片岡は顎を触る。

しかし、それに待ったをかけるのが、おみさの遺体の捨て方なのだ。

 片岡から重い溜め息がはかれた。


 「次の犠牲者が出るまでに、片をつけてえぜ」


 長く同心勤めをしている片岡でさえ、この事件の解決の糸口が見えないのだ。だが早く解決しないと、新たな死体の発見となってしまう。それだけは阻止しなければならない。


 「そろそろ、町廻りに行こうか」

 「あ、はい」


 立ち上がり、刀を腰に差した片岡のあとを追う。


 (あ、そうだ)


 鋼之助は先ほどの辰次とのことを聞いてみることにした。


 「あの、片岡さん」

 「なんだ」

 「その、辰次にわたしのことを聞くようにおっしゃいましたか?」

 「は?」


 鋼之助の問いに、片岡はぽかんと口を開いた。どうやら片岡は関係が無いらしい。

 その日の昼の八つ(午後二時)を過ぎた頃。

片岡と鋼之助は、行方不明になっているおゆいとおはるが住んでいた米沢町を中心に聞き込みをしていた。

 しかし、半年も前の事件ということもあり、まともな成果は得られなかった。

 今日は辰次と太助とは別行動だ。

 辰次にはおちなが住んでいた平永町を、太助にはおみさが住んでいた富沢町を再度洗い出すよう頼んでいる。






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