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優しき殺人者  作者: けせらせら
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7-1

   7


 あれから一週間が過ぎ、尚子ももとのように仕事を始めている。

 相変わらず毎日、送られてくる原稿の山に埋もれ、一日2作のノルマをなんとかこなしていた。ワイドショーでも事件のことは取り上げられなくなり、尚子も事件前の生活を取り戻しつつある。だが、唯一、如月のところを訪ねることだけは出来ずにいた。

 明日は第一回目の締め切りになる。いつまでもこのまま会わずにいるわけにもいかない。

 尚子は小さくため息をついた。

「浅井」

 突然、背後から肩を叩かれ尚子はびくりと身を竦めた。「おいおい、なんでそんなにびっくりするんだよ」

 振り返ると財部が呆れたように笑っている。財部はつい先日、何の心境の変化か、不評だった髭を綺麗に剃り、若々しい顔つきになった。

「あ、ごめんなさい……ちょっと考え事してたから」

「そうか、ちょっといいか?」

「何か?」

「おまえ、今でも書いてるのか?」

「書くって?」

 一瞬、財部が何を訊いているのかわからなかった。

「小説だよ」

「……ええ」

「そうか、まだ諦めてはいなかったんだな」

「……はい」

 また、諦めるように言うつもりだろうか。だが、財部の口から出てきたのは意外な言葉だった。

「今度もってこいよ。出来が良かったら載せてやってもいいぞ」

「え?」

「ま、中身次第だけどな。今まで編集の仕事を通じて少しは力もついたろ」

「それって……」

 突然の財部の言葉に頭のなかが混乱する。

「ずっと編集長はあなたのことを鍛えたかったのよ」

 唖然と何も言えなくなっている尚子を見かねて、房子が横から言った。

「それじゃ……私を編集の仕事につかせたのは……」

「編集長はあなたの小説を読んで、人気作家になる人間だって期待していたのよ」

 房子の言葉に財部は照れを隠すようにゴホンと大きく咳払いをした。

「そういうことだ。おまえの文章はどこか浮ついていたからな。はっきりいえば描写力が足りなかったんだ。ずっと如月先生や雫先生についてたんだ。そのくらい自分でも自覚出来たろ」

「は……はい」

 尚子は呆然として財部を見詰めた。まさかそんな考えで自分を編集の仕事につけてくれていたとは思わなかった。

「自信作が出来たら持って来い。くれぐれもよそに持っていくんじゃないぞ」

 財部はもう一度肩をポンと叩いて席へ戻っていった。


   *   *   *


 すぅっと一息大きく吸い込むとチャイムを押した。

 反応がない。いないのだろうか。

 ほんの少しほっとしながら、バッグから鍵を取り出してドアを開けようとした。

(鍵が開いてる)

 ドアを開けてはっとした。

 玄関の靴が一足もない。それどころか玄関脇に置かれていた傘立ても、奥の部屋に続く通路に置かれていたカラーボックスもなくなっている。

 慌てて部屋に飛び込んだ。

 だが、そこには如月の姿どころか、家具も全てなくなっている。

 そこにすでに人の住んでいる形跡はなかった。

(どうして……)

 尚子は呆然と立ちすくんだ。

 カーテンが取り外された大きな窓から日差しが入り、尚子の足元を照らしている。如月がいた時は狭く感じた10畳の部屋も、今はやけに広く感じられる。

 やはりあの事件のことが原因なのだろうか。

 自分が事件の真実に気づかなければ、こんなことにはならなかったのかもしれない、と尚子は後悔した。

 尚子はガクリと膝をついた。

 思わず目から涙が溢れてくる。

 その時、突然、携帯電話が鳴り出した。

(きっと会社からだ)

 尚子は緩慢な動作でバッグに手を伸ばし、携帯電話を取り出した。そして、ディスプレイに表示された名前に息を飲む。そこには如月の名前が表示されていた。

(先生!)

 尚子は急いで電話に出た。

「先生――!」

――よお、元気か?

 軽い感じで如月は言った。

「せ、先生――どこにいるんですか?」

――さあ……

 如月の含み笑いが聞こえる。

「……いったい……どういうことですか?」

――おまえ、鍵くらい返せよな

「え?」

 ガチャリと玄関のドアが開く音が聞こえ、尚子は振り返った。

 携帯電話を耳に当てた如月の姿が見える。

「先生……」

「よお」

 プツリと電話を切ると、如月が右手をあげた。

「どうして……」

「おまえ、6畳でいいよな」

「え?」

「でも、もともとおまえの近所のマンションだし、部屋はいらないか?」

「何言ってるんです?」

「あんまりおまえが狭い狭いって騒ぐから引っ越したんだよ」

 そう言って如月は笑顔を見せ、ゆっくりと尚子に近づいてきた。

「先生……」

 思わず涙が溢れてくる。

「おい、泣くことないだろ」

「だって……先生……いなくなってしまったかと思って」

「俺はどこにも行かないよ」

 如月はそう言うと尚子の手に鍵を手渡した。

「これは?」

「新しい部屋の鍵。昨日引っ越したばかりでまだ片付けてないんだ。当然、手伝ってくれるんだろ?」

 如月はいつものように軽い口調で言った。尚子は唇を噛んで涙を拭った。

「いいですよ。その代わり私の部屋として一部屋もらいますからね。あのマンションって3LDKで二部屋が8畳間じゃなかったですか? 私、一番大きい部屋が良いですからね」

「欲張りだな」

「ええ、欲張りですとも」

 尚子はそう言って笑顔を見せた。

(いつかこれで良かったと思える時がくる)

 そう信じようと思った。

「そうそう原稿出来てますか? 明日は締め切りですよ」


         了


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