56話 馬車の中
馬車の中で、当たり前のようにイーギス様は私の隣に座る。手が触れないように、私はスカートの上に手を置いた。
「ナターシャの服可愛いね」
「ですよね、大好きなんですこの制服」
【麗しの花姫】は学園が舞台だったからほとんどが制服だった。毎回見る女子制服が可愛くて、学生時代だったら着てみたいと思ったことがあるほどだった。もちろん男子制服も気合が入っててかっこいい。肘をついて窓の外を見るイーギス様に日差しが差し込んでいて、まるでスチルみたいだった。
「幸せ」
「んー?俺といられて幸せ?」
呟いた言葉にイーギス様が振り向いて笑う。私はくすっと笑った。
「この世界に来れて、ですよ」
「またそんなこと言って……」
時折話すゲームの話を、イーギス様は半信半疑で聞いている。イーギス様は私の手を掴んだ。
「元の世界に帰っちゃう、なんて言わないでよ?」
冗談っぽく、イーギス様が私に尋ねる。私はすぐには答えられなかった。
「……どうでしょう」
それは私にもわからない。転生者のヒロインは現代に帰らないことの方が多い。私だって死んでしまったのだから、帰っても肉体がないだろう。ただただ、そうならないことを願うばかりだ。じゃなきゃイーギス様の婚約者は、あの悪役令嬢ナターシャになってしまう。曖昧な返事をする私を、イーギス様は抱きしめた。
「ちょ、イーギス様!」
その体で安易に抱きしめないでください!イーギス様の背中を叩くが、イーギス様の力は強くなる。
「ずっと俺のそばにいてね、ナターシャ」
イーギス様の肩が震えていて動揺する。泣いてるのだろうか。……でも、私は情に絆されるわけにはいかないから。
「私以外と幸せになってください!」
何度言えば伝わるのだろうか。イーギス様のヒロインはフローラだって。私の言葉にイーギス様はため息を吐く。
「またそれ?無駄だって。俺はナターシャにしか興味がない」
「でもでも、フローラも成長してますよ。もっと可愛くなってるんじゃないですか?」
見た瞬間に惚れる、なんてこともあるのかも。王子とフローラがそうだったように。なんて妄想してるとイーギス様が拗ねたような声を出す。
「フローラなんてどうでもいいよ」
「どうでも良くないですよ。ヒロインなんだから」
相変わらずフローラに興味を示さないイーギス様。タイプじゃないなんてことないはずなんだけど、私がいる弊害が大きすぎる。何とかして、フローラをイーギス様ルートに進めなきゃ。そうじゃなきゃ私がこの世界に来た意味がないのだ。イーギス様が私から離れて苦笑する。
「俺にとってはナターシャがヒロインだけどね」
「私は悪役令嬢っていう歴としたポジションがあるのです」
大した悪事は出来ないけど、イーギス様の邪魔をしない程度にはナターシャになりきらなきゃいけなくて。あの心優しいフローラと対立するのは心苦しかった。
「ナターシャ、顔強張ってる」
私の頬をつついて、イーギス様が眉を下げる。
「私は大丈夫です」
「困ったら俺を頼ってね」
おいで、と手を拡げるイーギス様を無視して私は窓の外を眺めた。異世界の景色を見続けてると、現代の景色がわからなくなってくる。私もすっかり異世界に染まってきたみたいだ。




