9.3 好きなもの③
「一体何してる部活なんだ? ペン回し部って」
根古屋の素朴な疑問に、俺とユニ助は顔を見合わせた。
「特に決まったことはしてないな」
「今はな! ペン回し部設立で忙しくて!」
「『ペン回し禁止令』もあるからねー」
「……ん?」
パーコが何気なく発した聞き慣れない単語に、根古屋はぴくりと眉を動かす。そのわずかな困惑を、少なくとも俺は見逃さなかった。
「芽ヶ崎と『ペン回しで戦ったり』な。流血沙汰になるとは思わなかったが、あの逆モヒカンには笑わせてもらったな」
「いやー私たちもけっこう頑張ったじゃん? 『暗号ポスター』貼りまくったり!」
「え? 暗号? え?」
根古屋はまるで迷子の子供のように、きょろきょろと俺とパーコを見回す。パーコがこっそり俺に目配せし、いたずらっぽく笑う。
「ポスターと言やぁ『風紀委員』がうっとーしーんだよな! 授業中にペン回しもできやしねーよ!」
「『同好会潰し』め、仕事は果たしたということか……」
「ちょ! ちょっと待ってくれ! 知らないことをいっぱい言うな! ……クソっ、何笑ってんだ! このボクをからかってるのか!?」
根古屋は羞恥に頬を染めてわめいた。思った以上に良いリアクションをする。こいつ、意外といじられキャラか。
「だはははっ! 根古屋も可愛いとこあんな!」
「か、かか、かわっ……!?」
根古屋は声が裏返り、真っ赤な髪に負けないくらい赤面する。
「な、シロー!」
「……」
アホ。俺に同意を求めるな。根古屋のしらっとした目が痛い。待て、俺は悪くない。この鈍感ペン回しバカが悪い。
「……こほん。そもそも、ペン回し部なんて作れるアテはあるのか?」
落ち着きを取り戻した根古屋がもっともな疑問を口にする。俺は責任者としてその問いに答えた。
「良いニュースと悪いニュースがある。良いニュースは、根古屋の加入によって規定の5人を達成したこと。悪いニュースは、諸事情によってこの学校ではペン回しのイメージが最悪なことと、顧問がいないことと、申請期限まで今日を入れてあと4日ってこと」
「承認の審査とかあるのか?」
「校則には、部活動管理担当責任者の認可を受けること、とある」
「つまりオニヅカのヤローに認めさせねーといけねーんだよ!」
「ああ、あの人か……」
根古屋は、まるでサンマのはらわたを口の中から吐き出すような苦々しい顔で言った。オニヅカこと大塚先生の、鬼のような形相が浮かぶ。根古屋も世話になった経験があるんだろう。
そんなことを考えながら、俺は机の下で握った手の中に汗をかいていた。心臓が強く脈打ち、呼吸が無意識に荒くなっていないかと気をつける。ナイフを手にした真夜中の少年のイメージが浮かぶ。音を立てないように深呼吸をして、俺はこの均衡を破る決意をした。
「その話なんだがな」
一同の視線が一斉に俺に集まる。俺はもう引き返せないことを悟った。なら、後は腹をくくるだけ。俺が何者かになるための、一世一代の大勝負。盛り上がってきやがった。
「ペン回し部を作る方法を考えたぜ」
ユニ助は「おお!」と軽く手を叩く。俺は立ち上がると皆の前で振り向いた。
「さっきも言ったが、越えるべき壁はあと2つ。顧問の確保と、申請の認可。この2つの問題点の本質は、ペン回しに不真面目なイメージがあること。だから誰も顧問をやりたがらないし、そんな得体の知れない部活を認可しようと思わない。ここまではいいか?」
誰ともなく頷く。それを確認して、俺は次の段階に進む。
「じゃあ、それを解決するためにどうするか。これも2つ。1つ目は、ペン回しのイメージを改善する。でもこれは、残り4日という期限を考えると現実的じゃない。そこで、2つ目。部活からペン回し要素を無くす」
ペン回しを愛するユニ助の前でこれを言うのは少し辛かった。喉がカラカラに渇いている。言葉を切って生唾を呑み込む。
「ペン回し部を、文芸部に改名する。そして、徹底的にペン回し要素をなくすために、ユニ助には部長から降りてもらう。新しい部長は、相応しいやつをこの中から募ってもいいし、なんなら俺が引き受けてもいい」
腹の底が熱くなって小刻みに震えた。この演説が成功したら、俺は文芸部を復活させた新生初代部長としてこの高校に名を残すだろう。ユニ助が作ってきた天下餅を最後にかっさらうのは申し訳ない気もするが、やつは出世欲とは無縁の男だ。そして、俺はそれが欲しい。利害関係の凸と凹が噛み合う。理想的な相棒だ。
「文芸部?」
先輩が聞き返す。首を傾げる小動物然とした動作に合わせて、肩の下で外ハネにした髪が揺れる。
「文芸部って言っても変えるのは名前と部長だけで、内容は今までと同じです。まあ、表向きには、文化祭に雑誌でも出せば文句ないだろ」
話しながら少し焦っていた。パーコたちのリアクションが薄いことに気づいていた。無意識のうちに早口になっている。ここが正念場だ。大丈夫、俺のロジックに隙はない。俺は自己弁護でもするみたいに続けた。
「こうすればさっき言った2つの問題は解決する。実は、文芸部なら顧問をやってくれる人を既に見つけてある。それに、文芸部は数年前までこの高校にあったらしい。それをただ復活させようってんだから、認可のハードルも低いはずだ。最初にも言ったが時間がない。この居場所を守るには他に方法はない。俺からは以上だ」
そう締めくくって席に着く。心拍数が増加している。それが、極めて日常的なこの空き教室にミスマッチな気がして、呼吸の荒さを悟られないように努力した。
「ユニ助的にはどう?」
パーコはユニ助に水を向ける。俺のアイデアにスゴいの一言もないのはいいとしても、まるで自分の感想を言わないようにも見えた。
「俺は難しいことはわかんねーからよ! シローがそうしたいってんなら着いてくぜ!」
ユニ助は混じり気のない笑顔を俺に向けた。この俺を信頼しきっている。それが苦しい。本来なら、ユニ助の夢を叶える助けができて嬉しいはずなのに。この矛盾は何だ。俺は何かを間違えているのか? いや、そんな気がするだけか。何者かになるビッグイベントを前に怖気付いているだけか。一連の発言を全てなかったことにしたいと揺れ動く不安定な心は武者震いと言語化されるものなのか。ペン回し部を設立するために最適化された方法を取ると、俺はユニ助から部長の座を奪わざるを得ない。いや、そもそもそれは本当に最適な道なのか。それとも自分が何者かになることを優先して、何か大切なものを意図的に見落としているのか。不意に宿泊研修で芽ヶ崎と戦った記憶が蘇った。何が何だかよく分からなくなった。
「――遊仁。お前はそれでいいのか? お前がご大層に語った夢はこんなことか?」
根古屋が静寂を破った。俺はなぜか背中に冷や汗をかいた。
「せっかくぶっ飛んだことしてんだから最後までぶっ飛べよ。何が文芸部だ。バカかくだらねー。んなネズミのひり出したゲロみてーなアイデア、聞くだけで耳が腐んぜ」
ぴり、と空気が重みも持つ。パーコは口元だけを微笑させて俺の様子をうかがう。この空気を上手く換気する方向を探っているようだった。
「……ごめん、言い過ぎた。前もこれでダメんなったんだ」
根古屋は机に両肘をついて顔を覆った。空気の緊張は解けたものの、その代わりに暗くなる。
「代案は?」
俺はそう問いながら、我ながらずるいなと思った。俺はペン回し部を作る方法を、およそ1ヶ月間ずっと考えていたのだ。自問自答を繰り返して論理に少しの隙もないように磨き続けた。そして、それを部員全員に納得させる完璧なプレゼンも。
通学電車に揺られながら、授業中に板書を写しながら、ユニ助と駄弁って昼飯を食いながら、ペン回しの練習をしながら、根古屋の元に向かうユニ助を見送りながら、帰り道を歩きながら、湯船に浸かりながら、宿題をしながら、布団の中で目を閉じながら、ずっと。ずっとだ。風邪の日の頭痛みたいに、頭の片隅に未解決のモヤモヤとしたものを住まわせてきた。
悪いな、根古屋。これだけは、お前に譲れない。確かにお前の音楽の能力はすごいよ。才能に加えて何年も努力を積み重ねて、もはや俺が一生かかっても辿り着けないところにいる。でも、今日この場において、ことペン回し部に関して、俺に敵う人間は存在しない。ペン回し部の頭脳は、俺だ。今日初めて来たような奴に、崩せる代物じゃない。
俺は静かな敵意を根古屋に持っていた。自分がこんなに何かに真剣になれたことに、自分で驚いていた。しかし、根古屋は先ほどまでの烈火のような態度を一転、日向ぼっこする猫のような穏やかさでこう言った。
「なんて言うか、部外者のボクの感じ方なんだけどさ。……ペン回しペン回し言ってるけど、遊仁しかペン回ししてないじゃん」
「た……たしかにっ!! 言われてみればっ!!」
パーコがアホ面で反応する。根古屋はそちらを振り向き話を続ける。
「お前はルービックキューブ、キャロさんはヨーヨー。それでいくとボクは音楽か。みんなバラバラの特技持ってんならさ。それ磨く部活ってことにすればいいじゃん?」
流れが変わったのを肌で感じた。根古屋を中心に周囲を引きつける引力が働いている。俺が組み立てた完璧な理論が傍に置かれて、この場にいる皆が根古屋の話に耳を奪われている。
「……特技……能力……一芸……」
先輩がいくつか単語を呟けば、それを聞いた根古屋がパチリと指を鳴らした。
「一芸研究会」
「おお! なんかかっけえな!」
「え!? それヤバくない!? それならシローが言ってくれた問題もクリアじゃん!?」
「けっ」
俺の発した悪態は、盛り上がっている空気の隙間に入り込み、思いの外目立った。首元をかき、その指で肩にかかる髪を払った。
「新入りが絵空事抜かしてんじゃねえ。顧問はどうするつもりだ?」
精一杯の虚勢を張ったが、俺にはもう、その一点しか残されていなかった。だがそれも、根古屋の返事を聞く前に自分で答えが分かってしまった。根古屋の口から正解が飛び出すまでの永遠にも感じるほどの短い間、俺は根古屋を主人公とした物語のかませ犬になっている現状を味わった。皆の視線がまるで昆虫標本のピンみたいに俺の全身に縫い付き、身動きひとつ取れずに見せ物にされる。
「ボクが亀掛川先生に直談判する。顧問を断る理由があるなら聞かせてほしいね」
根古屋は自信たっぷりに、にやりと笑いかける。突如として実装された根古屋薙というSSR新キャラクターが、ペン回し部のこれまでの環境を破壊して新たな秩序を作っていく。
「根古屋!」
そんな中、ユニ助が言った。
「すげーアイデアだな! でもな! 俺は、このことはシローに任せたんだ! だから……」
「いいよ」
俺はユニ助の言葉を遮るようにして言った。個人的な感情で全体を台無しにするほどアホではない。根古屋の案を潔く認める。それが、生存競争に敗北した俺の最後のプライドだった。しかし、ユニ助、お前も残酷だな。俺の口から言わせるとは。
「一芸研究会。それで行こう」
それは、皮膚が擦りむけて肉が露出し、そよ風すら鋭敏に感じ取る傷口に、消毒液が容赦なくしみて刺すような激痛が走るさまに似ていた。




