7.2 雨上がりの夜空に②
「ペン回し部は廃部です……廃部……」
俺たちは何の救いも得られぬまま地学準備室を後にした。ユニ助はそのえげつないせりふをうわごとのように呟きながら廊下を歩いていた。足元がふらついている。
「シロー、ハイブってなんだっけ?」
廊下の真ん中で足を止めて、ユニ助は俺に訊ねた。上目遣いが涙目になっている。ここで夢を見せるのは逆に酷ってもんだろう。
「部活がなくなっちまうことだな」
「ぐはあっ! くそっ、絶望をダイレクトにお届けしやがって!」
頭を抱えてユニ助が叫ぶ。言動がコミカルなせいで分かりづらいが、コイツなりにダメージを負っているんだろうことは今までの付き合いからなんとなく察せられる。それはそうだろう。夢の実現を信じて険しい道を少しずつ進んできたのに、部活設立というゴール自体が更地になっちまったんだから。
「げ、元気出しなよ! 廃部なんてものの例えだし、今から徳積めばワンチャンあるかもよ!? いや絶対ある!」
パーコが引きつった笑顔で励まそうとしている。前を開けたブレザーにゆるい胸元のリボン。攻めたスカートの丈に活動的なスニーカーが、ゴールデンウィークが明けた春真っ盛りの爽やかな季節に合っている。ふわふわとしたウェーブのかかった金髪のショートボブは、初めて会ったときよりもわずかに長くなっている。ポニーテールが夢だとか。
とても背が高いので、ユニ助を励ます様子は同級生というより歳の離れた姉弟に見える。まあそれはさておき俺もその励ましに便乗することにした。
「亀掛川先生の言う通り、しばらく大人しくしてようぜ」
「それもそうだな! 人の噂も四十九日って言うし!」
切り替え早いな。安堵半分、呆れ半分の俺はため息をついた。
「七十五日だアホ、縁起でもない」
俺たちはなるべく目立たないように過ごすことにした。授業時間外のペン回しすら控え、ペン回し部への勧誘活動も自粛した。ユニ助にとって苦行のような日々が続いた。
……そして1週間が経った。
俺たちを取り巻く状況は何も変化しなかった。むしろ、授業中のペン回しはより厳しく禁止され、ペン回しへのヘイトは高まるばかりだ。『風紀委員』がペンを監視し、違反者は罰として反省文を書かされるという見事なまでのディストピアが形成されていた。
「どうするシロー? まだ待つか?」
とある放課後、いつもの空き教室に集合したユニ助が訊ねてきた。ペン回し断ちの反動で、この部屋に来てからというもののずっと両手でペン回しをし続けている。
ペン回しの禁断症状を知っているだろうか。ペンに限らず、スティックのりや定規はもちろん、小さいほうきからコッペパンに至るまで、細長いものを手当たり次第指で挟んで回しそうになるのだ。ペン回しジャンキー恐るべしといったところだ。
「いや限界だ。部活の申請期限まで2週間を切った。少なくともこの期間内にペン回しの評価が改善されることはない。今は部活設立のために動くべきだ」
……ペン回し部をどう大塚先生に認めさせたらいいかは分かんねーけど。
「よっしゃ! それじゃ、俺は根古屋んとこ行ってくるぜ!」
「ユニ助ってねこやなちゃんとこ行って何してんの?」
これはパーコの質問。
「おーそれがよ! 最近、根古屋が機嫌いい日にちょっと話してんだぜ! インターホン越しにだけどな!」
「すご! どんな話してんの!?」
「しつこいとか迷惑とか、もう来んなとかいろいろだ!」
「あ、あぁ〜……まぁ、進展、かな……?」
前まではインターホンですら拒絶してたんだから、確かに進展だろう。ペン回しで培った粘り強さが身を結んだようで結構だが、根古屋と仲良くなることが目的にすり替わってないか?
「ユニ助」
席を立つユニ助に俺は声をかけた。ユニ助はきょとんとした顔でこちらを見た。
「優先順位を間違えるなよ?」
ペン回し部の設立を現実的に考えた場合、根古屋の加入にいつまで労力を注ぐのかは見直さねばならない。ユニ助が根古屋に構っているのは、亀掛川先生を顧問として獲得するためだ。先生は受け持ちの不良生徒である根古屋 薙を社会復帰させて部員にすることで、部活としての有用性を示すことを顧問を引き受ける条件に設定した。
顧問の先生に部員までついてきてラッキーぐらいのテンションで当初は引き受けたものの、この根古屋が曲者で全く心を開かない。登校すらしないのに、あとたった2週間で根古屋がペン回し部の部員になる未来が俺には見えない。
先生には根古屋のことは諦めてもらうか、そもそも別の方法で有用性を示すか。負けイベントに時間をかけて取り返しがつかなくなるより、顧問を引き受ける条件を軽くするように交渉する方が部活が設立する確率は高いと考えている。
ユニ助には酷な話だが、泥沼に突っ込みそうなら船が沈まぬように舵を切るのもリーダーの務めだ。
「お前が根古屋んとこ通ってるのは亀掛川先生に顧問になってもらうためだろ。でも、今のままじゃヤツが部員になる未来が見えない。二兎追うものはなんとやらってやつだよ。まずは亀掛川先生に頼んで、顧問になる条件を……」
「確かにな! それは俺も思ってたところだ! ありがとシロー、亀掛川先生んとこ行ってくるぜ! じゃ!」
ユニ助は笑顔で俺に手を振り、教室のドアを開けて出て行った。なんだ、やけに聞き分けがいいじゃないか。
「……」
……大丈夫か?
* * *
翌日。朝のホームルームが始まる前に、俺はユニ助にその話をした。
「ああ! 昨日はありがとな! お前の言う通り亀掛川先生に頼んで、顧問になってもらう話はナシにしてもらったぜ!」
「そうか……はぁ!?」
「気づかなかったぜ! 確かに、ペン回し部のために根古屋と関わるみたいになってんのは失礼だよな!」
こいつ……何も分かってない! 呆れを通り越して怒りが湧いてくる。だが今はみんながいる教室の中なので、クールキャラをかなぐり捨ててやつの頭をグリグリするのは我慢だ。
眉間に指を当てて深く息を吐くと、ユニ助はアホ面でサムズアップしてきやがった。その腹立つドヤ顔を見ていると、俺は自分でも気づかぬうちに立ち上がり、ユニ助の胸ぐらを両手でつかんで激しく揺さぶっていた。
「ラリってんのかてめえはああああ!? どっち切り捨ててんだよ!?」
「ぐえええええ! ……ん、切り捨てる?」
前後に揺さぶられながらユニ助が聞き返した。我に帰った俺は胸ぐらをつかむ握力を弱める。
「あー……だから、いつ根古屋を損切りするかっつーこと」
「ああっ、そーいうことかよ!? シローお前そーいうとこあるぞ! 損とか切り捨てるとかよ! 仲間ってそんなんじゃねーだろ!?」
俺の手を払いのけ、ユニ助は憮然とした顔をする。けっ、この脳みそコロコロコミックが。理想を語るのはアホでもできるんだよ。
「だからって部活作れなきゃ意味ないだろ」
「それなんだけどな! 一応俺にも考えがあるからよ! お前みたく上手く言葉にできねーけど聞いてくれ!」
ユニ助は珍しく難しい顔をする。頭の中の考えを、なるべく形を崩すことなく伝える言葉を考えているんだろう。
「俺がペン回し部作ろうとしてんのは、心ん中のなんかを守るためなんだ! でも、ここで根古屋を見捨てたら、そのなんかが死んじまう気がする。そんな状態で部活なんか作っても意味がねーんだ……言ってること分かるか?」
「……」
正直言って俺には分からない。ペン回し部の設立という念願が成就する可能性を下げてまで優先するものなんてあるのか。だが、ユニ助がそれを守るために芽ヶ崎と戦ったなら、その勝利の先に存在しているこの部活を、それのために危機にさらすのを俺に止める権利はない。まあ、人の心とかは俺の専門外だ。
「まあ大丈夫だ! 根古屋のことは俺に任せろ! そんで、お前はなんとかして部活を作れ! お前は俺ができないことを頭使ってやってくれる! そういうやつだ!」
好き勝手言いやがってクソが……と悪態の一つもつきたくなるが、人に頼られるのは素直に嬉しい。それに、自分のはたらきで部活が設立できたら、俺は何者かになれる気がする。
「ハァ、しょーがねーな。やってやるよ。……ちなみに、顧問の話を撤回することは」
「だはは! スマン、できねえ! もう根古屋に言っちまった! それじゃあお前に何のメリットがあるんだよって根古屋もめっちゃ驚いてたぜ!」
「そりゃそうだろうよ……! けっ、アホな大将持つと苦労するぜ」
俺は席につき、肩にかかる髪を払った。これをクリアしたら俺は何者かになれる。自分の言葉を繰り返す。俺はブレザーの内ポケットからハッカのロリポップを取り出し……ホームルームが近いことを思い出して元通りしまった。




