天井の向こう側
「な、なんで、床に寝転がってるの!?」
トゥヴァの第一声だった。
私は自室で、床に寝転びながら足だけをベッドの上に乗せていた。いきなり人の部屋に入ってきてその言い方はどうかと思いつつも、特に責める気も起きなかった。
「こうするとさ、足が楽になるんだよ。なんか、乳酸とか、血流とか…とにかく疲れが取れるらしいから」
そう言うと、トゥヴァは「へえ…」と興味深そうに周りを見回してから、私の方に視線を戻してきた。
「セリスは? いないの?」
「うん、今日は別行動」
トゥヴァはちょっと意外そうな顔をする。
私とセリスがいつも一緒にいる印象だったのだろう。でも、だからといってずっと一緒というのも、どこか窮屈だ。私たちは自然に一緒にいるだけで、意識して距離を詰めてるわけじゃない。…いや、私は少し意識してるかもしれないけど。
するとトゥヴァが、少しもじもじと私に近づき、覗き込むように言った。
「わ、私もやってみていい?」
まさか隣で?と内心思いつつも、断る理由もない。暇だったし、誰かと話したい気分だった。トゥヴァも、きっと同じだ。
彼女は私の隣に寝転がり、足をベッドに上げる。
「どう?」
「うーん、わかんないけど……ちょっと楽かも?」
「でしょー?」
私はふふんと得意げに笑う。隣のトゥヴァは、まだどこかぎこちない。
そして、ぽつりと問いかけるように言った。
「ねえ、セリスのこと……彼女って天才で、冷静で、なんでもそつなくこなすでしょ? 努力なんか知らなくても、すごくて、完璧で……。そういう彼女と、どうして一緒にいられるの?」
言葉には、少しの嫉妬と、少しの羨望が滲んでいた。
私は一度、目を閉じて考える。
――確かにセリスはそうだ。誰もが一度は思う。私だって、そうだった。
だけど、それだけじゃなかった。
彼女の動き、考え方、すべてが最適解のようで、私には到底届かないように見えた。けれど――最初に見たあの時、彼女の舞うような身のこなしに、私は心を奪われた。
ただそれだけ。
気づいたら、彼女の背中を追っていた。
それを全部話すには、ちょっと照れくさすぎて、私は簡単に返した。
「……セリスのこと、私はずっと目標にしてるんだ。努力はちゃんと結果になるって、そう信じてるから」
トゥヴァは静かに頷いた。
「そっか……セラは、努力してるんだね。みんな、そうだよね。みんな、頑張ってるんだよね……」
彼女はインナーの裾をぎゅっと握りしめた。その手の震えが、胸に刺さる。
「私ね……ここに来る前、お母さんと二人暮らしだったの。家は貧乏で、お母さんも病気であまり働けなくて……。だから、私、勉強して、いい学校に行って……お母さんを助けたかったの」
声が、震えていた。
「少ないお金で教材を買ってもらって、頑張って学校に行ったのに……全然わからなかったの! 教科書も、授業も……先生も教えてくれない。みんな私のこと馬鹿にして……。でも、頑張って、努力して、見返してやろうって……」
その言葉とともに、トゥヴァの表情が崩れていく。涙が頬を伝い、止まらない。
「……でも、熱が出ちゃって。知恵熱って言われたけど、甘く見てたら……どんどん悪化して、合併症で入院して……。大切な試験も受けられなかった。全部、全部無駄になったの」
ひとりで背負いすぎた想いが、いま、少しずつ崩れて溢れ出す。
「入院中、軍から書類が来たの。……入隊すれば、お金がもらえるって。だから……私、サインしたの」
トゥヴァの小さな手を、私はそっと包む。その冷えた指が、私の手を握り返してきた。
「……お母さん、泣いてたの」
それは後悔のようで、謝罪のようで、それでも決して逃げなかった少女の声だった。