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神を殺した世界にて  作者: ほてぽて林檎
第2部:その手はまだ繋がって
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足を進めて

 


 五周。思ったより、あっという間だった。



 走り切った者たちが、思い思いの姿勢で呼吸を整えている。地面に座り込む者、膝に手をつく者、ぼんやりと天井を仰ぐ者もいた。



 その中で、セリス――彼女だけは静かに、そして当たり前のように柔軟を始めていた。



 足を肩幅に開き、深く体を折り、静かに吐く息。



 動じた様子もなく、まるで今しがたの5周が“準備”であったかのような穏やかさだった。



 私はその様子を横目に、地面に目を落とし、大きく息を吐いた。



 体の芯から湯気が立ち上っているような気がした。


 肌にこびりついた汗と熱気、湿った空気がじわりと肌を包む。


 額から汗が一筋、ポタリと地に落ちる。

 それを拭う余裕すらなく、手の甲でなんとなく払っただけだった。



 インナーが肌に張りついている。色も濃く変わっていて、自分でも気づくほど。



 足が小刻みに震えていた。痙攣のように、筋肉がピクピクと反応している。


 一歩動かすだけでも苦労しそうだった。



 ――そうだ、私は病院で寝込んでいた。

 忘れかけていたけど、まだ体は完全じゃない。



 これは……筋肉痛、確定かもしれない。



 参ったな。


 でも、トゥヴァのペースに合わせてたから、まだマシだったのかも……。


 いや、あまり変わらないかもしれない。どのみち全身が悲鳴を上げている。



 横に目をやると、トゥヴァが膝に手をつき、全身で呼吸をしていた。



 口を開け、肩を大きく上下させ、まるで壊れた機械のように動きを止めている。



 髪も頬も、濡れて光っていた。



 あれだけ堂々としていた彼女が、汗を拭くことすら忘れて、ただうつむいていた。



 まるで……足が棒のようになって動かなくなったかのように。



「ほら、歩くよ」



 私は声をかけた。



 彼女は顔を上げた。

 それはまるで、「まだ走るの?」とでも言いたげな目だった。



「……もぅ、むり。やだ……足、動かない。もう終わったでしょ……?」


 苦しげに吐き出したその声。

 わかってる。わかってるけど。



 私は無言で、手を差し出した。


 トゥヴァは、その手を睨んだ。

 怒っているわけではない。悔しいのだろう。情けない自分が、悔しくてたまらないのだろう。



 その顔は赤く火照り、呼吸はまだ荒い。



 それでも――


 彼女は観念したように、私の手を掴んだ。



 指が、思ったよりもしっかりと力を込めていた。



 私はその手を引いた。



 すると、彼女の足が、一歩、踏み出す。

 まるで生まれたての子牛のような、頼りなくぎこちない足取りだった。


 それでも、確かに前に進んだ。


「ほら? 歩ける、歩ける」



 私は笑う。



 彼女の足元はまだ不安定だけれど、止まっていない。

 それが、何よりも大事なことだった。



 周囲を見れば、まだ四割ほどの生徒たちが走っていた。


 その数も、少しずつ減っていく。



 最後まで残るのは――オルエと、水分補給を多く取ってしまった子たちだろう。


 けれど今、私たちはもう走っていない。

 それだけで、少しだけ勝ったような気がした。


 この足はまだ動く。

 そう思えるだけで、今日の朝は――少しだけ、いい朝だった。

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