揺れる距離感
食堂の扉を勢いよく押し開けると、私はそのまま中へと飛び込んだ。
後ろを振り返れば、トゥヴァが必死な形相で追いかけてくる。
「もぅ!なんで走るのよ!」
息を切らしながらぷんぷんと怒る声が聞こえる。
「ごめんごめん、じゃあ代わりに水汲んであげるってば」
私は笑いながら、水用のコップを二つ手に取り、冷たい水を注ぐ。
ひとつは自分用、もうひとつをトゥヴァへと手渡す。
「あ……ありがと……」
照れくさそうにしながら、彼女はごくごくと喉を鳴らして水を飲み干した。
その時ふと、食堂の奥にセリスの姿を見つける。
静かにコップを持ち、水を口にしていた。いつもの柔らかな仕草。
私は思わず手を振って、声をかけた。
「せーりーすーー!!」
私の呼びかけに、彼女は少し驚いたように目を見開き、それから控えめに手を振り返す。
いつもと変わらぬ優しい微笑み。……それだけで、少し安心する。
セリスの元へ歩いて近づくと、私はいつものように挨拶を口にした。
「おはよう、リリィ」
その名を呼んだ自分の口元に、すぐに小さな「しまった」という後悔が浮かぶ。
しかしセリスは、一呼吸おいてから静かに返してくれた。
「ええ、おはよう、アイリス」
――"アイリス"。その名だけ、彼女はそっと、囁くように。
後ろから、ひそやかに問いかける声が聞こえる。
「セラ? リリィって……誰のこと……?」
トゥヴァの疑問に、私はハッとして立ち止まる。
無意識だった。ただ、いつものように呼んだだけなのに。
「こ、コホン。セリスはこの後、集合場所に行くんだよね?」
話題を逸らすように、私は少し強引に会話を切り替えた。
セリスは気にも留めないような様子で、落ち着いた口調で答える。
「ええ、そうね。そろそろ時間だもの」
その柔らかな態度に、隣のトゥヴァが小さな声でぽつりと呟く。
「……ずるい……」
その言葉が私の耳に届く前に、彼女はもう一度唇を引き結び、
セリスからの挨拶に、少しそっけなく会釈を返す。
まるで――敵意とも、ライバル心ともつかぬ、複雑な感情を抱えているかのように。
けれど、それはトゥヴァだけの想いだ。
セリスは、ただ変わらぬ穏やかさをその目にたたえている。
私はセリスの隣に並ぶ。自然な流れで、トゥヴァも私の隣に立った。
「よく眠れた?」
私の問いかけに、セリスは微笑みながら返す。
「ええ。……夢で、一緒に演技をする夢を見たわ」
「へぇ。今ならいつでも、付き合えるよ?」
少し冗談交じりに、でもどこか自信たっぷりに言ってみせる。
その言葉に、セリスはふふっと微笑む。
「つ、付き合うって……な、なに!? なにを……!」
トゥヴァが顔を赤くして声を上げた。
誤解してるのか、していないのか。けれどその反応が、なんだかおかしくて。
(……こういうの、ちょっと意地悪したくなる)
私はわざと何も否定せず、にやりと笑ってみせる。
「も、もぉーーっ!!!」
トゥヴァが顔を真っ赤にして怒った。
そんなやりとりの後、セリスがそっと声をかける。
「そろそろ、行きましょう」
彼女の言葉で、私たちは並んで歩き出す。




