平和なとき
「スリンが、王になったか」
ディオネは学舎の中で感慨深げにつぶやいた。
この日は、ナレシと久しぶりにゆっくりと話をしていた。その中でスリンのこと出てきたのだった。
「そうか。真の追われし者の君と陛下は知り合いだったね」
「ああ」
しばしの沈黙。
「これからどうする」
ナレシはディオネに問うた。
「どうする、とは」
「イレサイン・メルーナーの処置、悪鬼に取りつかれた家族についてだ」
ディオネは少し顔をしかめた。結局そっちの方に話が行ってしまう。
ディオネは考え考え、口を開いた。
「イレサインの処置はスリンに任せる。イグノアも」
イグノアは数日前に学舎を去っていた。メルーナーとのつながりが判明したからだった」
「悪鬼に取りつかれた家族については、少し、歴史を調べてみるよ」
「しかし、イレサインはフェリア狩りをしていると聞くが、陛下が対象になる可能性は」
その時、ディオネの頭の中にある言葉が飛び込んできた。
こんなことは初めてだった。
「悪い知らせだ。カンディ閣下が何者かに襲われたらしい。幸い命はとりとめたが、寝台から起き上がることもできないとのことだ」
ナレシは一瞬怪訝そうな顔をしたが、ディオネの力のことを思い出し、うなずいた。
「やったのは、イレサイン・メルーナーではないか、と」
ためらいがちに口を開いたディオネの顔には苦悶の表情が浮かんでいた。
「いったいイレサインは何がしたいんだ」
ナレシは怒った。それはもう、激しく。
ディオネはナレシをなだめるかのように言葉をつづけた。
「メルーナーをかばうわけじゃないが、俺はこの事件の裏にはほかのやつが絡んでいるのではないかと考えている。
怪しいのは、エルウィン」
そこでようやくナレシは少し落ち着いたようだった。
「エルウィンか」
そう、合点がいったように首肯する。
「あれならば自分が宰相になるためにどんな手段でも使いかねない。だが今あれは表舞台に出てこない。おそらく何か不慮の事故でもあったのだろう。
陰で彼を操っているのは、おそらく、サーミル。トーウ・サーミル。わが愚弟だ」
「トーウ・サーミル、か」
「俺は真の追われし者になったから、もう関係はないがな。
先王に気にいられ、宰相にまで上り詰めた輩だ。
エルウィンはイレサイン分家の末弟だ。とはいえ、イグノアが力を貸したようだから、メルーナーを操るのはたやすい。いくら真の追われし者となったとはいえ、偽の魔術師は家から逃れることはできないのだから」
「しかし、どうしてそこまでイレサインがエルウィンに入れ込むのだ?あまり利益は内容に思える。イレサインらしくもない」
最後の一言は実に忌々しそうにナレシは吐き捨てた。
「ヴィカがトーウ分家の次男なんだよ」
それで、とナレシはようやく納得したようだ。
「さて、問題は、どうやってイレサインを押しとどめておくかだが、これに関しては、当代の魔女、メノウの力が借りられるのではないか、と踏んでいる」
ナレシは苦笑した。
「お前、お偉いさん方とつながりがありすぎだよ。
当然、使える手は、すべて使うよな」
脅しにも似たような言葉にも、ディオネは少しも臆することなく答えた。
「ああ、使うさ。それでなければ、真の追われし者になった意味がない」
ナレシは安心したようだった。
「それはよかった。お前のことだから、かわいそうだとかなんだとかで結局何もしないんじゃないかと思っただけだから」
「それは、ずいぶんと高い評価をしていただけていたようで」
ディオネがふざけて言うと、ナレシは大声をあげて笑った。ディオネもそれに続けて笑った。こんなに笑ったのはこれまでしばらくはなかった。そしてまたこの先にもしばらくないと、二人にはわかっていた。
「それじゃあ」
ひとしきり笑うと、ナレシは杖を突いて立ち上がった。
「もう少し、ゆっくりして行けよ」
ディオネはナレシを引き留めたが、ナレシは笑って首を横に振った。
「精霊たちにやきもちをやかせてしまうのでね。また何かあったら『風に乗せて』ね」
ディオネは頷いた。
「分かった。今日はありがとう」
そしてディオネはナレシを玄関まで送り届けると、ナレシの後ろ姿が見えなくなるまでずっと見続けていた。




