第1話 振袖と升酒と汗血馬の騎手
ここは東和共和国の首都東部に広がるかつての日本国の東京東部を思わせるごちゃごちゃと民家が並ぶ狭苦しい街。
そのあちこちには歴史があるとされる寺社が並び、まだ日も登っていないと言うのに街の住人が寒空の下次々と笑い合いながらその前に並ぶ出店の前を歩いていた。
そんな下町は新年の祭りの熱気に包まれていた。
人いきれと屋台の匂いと、浮かれた笑い声。その賑わいはいかにも正月らしかった。
そんな中、正月の出店を仕切るための狭苦しい仮設テントの中で。いきなり、西園寺かなめ大尉が大きめの升酒を噴き出した。
司法局実働部隊機動部隊第一小隊、二番機担当のが彼女だった。
彼女のあまりに突然の奇行に同じく三番機担当の神前誠曹長は驚いた顔で自分の上司の顔を見つめた。
かなめの吐いた日本酒の匂いがあたりに充満してあまり酒は強い方ではない誠は思わず顔をしかめた。
かなめは何か面白い事でもあったらしく、爆笑を続けているが誠にはその理由が分からなかった。そして、かなめの代わりに酒の吹きかけられた相手に謝るべく、誠はその先を冷や汗をかきながら怯えた様子で覗き見た。
ただでさえ冷えるまだ日が昇ったばかりの新年の冷たい空気が誠にはさらに冷たく感じられた。
酒が吹きかけられたのはどうにも堅気とは思えない鋭い目つきの出店を仕切っている元締めという風格の男だった。
やくざが相手だろうが怯むどころか、そのまま無言で張り倒したり腕をへし折ったりなどの暴力を振るうことも平然とやるそんな元特殊工作員上がりのかなめである。彼女なら自分が誰に酒を吹きかけようがまるで気にせずに笑い続けている今の現状も誠には納得がいく。
一方の誠は筋肉質でいかにもスポーツマン風な上に誰が見ても身長のある大男ではあるが、喧嘩とは無縁の普通に育った青年だったので、その相手の悪さに身の毛のよだつ思いがした。
そんな迫力のあるオヤジが構わず自分に酒を吹きかけたかなめをにらみつけた。
かなめは鮮やかな赤地に、金の牡丹と蝶を散らした豪勢な振袖姿だった。
『晴れ着は派手な方が良い』……そんな彼女の性格そのままの格好である。
誠はかなめに、その着物の値段など怖くて聞けそうになかった。それ以前に金に頓着しないかなめがその着物の値段を知っているとは考えにくかった。
とは言え、思い切り顔面に酒を吐き出されて顎からぴたぴたと酒のしずくを滴らせている状態で良い顔をする人間などいるはずが無い。二人の間に一触即発の雰囲気が流れたが、かなめはまるでオヤジに睨まれていることを気にする様子もなく、時々思い出し笑いをするような動作を繰り返していた。
笑うことに夢中で一切オヤジに謝る様子の無いかなめを見て、この場を収めるのは自分しかいないと覚悟を決めようとするが気の弱い誠にそんなことができるはずもなかった。そこで誠に出来ることと言えばとりあえずオヤジよりは確実に強いかなめにオヤジに頭を下げるように言ってみることだけだった。
「西園寺さん……早いところ謝っちゃいましょうよ。今回は西園寺さんが一方的に悪いんですから。本当にすみません。西園寺さんはこういう人なんで。あと、言っておきますけどこう見えてこの人戦闘用のサイボーグですから喧嘩とかはしない方が良いですよ。怪我しますから。それにこの人今でも銃を隠し持っていますから。最悪、射殺されます」
誠はそう言ってようやく笑いにも慣れてきたかなめになんとか怒りに震えるオヤジに対して頭を下げさせようとした。
一方のかなめは謝りもしないで、相変わらず脳内の面白い出来事に夢中のようで、ただ爆笑しながらようやくオヤジが自分を見つめていることに気付いても何も気にする様子もなくただ笑い続けるだけだった。オヤジはゆっくりと頭に手をやると自分の顔面に酒が吹きかけられた事実を再確認するように手についた酒の匂いを嗅ぐと、かなめではなく誠に視線を向けた。
明らかに怒りの矛先はかなめでは無く自分に向いていることに誠は気づいた。
逃げ出したい。
そう思いながら平然としているかなめを前に誠はただ震えそうになる足を必死になって抑え込んだ。
「どうしたのよ……かなめちゃん。思い出し笑い?まったくサイボーグのすること話が理解不能だわね。すみませんねえ、オジサン。こんな下品な姫様相手に……ああ、酒なんか吹きかけちゃって……かなめちゃんにも本当に困ったものね」
紺色の長い髪をなびかせるアメリアには、小鳥柄の紺色の振袖が妙に似合っていた。
司法局実働部隊運用艦『ふさ』艦長であるアメリア・クラウゼ中佐の言葉に誠も我を取り戻した。軍用の義体のサイボーグであり、東都戦争と呼ばれるシンジケート同士の抗争劇の中心に身をおいていたかなめが迫力は十分とはいえただの正月の香具師程度に元々ひるむはずも無かった。事実、誠に向けていたオヤジの視線が突然にんまりとした笑いになってかなめに向けられた。
「西園寺の姐さん……突然吹かないでくださいよ。まあ俺達みたいな堅気じゃねえ人間の間でもあの『汗血馬の騎手』の身内に手を出す馬鹿なんて居ないですから安心して飲んでください。それよりそんなご機嫌とはよっぽど面白い事が有ったんでしょうね?俺達が聞いても罰が当たらない事なんじゃないですか?違いますか?姐さん」
そう言って親父の機嫌とかなめの機嫌を天秤にかけながら気を利かした茶髪に鉢巻きを締めた若い衆が差し出す手ぬぐいで酒をぬぐいながら、頭から酒を吹きかけられたオヤジはニコニコと笑って今度は自分の分の升に酒を注いだ。
こうして誠の精神を鍛えるかのような宴会が始まったのは着る人によっては着物に着られてしまうようなあでやかな振袖を着込んだかなめのせいだった。
「『汗血馬の騎手』ってクバルカ・ランって言う名前の人の事ですか?」
誠は正月のオヤジがなぜ誠達司法局実働部隊機動部隊長にして実働部隊副隊長のクバルカ・ラン中佐の遼南内戦での二つ名を知っているのか不思議に思った。
「こんなところで度胸で店を仕切ろうなんて言う人間でクバルカ先生の名前を知らねえ奴はもぐりの半グレですよ。それこそ先生は鉄火場となると手にした『関の孫六』でカチコミをかけた相手を全員半殺し。ああ、あの御仁は『不傷不殺』を座右の銘にされている御仁だから殺したりはしませんよ。ただ、二度とその界隈でシノギをしようなんて思わないくらいに痛めつけるくらいの事は平気でやる御仁だ。俺達の間ではまさに『鬼神の生まれ変わり』と評されてどんなに『武闘派』とか呼ばれて警察から常に尾行を張り付けられてる指定暴力団の幹部でもマル暴の警察官よりあの御仁に一睨みされる方がよっぽど恐ろしいとか漏らしてるくらいだ。その度胸、教養、そして熱い任侠心。あの人は『薬』と『女』を使ったシノギと恩を仇で返すヤクザは地獄の果てまでって言って始末するとかおっしゃってる」
親父のいかにもあのどう見ても8歳幼女にしか見えないランの事を尊敬してやまないと言う口調に誠は頭を掻いた。
「いや警察官がそんな任侠映画みたいな……というか、僕が配属になるまで中佐はあの映画を全部記録映画だと信じてたらしいんで……まあ、尊敬するのは勝手ですけど、あの人結構面倒な人ですよ?」
誠は思わずそう言っていた。
ランが映画や漫画のフィクションを全部一度現実として理解してから誰かにツッコミを入れられて初めてフィクションと理解することで色々誠の所属する部隊でトラブルが起きているので誠はそう答えるしかなかった。
『面倒な御仁?結構な話じゃねえのさ。そりゃああの人が何にでも顔を突っ込む人の良さの表れなんだ。本当にあの人は警察官にしておくには実に惜しい御仁だ。堅気なんかやめて平気で堅気の衆を撃ち殺しても平然としている腐ったヤクザどもを根絶やしにしてもらいたいくらいだ。そんな立派な御仁のことをこの東和で先生を尊敬していねえ極道なんて一人もいませんやね」
オヤジはそう言うと旨そうに酒を飲んだ。
誠は以前、ランがやくざの組事務所に『先生』と呼ばれて上げ膳据え膳の待遇で居候していると言う話を聞いていたので、ランならそれくらいの大暴れの一つや二つやってもおかしくないと思うと同時に少しオヤジに親近感を持つようになっていた。
「クバルカ中佐ってそんなにこの業界では凄い人なんですか?僕は最初にあった時はどう見ても小学生が警察官のコスプレをしているようにしか見えなかったんですけど」
誠は恐る恐るオヤジに向けて作り笑顔で語り掛けた。
「アンタはあのお方の部下だろ?そんな上司の凄いところを知らねえなんてまったく可哀そうだよ。あの御仁の胆力。あんなに肝の座った人間は俺は他に見たこと無いねえ……あの小柄な可愛い女の子にしか見えない姿であの眼力でにらみつけられたら、たとえハジキを持ってる鉄砲玉でも震え上がってそれを落とすんだから。アレだろ?あの眼力でいつも怒られてるんだろ?だったらその凄さくらい分かっても当然じゃねえのかい?」
尋ねるどころか誠はオヤジに質問されてただ頭を掻くばかりだった。
確かにあのにらみつけるような鋭い眼光は、百戦錬磨で『人類最強の人外魔法少女』の自信を持っているランならではのものだが、初めての上司があのランだった誠には『怖い上司の視線はああいったもの』と言う認識なので、それが当たり前の話になっていた。
「そうですか……凄い人だったんですね……僕の上司は……」
誠にはそう言うことしかできなかった。
「そう言うことなんだよ、アンちゃん。もう少しお前さんもシャキッとして、胆力を付けないとあの御仁の部下だなんて威張っていられねえよ!あの御仁の部下なら俺みたいな半端もんにビビってるようじゃ先が知れてるよ!」
謝るつもりが逆に被害者の香具師の親に励まされて誠はただ苦笑いを浮かべる事しか出来なかった。
そもそもこんな誠にとって命の危機を感じるような体験を味わうことになった原因自体がかなめが原因だった。
非正規部隊上がりで祭りと言えば混乱を利用しての暗殺、あるいは逆に暗殺の阻止と言う任務と直結して考えてしまう自分を変えたいと言い出したかなめが、東都浅間神社の新年の賑わいが見たいと言い出したのは年が変わるまであと4,5分のことだった。
誠の実家で誠と母の薫、そしてクリスマスが誕生日と言うことでここに来る理由になった誠の直属の上司である司法局実働部隊機動部隊第一小隊小隊長のカウラ・ベルガー大尉、とかなめとアメリアは新年らしい振袖を着込んで朝草の新年の深夜の街に繰り出した。
和服の着付けが出来ないのが三人の女子上司の中で唯一真面目なカウラだけと言うことで、カウラは振袖を着ることに初めは抵抗していたが、かなめが用意した緑を基調に金と銀の蝶が刺繍された振袖を見せられると興味半分にそれに袖を通した。
元落語家のアメリアもまた自分で着付けが出来るので、和服の着付けの難しさに一々文句を言うカウラをからかいながらその様子を笑いながら見守っていた。
そうして新年と言うことで深夜でも人であふれる朝草の街を誠達四人は歩き回ることになった。
最初は外惑星の貴族制国家『甲武国』切っての貴族のである甲武四大公家筆頭西園寺家の当主として庶民的な出店の品々に歓喜の声を上げていたかなめだが、すぐにその関心は店番や時々店を冷やかして回る堅気とは見えない面々の方に向いてしまっていた。
ちょうど酒が飲みたくなった彼女はそんな一人のチンピラを羽交い絞めにするとそのままこの出店を仕切っている元締めに会わせろと怒鳴りつけた。その迫力に負けたチンピラがつれてきたのがこの出店の間の待合所のようなところだった。一緒に出かけてきた誠の上官のカウラ・ベルガー大尉とビニールの入り口を塞ぐシートの隙間から顔を出して道行く参拝客に目をやるアメリアもとりあえず人ごみに飽きたという感じですっかり和んで酒樽の隣に置かれた達磨ストーブの暖かさに酔いしれていた。
そんな和んでいる女性陣とは対照的にただ申し訳なさそうに立つ誠にゆらりとかなめが顔を向けた。
「すまねえなあ。ウケル話が届いちゃって……ったく酒がもったいねえよな……神前、オメエもそう思うだろ?」
かなめはそう言うと空になった升を額をぬぐい終わったオヤジに差し出した。オヤジもかなめの話に興味があるものの一応司法執行機関の大尉と言う身分のかなめに話を持っていくのは遠慮しているらしく、にやにやと笑みを浮かべながら黙って升に酒を注いだ。
そんな風にまるで誠が知っていて当然という顔で話を振ってくるかなめだが、常にネットと情報共有しているかなめと違って生身な誠にはかなめの笑っている原因など分かるはずが無かった。
「さすがに西園寺だな。まだ飲むのか?ラム酒にウォッカにジン。蒸留酒しか飲まないと思っていたが、西園寺は日本酒も飲むんだな。これは新たな発見だ。それとその様子だとまた笑いのせいで口から酒を吹きかけることになるぞ。私に吹きかけられたら迷惑なだけだ」
振袖にまだ慣れていないカウラが皮肉を込めてそうつぶやいた。明るいその髪の色に合わせたかのような緑色地に金銀の蝶の刺繍の振袖がエメラルドグリーンのポニーテールに映えた。彼女もまたかなめが相当なピッチで酒を飲み始めてからもう二十分が経っているのでさすがに呆れてきたように同僚の飲みっぷりをただ黙って眺めていた。
「ふう……、だってよう……ああ、思い出しただけで笑えて来るわ」
ようやく升を置いてカウラに向き直るかなめに大きく安心のため息をつくオヤジの表情に少し笑みを浮かべる誠にかなめは話を切り出そうとした。ひらりとその赤い絹の袖が翻るといかにも正月だと言うことが誠にもわかった。
「それにしても西園寺さん。なにがそんなにおかしいんですか?いい加減笑ってばかりいないで教えてくださいよ」
かなめを見ながら改めて自分がスタジャンにジーパンと言うありきたりな冬の服装をしていることに気づいてなんだか場違いなような感じがして思わず苦笑しながら誠はそう尋ねた。
「私も知りたいわね。本当にすみませんね、暴力馬鹿の誰かさんに酒を盗まれた挙句に顔に吹きかけられるなんて……。これは間違いなく人災ね。警察沙汰だわ。ああ、私達が警察官だったわね、失礼しました」
アメリアがオヤジに頭を下げるのを見てカチンと来たかなめがアメリアの紺色の長い髪を引っ張った。
「痛いじゃないの!まったくこの酔っぱらいはどこまで人に迷惑を掛ければ気が済むのよ!いい加減にこの騒動の原因を話なさいよ!」
叫ぶアメリアに少しばかり酔っているのか印象的なタレ目でかなめは長身のアメリアを見上げた。
「痛くしてるんだよ!痛いだろ?ドMのかえでみたいに喜んで見せろ!アタシも最近は痛いので気持ちよくなれるようになったんだ。自分の可能性が広がってそれだけ豊かな人生が送れるようになるぞ!ほれ!ほれ!もっと痛くして気持ちよくしてやる!」
そう怒鳴るかなめの声に周りの群衆がこのキャットファイトを見ようとさらに集まってくるのが分かるのが誠には辛かった。
「何すんのよ!かなめちゃん!人までマゾ認定なんて……本当に痛いわよ!」
本気で痛がるアメリアを見てカウラがかなめの手を抑えてなんとかその場を押しとどめた。かなめの手が離れてアメリアは何とか呼吸を整えた。そして誠はいつの間にか待合室の透明のビニールのシートの向こうに人垣ができているのに気がついたが何が出来ると言うわけもなかった。
「それより西園寺。突然酒を噴出す原因くらい教えてくれてもいいだろ?貴様の電子の頭脳はネットと直結している。何か面白いニュースでもあったのか?一人だけ独占しているなんて不公平だ。私達にも知る権利がある」
カウラは肝心の話をしようとしないかなめに耐えかねてそう言った。一応、かなめと誠を部下としている人型機動兵器、シュツルム・パンツァー部隊の隊長を務めているだけあって落ち着いて原因を突き止めることに決めたような鋭い調子で言葉が放たれた。
「そりゃあ……まあ……ちょっと待てよ。こんなこともあろうかと良いもんを持ってきてたんだ。この何が有っても二十世紀末で行くことに決めている東和じゃご禁制の品だが仕方がねえや」
かなめはそう言うと手にしていた巾着を開いて何やら誠の見慣れない機械らしきものを取り出した。
その機械はここ東和共和国では国内販売が禁止されている携帯端末の画像投影用のデバイスだったので誠は思わず顔をしかめた。
そんな誠を無視してかなめはそれから伸びるコードを首筋のジャックに差し込んで自分の脳内に入ってくる情報をその画面に投影させようとしていた。
「便利ね。さすがテレビ付き人間。これでいつでもどこでもテレビが見られるのね。今度、出動中に深夜アニメの放送時間になったら呼ぶからそん時はよろしくね♪」
サイボーグの体を気にしているかなめに言ってはいけない暴言を言うアメリアだが、とりあえずカウラと誠、そして周りの野次馬達の目もあるので、かなめはにらみつけるだけで作業を続けた。




