7話「生かされながら殺されている」
結局私はグレンに諭され、屋敷を辞して家路につくことになった。
昨日の二の舞にならないよう彼は信頼できる仲間を呼び寄せると、その到着を待つ間に手早く包んだパンを馬に取り付けられた鞍脇のサドルバッグへ押し込んだ。
すぐに到着した仲間との挨拶もそこそこに、私の体を軽々と持ち上げ馬に乗せ、自身も後ろに跨った。
逞しい両腕に囲われ進む馬の背は予想以上に高くて速いが、実際はそれほど速度を出してはいないのだろう。
今の私が小さいから速く感じるだけで、本気を出せばもっと風を切り裂いて走れるはずだ。左右から私をしっかり固定し、揺れを最小限に抑える手綱捌き。私の安全を第一に考える彼の気遣いが伝わってくる。
バサバサと顔を打つ風が心地よく、蹄が地面を蹴り上げるリズムに合わせて、私の思考もまた軽快に跳ねる。
「そういえば、グレンさんってあの子の世話係? だったんですね。お父さんかと思ってました」
「俺があいつの父親!? 冗談はやめてくれよ」
結婚だってまだしたことねぇのにとぼやくグレンの心底嫌そうな声が、駆ける音に負けない強さで私の頭上から落ちてくる。
てっきりあの子と顔立ちが似ていないのは母親譲りなのだとばかり思っていた。親にしては随分と若いとは思っていたが、別にありえない話じゃない。あの屋敷に二人という時点で何か複雑な家庭事情でもあるのかと勝手に推測していたけれど……。
なんだ、赤の他人だったのか。それなら似ていなくて当然だ。
思考の飛躍が馬の足取りと重なってすとんと腑に落ちた。
「俺は屋敷の管理……というより、あの捻くれ坊ちゃんの世話役だ」
「世話役……それって従者とか執事とは違うんですか?」
たしか料理を作り、身の回りを整えるなら従者。屋敷の采配を任されるなら執事に近いはずだ。
そう考えると、グレンのやっていることはそのどちらにも当てはまるように思えた。実際、食事も用意しているみたいだし、あの広い屋敷に二人きりだというなら、日常の管理も彼が担っているはずだ。
「厳密に言うのなら、どれも違ぇ」
「え、そうなんですか?」
従者でも執事でもない。なら一体、彼は何者なのだろう。
そういえば、あの少年と話すときの彼は「仕える」というには少し距離が近かったように思える。遠慮がないというか、随分と砕けた態度というのか、それは主従というよりは反抗期の息子をあやす父親という方が近い気がする。
私が彼を親だと勘違いしたのもそういう絶妙な距離感のせいでもあったし。
「まぁ肩書きなんてどうでもいいんだよ。あいつの世話は俺が担当してるって覚えとけ」
彼らの不思議な関係に思考を巡らせる私を、ぶっきらぼうな一言が遮る。
「あの。さっきから世話って言ってますけど、あの子の親御さんはどうしてるんですか?」
彼がお世話してるいるのは分かった。だが、だとすると、彼の本物の親はどこにいるのだろうか。
「あー…………」
グレンは言葉を濁す。そのあまりの歯切れの悪さに、これ以上踏み込むべきではない話題なんだろうなと察する。
「大人の事情ってやつですか?」
「まぁ、そんなとこだ」
返ってきたのは、溜息混じりの肯定。
そう言わざるを得ない現状への苛立ちが、その苦い声に滲んでいた。
ふと、あの少年が吐き捨てた言葉が脳裏を掠める。
『――自分の子供さえ育てられない奴がいる』
二人の言葉から汲み取るにあの子の親は死んでいる、というわけでもなさそうだ。
もし死別を「育てられない」と表現しているのなら彼は相当な捻くれ者だが、グレンのこの渋面を作っていそうな声音。きっと事実はもっと単純で救いがないのだろう。
つまり、あんなに体調の悪そうな子供を放置する親がこの世界のどこかに実在するということだ。
(虐待していたのはグレンさんじゃなくて親の方だったかぁ……)
良かったとは決して言えない結果が残り、胸の奥がじわりと沈む。
なんとも言えない後味の悪さに、自然と眉間に皺が寄った。
澄んだ色をしているのに、どこか淀んだあの瞳。長い髪で隠れているのが勿体ないと思っていたけれど、あれもこの歪な環境が作り出した現れなのだろうか。
「悪かったな。変なところ見せて」
「グレンさんは悪くないじゃないですか。ムカつかないんですか?」
実の子が相手でも、これだけ反抗的な態度を続けられれば心が折れるだろう。
たとえ相手にどれほどの事情があろうと、それを受け取る側の感情はまた別の問題だ。事情を知っていようが、世話をしている相手からあれだけ執拗に突っかかられて怒りは湧かないのか。仕事だからと割り切るにしても、随分と骨が折れそうだ。
「いや、普通にムカつく」
あ、普通にムカつくんだ。
「ならお世話するの辞めようって思わないんですか?」
「めっっっちゃあるに決まってんだろ。あのクソガキ具合だぞ」
そう吐き捨てるグレンの拳に力が入り、握りしめている手綱がぎりりと悲鳴を上げた。
密着した背中に伝わる熱が、怒りのせいか一段と跳ね上がった気がした。
「でも俺が辞めたら、あいつはきっと死ぬ」
さっきまでの軽口と同じ声には思えない重い響きだった。
「……なんであの屋敷には、グレンさん以外誰もいないんですか? 家は立派だし、あの子の服だって上質なものでした。それなのに、人がいないなんて……。なんだか、チグハグじゃないですか?」
金はかけるが人は置かない。そんな歪な構図が頭の中に浮かぶ。もし本当に放任されているのなら、あんな上等な服をわざわざあつらえるものだろうか。
「あいつは昔から体が弱くてな。それで、療養を兼ねて自然豊かなあの屋敷で暮らすようになったんだが……」
そこで一度言葉を切り、彼は苦々しく声を落とした。
「お前が察してる通り、あいつは良いところの坊ちゃんだ。ただ、ちぃっとばかし身分が良すぎてな。傍に置くのは、ある程度の身元が保証された奴じゃねぇといけない。だけど、あいつがあの通りのクソガキだろ? 身元の確かな“お利口さん”な連中には、あいつの毒はきつすぎるんだよ」
なるほど、と胸の内で小さく頷いた。
貴族の階級社会はなんとなくわかるけど、使用人にまでそこまで求められるものなんだ。前世で見てきた話だと、孤児を拾って養子にしたり、奴隷を買って使用人として傍に置いたりみたいな結構なんでもありなイメージがあったけれど、これは私が見てた作品が偏り過ぎてたのかもしれない。もしくは、本物の「お坊ちゃん」ともなれば、話がまた変わってくるということか。
今の私の日常とはかけ離れた、あの少年の生活。
確かにそういった事情があるのなら、あの環境はそれなりの立場の人間にとっては少しきついのかもしれない。
上等な服という体裁だけが整えられ、中身は置き去りにされる。その空っぽな屋敷で、唯一残ったのがグレンなのだ。
森の景色がゆるやかに移り変わっていく。聞き覚えのある鳥の鳴き声が混じり始め、帰る場所が近いことを知らせていた。
「はぁ……せめてあいつにも信頼できるような相手が出来たら考え方も変わると思うんだけどな……ってこんな話、子供にするべきじゃなかったな」
悪いな、と申し訳なさそうに言うグレンが、ぽんぽんと私の軽く頭を叩く。
彼自身もまた、答えの出ない問いを抱え続けているようだった。
そんな彼の様子を見て、私はぴんときた。
(はっはーん?)
複雑な家庭環境のお坊ちゃんに、随分と苦労してそうな世話係。そんな二人があの屋敷に住んでいる。
――これって、かなり“おいしい”やつでは?




