第1話 鉄と雪の国
白い雪が、黒い煤で汚れていた。
眼下に広がる大地は、モノクロームの世界だった。
商業都市を出発してから数日。
私たちを乗せた『スイートホーム号』は、大陸を縦断する険しい山脈を越え、北の大国・ガレリア帝国の上空へと到達していた。
「……ひどい色だな」
助手席のカイルが、窓の外を見下ろして呟いた。
その声には、郷愁よりも苦々しさが滲んでいる。
かつて彼が守り、そして捨てた故郷。
空から見るその景色は、美しい雪国というよりは、巨大な工場の排気ダクトのようだった。
「空気が澱んでいますね。高度三千メートルでも、魔力残滓の匂いがします」
私はモニターの数値を確認した。
大気中の魔素濃度が異常に高い。
自然界のマナではない。
人工的に精製され、廃棄された汚れた魔力だ。
「俺がいた頃も鉄と油の匂いはしたが、ここまでじゃなかった。……この数年で何があったんだ」
カイルが拳を握りしめる。
最強の竜騎士と呼ばれた彼にとって、この国は誇りであり、同時に呪いでもあるのだろう。
彼の横顔に浮かぶ複雑な陰りを見て、私は操縦桿から片手を離し、彼の手の上に重ねた。
「確かめに行きましょう。そのために来たのですから」
「……ああ。すまない、エリカ。弱音を吐くつもりはない」
「弱音くらい吐いてください。私が全部聞いて、あとで請求書に上乗せしますから」
冗談めかして言うと、カイルはようやく少し笑った。
その笑顔を守るためなら、私は皇帝だろうと悪魔だろうと商談してみせる。
そう心に決めて、私はアクセルを踏み込んだ。
『警告。前方より識別信号。帝国軍防空網です』
ナビゲーションが赤いアラートを表示する。
やはり、ただでは通してくれないか。
私は迎撃システムのスイッチに指をかけた。
売られた喧嘩なら、高く買ってやる準備はできている。
だが、スピーカーから響いたのは、予想外に落ち着いた声だった。
『……ようこそ、ガレリアへ。歓迎するぞ、エリカ・フォン・クロイツ』
ノイズ混じりの通信。
セシリア皇女の声だ。
商業都市での一件以来、彼女とは奇妙な縁ができている。
『迎撃システムは解除した。そのまま指定座標へ向かえ。王宮の裏手に専用ドックがある。……一般市民に見つからないように頼むぞ』
「裏口入学ですか。VIP待遇とは程遠いですね」
私はマイクに向かって軽口を返した。
『指名手配犯を正面から招き入れるわけにはいかんだろう。……父上がお待ちだ。急げ』
通信が切れる。
座標データが送られてきた。
帝都の中心にそびえ立つ、黒鉄の巨城。
その影のような場所だ。
「罠かもしれないぞ」
カイルが低い声で警告する。
「ええ。ですが、虎穴に入らずんば虎児を得ず、です。私の技術を狙う元凶がそこにいるなら、挨拶くらいはしておかないと」
私は機首を下げた。
『スイートホーム号』は滑るように降下を開始する。
分厚い雲を抜け、鉄と雪の国へと舞い降りた。
◇
指定されたドックは、王宮の地下深くに隠されていた。
巨大な鉄扉が開き、私たちは薄暗い格納庫へと着陸した。
「……空気が重いな」
車を降りた瞬間、カイルが鼻を覆った。
地下特有の湿気だけではない。
肌にまとわりつくような、不快な熱気がある。
魔力酔いを起こしそうな濃度だ。
「よく来たな。長旅ご苦労」
出迎えたのは、セシリアただ一人だった。
護衛もつけず、軍服の上に厚手のマントを羽織っている。
その顔色は、以前会った時よりも優れないように見えた。
「案内しよう。父上……皇帝陛下への謁見は極秘だ。私の私室を通って行く」
私たちは彼女の後に続いた。
王宮の裏通路は、迷路のように入り組んでいた。
石造りの冷たい廊下だが、所々に奇妙なパイプが張り巡らされ、そこから紫色の光が漏れている。
「これは……魔導配管ですか?」
私はパイプに触れようとして、カイルに止められた。
「触るな、エリカ。高濃度の魔力が流れている。防護なしだと火傷するぞ」
「その通りだ」
セシリアが振り返らずに言った。
「帝都の暖房、照明、動力。すべてはこのパイプラインで賄われている。地下から汲み上げられる『無限の魔力』によってな」
「無限の魔力……?」
違和感があった。
魔力とは資源だ。
魔石を採掘するか、大気中のマナを集めるか。
どちらにせよ枯渇するものであり、無限になど湧いてこない。
私の車だって、カイルという規格外のタンクがいなければ飛ぶこともできないのだ。
通路を抜けると、回廊に出た。
窓の外に、帝都の街並みが見えた。
私は息を呑んだ。
そこにあったのは、異様な光景だった。
中世風の石造りの街並みの上に、無理やり接ぎ木したような、高度な魔導機器が溢れている。
空中に浮かぶ街灯。
自動で動く清掃機械。
ホログラムのような看板。
まるで、私の前世の記憶にある「近未来」を、粗悪なコピーで再現したような歪さ。
「……何ですか、あれは」
「帝国の繁栄の証だ。地下遺跡から発掘された技術を解析し、実用化した」
セシリアの声には誇らしさはなく、むしろ自嘲が混じっていた。
私は街路を行き交う人々を凝視した。
彼らは便利な機械に囲まれているが、その表情は暗い。
咳き込んでいる者が多い。
肌に黒い斑点が浮かんでいる者もいる。
あれは「魔力中毒」の症状だ。
過剰な魔力に長時間晒された人体が、拒絶反応を起こしているのだ。
「便利さと引き換えに、国民の寿命を削っているように見えますが」
私が指摘すると、セシリアは痛そうに顔を歪めた。
「否定はしない。だが、一度手にした豊かさは手放せない。止まれば凍え死ぬだけのこの国で、遺跡の力は命綱なのだ」
カイルが無言で拳を握りしめている。
彼が守りたかった国は、こんな姿ではなかったはずだ。
さらに進むにつれ、私の違和感は確信へと変わっていった。
廊下に設置されたセキュリティゲート。
エレベーターのような昇降機。
それらのデザイン、操作パネルの配置、配色のセンス。
(……似すぎている)
私の設計思想と。
いや、もっと根本的な、私が「美しい」と感じる機能美の基準と、ここの技術は完全に一致している。
まるで、同じ教科書で学んだかのように。
「エリカ、どうかしたか?」
カイルが私の顔を覗き込んだ。
私は青ざめていたかもしれない。
「……いえ。ただ、趣味が悪いなと思いまして」
強がって見せたが、心臓の鼓動は早くなっていた。
偶然の一致ではない。
この国の地下に眠る「遺跡」とやらには、私の存在に関わる重大な秘密がある。
それは商売のネタなんて生易しいものではないかもしれない。
「着いたぞ」
セシリアが足を止めた。
目の前には、天井まで届くような巨大な扉。
双頭の竜の紋章が、威圧的に私たちを見下ろしている。
皇帝の私室だ。
「陛下は気難しい。特にカイル、お前に対してはな。……余計なことは言うなよ」
セシリアが釘を刺す。
カイルは鼻を鳴らした。
「俺の主人はエリカだ。皇帝じゃない。敬意を払うかどうかは、相手の出方次第だ」
頼もしい言葉だが、同時に危うい。
私は彼の腕をぎゅっと掴んだ。
「交渉は私がします。貴方はただ、そこにいてくれればいいですから」
「……ああ。背中は守る」
重い扉が、ゆっくりと開いていく。
中から漂ってくるのは、最高級の香の匂いと、老いた獣のような濃厚な気配。
私たちは足を踏み入れた。
鉄と雪の国。
その支配者が待つ、最後の商談の場へ。
これが、私の全ての謎を解く鍵になるとは、まだ知らずに。
次話、皇帝からの非情な提案。私の車とカイルの命、どちらを選ぶか。




