第1話 海辺の街と怪しい影
ここが楽園でなければ、どこを楽園と呼ぶのだろう。
潮風にはスパイスの香りが混じり、極彩色のテントがどこまでも連なっている。
南の大陸、商業都市国家連合の玄関口、港町『ポルト』。
王都の堅苦しい石造りの街並みとは違い、ここは混沌と熱気に満ちていた。
「見てください、カイル様。あれは『水魔のヒレ』ですよ! 王都なら金貨五枚はするのに、ここでは銀貨数枚で投げ売りされています!」
私は興奮を抑えきれずに声を上げた。
カゴの中には既に、見たこともない果物や、魔導触媒になりそうな珊瑚の欠片が山積みになっている。
私の開発者魂と主婦の倹約精神が、同時に悲鳴を上げて喜んでいた。
「……エリカ。あまり離れるな」
背後から、低く硬い声が聞こえた。
振り返ると、私の夫であり護衛のカイルが、周囲を油断なく見回していた。
南国の日差しに映える銀髪と、鍛え上げられた長身は、すれ違う女性たちの視線を独り占めしている。
だが、当の本人は眉間に深い皺を刻んでいた。
「どうしたんですか? そんなに怖い顔をして。せっかくのリゾートなんですから、もう少し肩の力を抜いてください」
「……視線を感じる」
「視線?」
「ああ。俺たちを値踏みするような、嫌な気配だ。それも一人や二人じゃない」
カイルが腰の剣に手を添える。
その仕草だけで、周囲の観光客がギョッとして道を空けた。
私はため息をついた。
「カイル様。ここは観光地ですよ? 私たちが目立っているのは事実ですが、それは貴方が格好良すぎるからと、私たちが羽振りの良い『カモ』に見えるからでしょう」
王都を出て数日。
私たちは空飛ぶキャンピングカー『スイートホーム号』で、悠々自適な旅を続けてきた。
その間、魔獣の襲撃はあったものの、基本的には平和そのものだ。
しかし、カイルの警戒心は日に日に強くなっている気がする。
帝国の竜騎士という職業病だろうか。
平和ボケした私には、彼の緊張感が少しだけ窮屈に感じられた。
「カイル様、あっちの屋台に珍しい鉱石が見えます。行きましょう」
「待て、エリカ。人混みは危険だ。一度、車に戻って態勢を整えたい」
「まだお昼前ですよ? それに、あの鉱石は冷却魔道具の触媒に使えるかもしれません。見ておかないと損をします」
私は彼の手を引いて歩き出した。
カイルは渋々といった様子でついてくる。
その手は、痛いほど強く私の手を握り締めていた。
◇
「お目が高い! それは北の深海で採れる『氷結晶』です」
屋台の主人が揉み手をして話しかけてきた。
浅黒い肌に、人の良さそうな笑顔。
身につけている服は上質で、ただの露天商ではなさそうだ。
「私はヴァイン。この街で小さな商会を営んでおります」
「エリカです。……これ、純度がかなり高いですね。加工次第では、永久凍土レベルの保冷庫が作れそうです」
「ほう! 一目でそこまで見抜かれますか。もしや、貴女様は魔道具師で?」
ヴァインと名乗った男の目が、キラリと光った気がした。
商売人の目だ。
私と同類の、利益の匂いに敏感な目。
「ええ、まあ。趣味で少し」
「謙遜を。その知識、ただ者ではありませんね。……実は私、珍しい魔導機構の収集家でもありまして。もしよろしければ、私の店に寄っていきませんか? ここには出していない、とっておきの素材もありますよ」
甘い誘い文句だ。
とっておきの素材。
その言葉に、私の心が躍った。
「エリカ、断れ」
カイルが間に割って入った。
彼はヴァインを睨みつけている。
殺気すら混じった鋭い眼光に、ヴァインが一瞬たじろいだ。
「俺たちは忙しい。それに、見知らぬ人間に付いていくほど愚かではない」
「カイル様、失礼ですよ」
私はカイルの袖を引いた。
相手は地元の有力者かもしれない。
無用なトラブルは避けるべきだし、何より私は素材が見たい。
「ヴァインさん、申し訳ありません。夫が少し過保護なもので」
「いえいえ、美しい奥様を守るのは男の務めですから。……ですが、本当に良い品なんですよ? 例えば、魔力を自動で循環させる『永久機関』の試作品とか」
ピクリ。
私の耳が反応した。
魔力循環の永久機関。
それは私が『スイートホーム号』の動力炉で目指し、完全には実現できていない夢の技術だ。
「……見せていただけますか?」
「エリカ!」
「カイル様、商談です。私の仕事の邪魔をしないでください」
私はきっぱりと言い放った。
カイルが息を呑む気配がした。
彼が私の安全を第一に考えてくれているのは分かっている。
けれど、私は守られるだけの姫ではない。
自分の利益は自分で掴み取る。
それが私の流儀だ。
「……分かった。だが、俺も同行する。何かあれば即座に斬る」
「ええ、それで構いません」
私たちはヴァインの案内で、路地裏にある彼の店舗へと向かった。
◇
ヴァインの店は、外見からは想像もつかないほど立派だった。
倉庫のような店内には、世界各地の魔道具や素材が所狭しと並べられている。
「素晴らしい……」
私は夢中で棚を見て回った。
どれも一級品だ。
ヴァインは私の質問に的確に答え、時には私でも知らない知識を披露した。
彼はただの商人ではない。
魔導工学に精通した技術屋だ。
「エリカ様。失礼ですが、貴女様が乗ってこられたという『空飛ぶ馬車』……あれは、どういう構造になっているのですか?」
商談の合間に、ヴァインが何気なく尋ねてきた。
「風の噂で聞きましてね。重力を無視する機構……実に興味深い」
「ああ、あれは反重力鉱石と風魔法の複合回路で……」
説明しかけて、私は口をつぐんだ。
企業秘密だ。
それに、まだ彼を完全に信用したわけではない。
「……独自の技術ですので、詳しくは申し上げられません」
「そうですか。いや、残念です。もし構造が分かれば、もっと効率的な魔力供給を提案できるかと思ったのですが」
ヴァインは残念そうに肩をすくめた。
その仕草に嘘は見えない。
純粋な知的好奇心に見える。
一方、カイルはずっと出入り口の前に立ち、腕組みをしてヴァインを監視していた。
その態度は明らかに敵対的で、場の空気を悪くしている。
(もう、愛想の一つくらい振り撒けないのかしら)
私は少しイライラした。
カイルの強さは頼りになるが、こういうビジネスの場ではただの障害になりかねない。
私たちは「夫婦」だが、同時に「パートナー」だ。
私のやりたいことを尊重してくれない過干渉は、契約違反ではないだろうか。
「今日は良い買い物ができました。ありがとうございます、ヴァインさん」
「こちらこそ。エリカ様のような博識な方とお話しできて光栄でした。……また、いつでもいらしてください」
ヴァインは深々と頭を下げた。
私は購入した大量の素材を収納魔法にしまい、店を出た。
◇
「……あの男は危険だ」
帰り道、カイルが呟いた。
「目が笑っていなかった。それに、店の奥に複数の気配があった。あれは商人の護衛じゃない。訓練された兵士の気配だ」
「考えすぎですよ、カイル様。大きな商会なら、私兵くらい抱えているでしょう」
「だが……」
「もう、疲れました。早く車に戻って、戦利品の整理をしたいんです」
私は彼の言葉を遮り、早足で歩いた。
カイルが何か言いたげに口を開閉させたが、結局は黙ってついてきた。
私たちの「家」である『スイートホーム号』は、街の喧騒から離れた郊外の丘の上に停めてある。
ここなら眺めも良いし、他人の目も気にならない。
何より、私の車には鉄壁の防犯システムがある。
誰かが近づけばアラートが鳴るし、無理に開けようとすれば電撃が走る。
私のスマホに通知が来ていない以上、安全は保証されているはずだ。
夕暮れの中、黒いボディが見えてきた。
私は安堵の息を吐き、リモコンキーを取り出す。
「ほら、何事もないでしょう?」
私が振り返ってカイルに言おうとした、その時だった。
「……エリカ。下がれ」
カイルが私を背後に突き飛ばした。
抜剣する音が響く。
彼は車に向かって剣を構えていた。
「え?」
私は体勢を立て直し、車のドアを見た。
息が止まった。
そこには、一本の短剣が突き刺さっていた。
特殊な合金で作られた私の車の装甲を、深々と貫いている。
アラートは鳴らなかった。
電撃も作動しなかった。
私の完璧なセキュリティが、沈黙したまま破られている。
そして、その短剣の柄には、見覚えのある紋章が刻まれていた。
双頭の竜。
カイルの故郷であり、彼が捨てたはずの国。
『帝国』の紋章だ。
「……なんで」
震える声が出た。
カイルが静かに、けれど怒りを孕んだ声で呟いた。
「やはり、嗅ぎつけられたか」
彼は短剣を引き抜いた。
その切っ先には、一枚の羊皮紙が結び付けられていた。
カイルはそれを読み、握り潰すようにして拳の中に隠した。
「カイル様? 何が書いてあったんですか?」
「……なんでもない」
彼は私を見なかった。
その横顔は、私が知っている「夫」の顔ではなく、冷徹な「竜騎士」の顔に戻っていた。
そこには、私を遠ざけるような、見えない壁があった。
平和な旅は、ここで終わりを告げたのかもしれない。
潮風が急に冷たく感じられ、私は思わず自分の腕を抱いた。
次話、カイルの過去が、私たちを引き裂きにかかる。




