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【第3章完結!】国を捨て、悪役令嬢は優雅な旅に出る  作者: 月雅
第2章

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第1話 海辺の街と怪しい影



ここが楽園でなければ、どこを楽園と呼ぶのだろう。


潮風にはスパイスの香りが混じり、極彩色のテントがどこまでも連なっている。

南の大陸、商業都市国家連合の玄関口、港町『ポルト』。

王都の堅苦しい石造りの街並みとは違い、ここは混沌と熱気に満ちていた。


「見てください、カイル様。あれは『水魔のヒレ』ですよ! 王都なら金貨五枚はするのに、ここでは銀貨数枚で投げ売りされています!」


私は興奮を抑えきれずに声を上げた。

カゴの中には既に、見たこともない果物や、魔導触媒になりそうな珊瑚の欠片が山積みになっている。

私の開発者魂と主婦の倹約精神が、同時に悲鳴を上げて喜んでいた。


「……エリカ。あまり離れるな」


背後から、低く硬い声が聞こえた。

振り返ると、私の夫であり護衛のカイルが、周囲を油断なく見回していた。

南国の日差しに映える銀髪と、鍛え上げられた長身は、すれ違う女性たちの視線を独り占めしている。

だが、当の本人は眉間に深い皺を刻んでいた。


「どうしたんですか? そんなに怖い顔をして。せっかくのリゾートなんですから、もう少し肩の力を抜いてください」

「……視線を感じる」

「視線?」

「ああ。俺たちを値踏みするような、嫌な気配だ。それも一人や二人じゃない」


カイルが腰の剣に手を添える。

その仕草だけで、周囲の観光客がギョッとして道を空けた。


私はため息をついた。

「カイル様。ここは観光地ですよ? 私たちが目立っているのは事実ですが、それは貴方が格好良すぎるからと、私たちが羽振りの良い『カモ』に見えるからでしょう」


王都を出て数日。

私たちは空飛ぶキャンピングカー『スイートホーム号』で、悠々自適な旅を続けてきた。

その間、魔獣の襲撃はあったものの、基本的には平和そのものだ。

しかし、カイルの警戒心は日に日に強くなっている気がする。

帝国の竜騎士という職業病だろうか。

平和ボケした私には、彼の緊張感が少しだけ窮屈に感じられた。


「カイル様、あっちの屋台に珍しい鉱石が見えます。行きましょう」

「待て、エリカ。人混みは危険だ。一度、車に戻って態勢を整えたい」

「まだお昼前ですよ? それに、あの鉱石は冷却魔道具の触媒に使えるかもしれません。見ておかないと損をします」


私は彼の手を引いて歩き出した。

カイルは渋々といった様子でついてくる。

その手は、痛いほど強く私の手を握り締めていた。



「お目が高い! それは北の深海で採れる『氷結晶』です」


屋台の主人が揉み手をして話しかけてきた。

浅黒い肌に、人の良さそうな笑顔。

身につけている服は上質で、ただの露天商ではなさそうだ。


「私はヴァイン。この街で小さな商会を営んでおります」

「エリカです。……これ、純度がかなり高いですね。加工次第では、永久凍土レベルの保冷庫が作れそうです」

「ほう! 一目でそこまで見抜かれますか。もしや、貴女様は魔道具師で?」


ヴァインと名乗った男の目が、キラリと光った気がした。

商売人の目だ。

私と同類の、利益の匂いに敏感な目。


「ええ、まあ。趣味で少し」

「謙遜を。その知識、ただ者ではありませんね。……実は私、珍しい魔導機構の収集家でもありまして。もしよろしければ、私の店に寄っていきませんか? ここには出していない、とっておきの素材もありますよ」


甘い誘い文句だ。

とっておきの素材。

その言葉に、私の心が躍った。


「エリカ、断れ」


カイルが間に割って入った。

彼はヴァインを睨みつけている。

殺気すら混じった鋭い眼光に、ヴァインが一瞬たじろいだ。


「俺たちは忙しい。それに、見知らぬ人間に付いていくほど愚かではない」

「カイル様、失礼ですよ」


私はカイルの袖を引いた。

相手は地元の有力者かもしれない。

無用なトラブルは避けるべきだし、何より私は素材が見たい。


「ヴァインさん、申し訳ありません。夫が少し過保護なもので」

「いえいえ、美しい奥様を守るのは男の務めですから。……ですが、本当に良い品なんですよ? 例えば、魔力を自動で循環させる『永久機関』の試作品とか」


ピクリ。

私の耳が反応した。

魔力循環の永久機関。

それは私が『スイートホーム号』の動力炉で目指し、完全には実現できていない夢の技術だ。


「……見せていただけますか?」

「エリカ!」

「カイル様、商談です。私の仕事の邪魔をしないでください」


私はきっぱりと言い放った。

カイルが息を呑む気配がした。

彼が私の安全を第一に考えてくれているのは分かっている。

けれど、私は守られるだけの姫ではない。

自分の利益は自分で掴み取る。

それが私の流儀だ。


「……分かった。だが、俺も同行する。何かあれば即座に斬る」

「ええ、それで構いません」


私たちはヴァインの案内で、路地裏にある彼の店舗へと向かった。



ヴァインの店は、外見からは想像もつかないほど立派だった。

倉庫のような店内には、世界各地の魔道具や素材が所狭しと並べられている。


「素晴らしい……」


私は夢中で棚を見て回った。

どれも一級品だ。

ヴァインは私の質問に的確に答え、時には私でも知らない知識を披露した。

彼はただの商人ではない。

魔導工学に精通した技術屋だ。


「エリカ様。失礼ですが、貴女様が乗ってこられたという『空飛ぶ馬車』……あれは、どういう構造になっているのですか?」


商談の合間に、ヴァインが何気なく尋ねてきた。

「風の噂で聞きましてね。重力を無視する機構……実に興味深い」


「ああ、あれは反重力鉱石と風魔法の複合回路で……」

説明しかけて、私は口をつぐんだ。

企業秘密だ。

それに、まだ彼を完全に信用したわけではない。


「……独自の技術ですので、詳しくは申し上げられません」

「そうですか。いや、残念です。もし構造が分かれば、もっと効率的な魔力供給を提案できるかと思ったのですが」


ヴァインは残念そうに肩をすくめた。

その仕草に嘘は見えない。

純粋な知的好奇心に見える。


一方、カイルはずっと出入り口の前に立ち、腕組みをしてヴァインを監視していた。

その態度は明らかに敵対的で、場の空気を悪くしている。


(もう、愛想の一つくらい振り撒けないのかしら)


私は少しイライラした。

カイルの強さは頼りになるが、こういうビジネスの場ではただの障害になりかねない。

私たちは「夫婦」だが、同時に「パートナー」だ。

私のやりたいことを尊重してくれない過干渉は、契約違反ではないだろうか。


「今日は良い買い物ができました。ありがとうございます、ヴァインさん」

「こちらこそ。エリカ様のような博識な方とお話しできて光栄でした。……また、いつでもいらしてください」


ヴァインは深々と頭を下げた。

私は購入した大量の素材を収納魔法にしまい、店を出た。



「……あの男は危険だ」


帰り道、カイルが呟いた。

「目が笑っていなかった。それに、店の奥に複数の気配があった。あれは商人の護衛じゃない。訓練された兵士の気配だ」


「考えすぎですよ、カイル様。大きな商会なら、私兵くらい抱えているでしょう」

「だが……」

「もう、疲れました。早く車に戻って、戦利品の整理をしたいんです」


私は彼の言葉を遮り、早足で歩いた。

カイルが何か言いたげに口を開閉させたが、結局は黙ってついてきた。


私たちの「家」である『スイートホーム号』は、街の喧騒から離れた郊外の丘の上に停めてある。

ここなら眺めも良いし、他人の目も気にならない。

何より、私の車には鉄壁の防犯システムがある。

誰かが近づけばアラートが鳴るし、無理に開けようとすれば電撃が走る。

私のスマホに通知が来ていない以上、安全は保証されているはずだ。


夕暮れの中、黒いボディが見えてきた。

私は安堵の息を吐き、リモコンキーを取り出す。


「ほら、何事もないでしょう?」


私が振り返ってカイルに言おうとした、その時だった。


「……エリカ。下がれ」


カイルが私を背後に突き飛ばした。

抜剣する音が響く。

彼は車に向かって剣を構えていた。


「え?」


私は体勢を立て直し、車のドアを見た。

息が止まった。


そこには、一本の短剣が突き刺さっていた。

特殊な合金で作られた私の車の装甲を、深々と貫いている。

アラートは鳴らなかった。

電撃も作動しなかった。

私の完璧なセキュリティが、沈黙したまま破られている。


そして、その短剣の柄には、見覚えのある紋章が刻まれていた。

双頭の竜。

カイルの故郷であり、彼が捨てたはずの国。

『帝国』の紋章だ。


「……なんで」


震える声が出た。

カイルが静かに、けれど怒りを孕んだ声で呟いた。


「やはり、嗅ぎつけられたか」


彼は短剣を引き抜いた。

その切っ先には、一枚の羊皮紙が結び付けられていた。

カイルはそれを読み、握り潰すようにして拳の中に隠した。


「カイル様? 何が書いてあったんですか?」

「……なんでもない」


彼は私を見なかった。

その横顔は、私が知っている「夫」の顔ではなく、冷徹な「竜騎士」の顔に戻っていた。

そこには、私を遠ざけるような、見えない壁があった。


平和な旅は、ここで終わりを告げたのかもしれない。

潮風が急に冷たく感じられ、私は思わず自分の腕を抱いた。


次話、カイルの過去が、私たちを引き裂きにかかる。


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