4-2:焼け焦げた意識の底で 一瞬の魔術
部屋の入口から白い大型犬のような物が顔をのぞかせている。
まだ視界がはっきりしないせいで断言は出来ないが、どこか作り物めいた白さに思える。大きさはセントバーナードのような大型犬ぐらいか、あるいは・・・それ以上か。
こちらを観察しているだけならいいのだが・・・どうにも敵意のような悪意ような良くない雰囲気を感じる。
あれかな。記憶が曖昧なんだけど、昔にワンチャンの仲間を虐待とかしたのかな?仲間の敵討ちでござる、みたいな。
そんな現実逃避の脱線思考が出来たのは、そこまでだった。犬のような何かが飛び掛かって来た。
迎撃なり回避なりしたいところだけど、残念だが今の僕に出来るのは這いずる程度。ベッドから床に降りた、というか落ちただけで既に疲労困憊なのだから。
当然ながら避ける事は叶わず成されるがまま。
右肩に大きな衝撃。
「・・・がっっ!!」
久しぶりの声が出た。
犬の鋭い牙が肩の付け根に食い込み、そのまま全身を使って捩じられ、放り投げられる。壁際の棚にぶつけられ破砕音を立てつつ床に倒れ込んだ。
バラバラと音を立て周りに物が落ちて来る。
これ普通の犬じゃないわ。首じゃなく、攻撃の起点に使う右腕をまず最初に潰しに来るとか。僕に対する傾向と対策の気配を感じる。
そんな事を考えながらも、右腕に回復魔術を展開しようとするが、その隙も無く、再度犬が突撃して来た。今度は本命の首狙い。
強化魔術のおかげで動きだけはしっかりと追える。が、見えたところで迎撃も回避も出来やしない。もちろん右腕の回復も間に合わない。
この状態をどうにか出来る解決策なんて僕の引き出しには有るわけも無い。
生き残るためには、もう一段■■の■■に踏み込むしか無い。どれ程のリスクがあるかは分からない。だが、ここで終わるよりかは幾分かはマシなはず。
僕には、まだやらないといけない事があるのだから。
飛び込んできた犬の口に強化魔術で無理やり動かした右腕を突っ込んだ。力も何も込められていない。打撃にも何にもなってない。自らの腕をダメにするだけの一手。
当たり前の事だが喰いつかれた前腕部から激しい出血が起こった。続いて何かが軋むような響きと共に、右腕の触覚が完全に消える。・・・千切れていない事を祈るばかり。
だが、そんな事を思いながらも準備を終える事は出来た。右腕を犠牲にした時間稼ぎの甲斐はあった。覚悟さえ決まれば所詮自分の■■の事。結果は一瞬で返ってくるのだから。
現状を打開するには、これしか無かった。
左手で床に落ちていたハサミを握る。先程ぶつかった時に棚から落ちて来た物のようだ。本当はメスやナイフの方が概念的には相応しいのだけど、無い物ねだりも宜しくない。一応、刃物ではあるので、取りあえずは十分だ。
左手に握ったハサミを刃と見立て、『世界』に宣言する。
『これは何者をも切り裂く刃である』
右腕に喰いつく犬の首筋を上から下へと、ハサミでそっと撫でるように・・・なぞる。刃を開くことも、力を込める事もせず、なぞるだけ。
ただ、それだけで白い犬の首筋が大きく切断される。あと半周すれば首を綺麗に落とせそうな程に。
危機を察した犬は喰らい付いていた右手を離し、止めを刺そうと僕の首を狙って飛び掛かる。首が落ちかけた状態で動けるとは予想外だが、まだ「宣言」の効果は続いている。僕は目の前に近づく犬の顔を下から上にそっとハサミで撫でた。力も何も込めずに、ただ触れただけ。
そして、それだけで事態は終結した。
勢いよく犬の身体が衝突して来たが、もうその身体が動く事は無い。顔面を両断され、その命は失われているのだから。
その断面は血が溢れるわけでも肉が零れるでもなく、まるで金属を削り取ったか、あるいは硬いプラスチックを抉ったかのよう。とても生き物とは思えない。
白い犬について考えていると「宣言」の効果が失われ、ハサミは特別な意味の無い「普通のハサミ」へと戻った。
世界の修正力にかき消され、僕の一瞬の魔術はあっけなく終了した。そして、それと同時に反動がやってくる。今の『僕』には扱えないはずの魔術を、強制的に展開した事による反動。理解出来ない物を「理解したと見立てた事」による脳への過負荷。それは激しい頭痛と思考力の低下、そして魔術行使の停止として現れた。
ギリギリで肉体を支えていた強化魔術の効果が切れる。それに加え■■から情報を引き出した事で自己認識までもが曖昧になる。
魔術も思考も保てず体のコントロールが失われる。そのまま床の上に仰向けで倒れ込み、天井を見上げた。右腕や肩から血が流れ出ていく。体は少しだって動こうとしない。
僕には、まだやるべき事があるのに。
・・・・・・
・・・
薄れゆく意識の中で誰かが僕に呼び掛けてくれていた気がする。
でも、それが誰かすら分からなかった。




