第23話 彷徨う鎧
前日の母との温かなひとときから一夜明けた朝、エミリアは心地よい余韻に包まれながら食堂へと向かった。胸元のロケットが歩くたびに軽やかに揺れる。
しかし食堂の扉を開けた瞬間、いつもとは明らかに違う重苦しい空気に包まれた。
「おはようございます」
エミリアの挨拶にベルナードは軽くうなずいたものの、その表情は浮かない。ディアーヌも心配そうに眉をひそめている。二人の視線はクロードに向けられていた。
席についたエミリアも思わずクロードに目を向けた。
いつもなら窺うような視線でエミリアを見るか、あるいは完全に無視するかのどちらかなのに、今朝は新聞に目を落としたまま深刻そうな表情を浮かべていた。その顔には、いつものような傲慢さはなく、純粋に悩ましげな色が浮かんでいた。
「兄上、何かお悩みのことでも?」
クロードの、昨夜の廊下での会話を思い出す。おそらくそのことではないか──エミリアが思わず声をかけると、彼は新聞から顔を上げた。その表情にはいつもの見下すような色はなく、『王国騎士団王都警備隊第三分隊』隊長としての責任感と困惑が浮かんでいた。
「……ああ、エミリア」
クロードは新聞を置き、重々しく口を開いた。
「実は、騎士団に厄介な事件が舞い込んでいるのだ」
エミリアのティーカップを持つ手が止まる。やっぱり──思わず身を乗り出した。
「どのような事件ですか?」
「最近、王都で奇怪な事件が相次いでいる。『彷徨う鎧』と呼ばれる、正体不明の全身鎧をまとった何者かが夜な夜な街を徘徊し、市民に斬りかかっているのだ」
「市民を襲うって……」
エミリアは眉をひそめた。
「被害は出てますの?」
「幸い死者は出ていない。だが負傷者は十数名に上る。何より厄介なのは、その『鎧』の正体が全く分からないことだ」
クロードの声に普段の威圧的な調子はなかった。純粋に、騎士として事件に向き合う真摯な態度がそこにあった。
「被害者の証言では、人間離れした動きで、まるで魔法で動く人形のようだったという」
「人形のような……?」
「ああ。しかも、剣技は一流だが明らかに殺意はない。威嚇や牽制のような攻撃ばかりだ」
エミリアは興味深そうに身を乗り出した。
「それで、その『鎧』はどうやって逃げるんですの?」
「それが最大の謎なのだ」
クロードの表情がさらに険しくなる。
「攻撃を受けても傷一つつかず、煙のように消えてしまうのだ。夜間のみ現れて、しかも神出鬼没」
ベルナードも眉をひそめた。
「衛兵では手に負えないのか?」
「はい。衛兵も探しきれなかったようです。その間も被害が増える一方で。昨夜、騎士団に正式な捜査命令が下りました。我が隊も今日から本格的な捜索を開始します」
クロードは拳を握りしめた。
「正直、どこから手をつけて良いか分かりません。相手の正体も目的も、何もかもが謎です」
エミリアは心の中で様々な疑問が渦巻くのを感じた。
(『煙のように消える』……『人形のような動き』……これって、まるで……)
しかし家族の前では、その考えを口にすることはできなかった。
「兄上、きっと解決できますよ」
エミリアの励ましに、クロードは少し意外そうな顔をした。
「……ああ。市民の安全のためにも、必ず正体を突き止めてみせる」
食事を終えたエミリアは足早に書庫へと向かった。胸の奥で強い好奇心がうずいている。
書庫の扉を開けると、ラウルは机に向かって魔法の研究書を読んでいた。アンナにも聞いてもらおうと書庫に呼ぶと、彼女はお茶の用意をして入ってきた。
「おはよう、ラウル。アンナもありがとう」
「おはよう、エミリア。今日も早いね」
「実は、二人にすごい話があるの」
エミリアは興奮を抑えきれずに話し始めた。
「兄上から聞いたんだけど、王都で『彷徨う鎧』っていう不思議な事件が起きてるのよ」
ラウルは本を置き、アンナも茶の準備を止めてエミリアに注目した。
エミリアは朝食での兄の話を詳しく伝えた。正体不明の全身鎧が夜な夜な市民を襲っていること、人間離れした動きで〝魔法で動く人形のよう〟だということ、攻撃を受けても傷一つつかないこと、煙のように消えてしまう謎の足取り、そして騎士団に正式な捜査命令が下ったこと。
ラウルは眉をひそめた。
「『煙のように消える』って……それは魔法でも説明がつかないな。瞬間移動の魔法は理論上存在するが、現代では実現不可能とされている」
アンナは心配そうに手を握り合わせた。
「恐ろしい話ですね……お嬢様、そんな危険な事件には近づかない方が……」
しかし、エミリアの目は興味で輝いていた。
「でも、これって面白そうな事件じゃない?」
ラウルは苦笑いを浮かべる。
「まったく、君らしいな……でも今度は本当に危険かもしれないぞ。相手は実際に人を傷つけているんだ」
「でも、不思議でしょう? こういう現象、古代の記録にもないのよ」
エミリアは古代史の本を取り出し、ページをめくる。
「それに、『人形のような動き』って表現も気になる。まるで何かに操られているみたい」
アンナが再び心配そうに口を挟んだ。
「でも、お嬢様……クロード様でも困っているような事件に、私たちが首を突っ込むなんて危険すぎませんか?」
「たしかにそうなんだけど……私たちなら違う角度から見られるかもしれない。騎士団は捕らえることを前提に考えるけど、私たちは〝謎を解く〟ことから始められるわ」
ラウルも興味を示し始めた。
「たしかに……『神出鬼没』っていうのも変だ。どこから現れて、どこに消えるのか、何かパターンがあるはずだ」
「そうなのよ!」
エミリアは地図を広げた。
「普通に考えたら、王都のどこかに隠れ家があるはず。でも騎士団が見つけられないということは……もしかして、私たちが想像もしていないような場所から現れているのかも」
「でも、お嬢様。そんな場所って、どこにあるんでしょうか?」
「それを調べるのよ。まずは目撃情報を集めましょう。ラウルの言うとおり、パターンがあるかもしれないわ」
「調べるって……まさか」
ラウルが不安そうな顔になる。
「もちろん、夜に出歩くつもりはないわ。まずは昼間に、目撃者の証言を集めて、パターンを見つけることから始めましょう」
アンナも、意外にも乗り気になった。
「私も一緒に行きます! 街の方々も、私の方が話しやすいかもしれません」
「そうね。三人で手分けして情報を集めましょう」
エミリアは微笑んだ。
三人は、まずオルフェンに尋ねることにした。オルフェンは事件のことを既に知っており、心配そうな表情を浮かべていた。
「危険な事件ですね。衛兵も手を焼いているようですが……」
「先生、古代の記録で似たような現象の記述はありませんか? 『煙のように消える戦士』とか」
オルフェンは古い文献を調べたが、該当する記録は見つからなかった。
「うーむ……『消える』という表現なら、古代の魔法に『瞬間移動』の術がありますが、それも確実な記録ではありません」
ラウルが口を挟む。
「でも現代の魔法理論では、瞬間移動は不可能だよね」
「その通り。これは魔法以外の何かかもしれないな」
「やっぱり、これは普通じゃない。絶対に調べる価値があるわ」
エミリアの目が輝いた。
その夜、エミリアは自室でロケットを手に、窓の外の星空を眺めていた。
聖石の異常な反応、鉄巨人の謎、幽霊騒動の真相。すべてが何かの糸で繋がっているような気がしてならない。
(あの『管理者』の声も、『支援ユニット』という言葉も……そして今度の『人形のような動き』。まるで……)
彼女の脳裏に、ある可能性がよぎった。これまでの出来事すべてに共通する、何か大きな謎の存在。
(もしかして、私に起きている現象と、この『彷徨う鎧』には何か関係があるのかもしれないわ)
エミリアが廊下に出ると、書斎から出てきたクロードとばったり出会った。兄は疲れた様子で、珍しくエミリアに威圧感を向けなかった。
「エミリア……まだ起きていたのか」
「兄上こそ、お疲れ様でした」
クロードは少し意外そうな顔をした。普段のエミリアなら、こんな気遣いの言葉はかけないからだ。
「ああ……各分隊で手分けして王都をしらみつぶしに捜査しているが……足取りがまったく掴めない」
エミリアは一瞬躊躇したがクロードを見つめた。
「兄上、もし何か手がかりが見つかったら……お役に立てることがあるかもしれません」
クロードは驚いた表情を見せた。
「おまえが? ……まあ、それは助かるが……危険な真似はするなよ。それに、騎士団の捜査の邪魔にはなるなよ」
(なによ、今日は何だか素直だなって思ってたら、やっぱり嫌味っぽいわね。でも、これはいつもの兄上か)
「……はい。わかりました」
エミリアは何か言い返してやろうかと思ったが、クロードの疲れた表情が引き締まるのを見て、素直に返事をした。彼はそれ以上何も言わず背中を向け、夜の捜査に向かった。
エミリアたちも明日から調査を始める。騎士団が総出で探しても見つからない『彷徨う鎧』。これは本当に、あり得ない場所から探した方がよさそうだ。
(『彷徨う鎧』……一体何者なの? そして、なぜ今、王都に現れたの?)
エミリアの胸の奥がわずかにざわついた。




