第10話 夜会よりゴーレム
デビュタントから一週間。朝食の食卓の空気は、以前と比べてわずかではあるが変わっていた。食器が触れる音も心なしか軽やかだ。
「エミリア、昨夜も遅くまで手紙を書いていたようだが」
父が直接話しかけてきた。口調は相変わらず硬いが、以前のような冷たい感じではない。
「はい。お世話になった方々へのお礼状を」
「そうか。社交界での付き合いは大切だからな」
隣でうなずいている母も、これまでのようによそよそしくはない。といっても積極的に話しかけてくるわけでもなく、微妙な距離感はあいかわらずだ。
兄は肩をすくめた。
「まあ、無難に済んだようで何よりだ。王妃殿下からもお声をかけていただいたそうじゃないか」
(お兄様から話しかけてくるなんて珍しい……でもやっぱり嫌味っぽいわね)
「お陰様で」
兄とは話を広げてもつまらなさそうだ。ということで、そっけなく答えた。
この人たちはこういう人たちなんだ、と自分に言い聞かせる。いちいち癇に障っている方がバカらしい。それに、無理に仲良くしなくとも、これくらいが自然なのかもしれない。そもそも〝普通〟の家族がどれくらいの距離感なのかがよく分からない。
食事を終えて自室へ戻ると、アンナが嬉しそうな顔で迎えてくれた。
「お嬢様、今朝もたくさんのお手紙が届いております」
机の上には色とりどりの封筒が山になっていた。どれも上質な紙に、美しい筆跡で宛名が書かれている。
「皆さま、お嬢様との再会を楽しみにされてらっしゃるのでしょうね」
一通ずつ手に取り、封を切って読んでいった。
まず、マチルダからの手紙。
『先日はありがとうございました。エミリア様のお言葉で勇気をいただけました。……また古代史のお話をお聞かせください』
他の令嬢たちからも丁寧な文面が続く。
『ぜひ今度、お茶会でゆっくりお話を』
『エミリア様はサロンを主宰されませんの? 開催されるなら、ぜひ、お邪魔させていただきたく存じます』
『またお会いできる日を楽しみにしております』
『お時間のある時に、ぜひお庭を見にいらしてください』
どの手紙も心のこもった丁寧な文面で、自分と友誼を結びたいという内容だった。複雑ではあるが嬉しさが湧いてくる。
(みんな丁寧で……背後に家の思惑があるのかもしれないけれど、悪い気はしないわ)
特にマチルダの手紙は純粋な友情を感じさせる。それに、他の令嬢たちも案外気が合うかもしれない。
「お嬢様、お返事はいかがなさいますか?」
「そうね……少しずつお返事を書きましょう。でも今日は、少し外の空気を吸いたい気分」
便箋を置いて背伸びした。
◇ ◇ ◇
まだ疲れもある。どちらかといえば気疲れだ。今はまだ、手紙とにらめっこするのは御免被りたい。というわけで、久しぶりに外出することにした。天気もよく、いい気分転換になりそうだ。
午後、『賢者の書房』を訪れた。文字は書きたくなかったが、読書は別だ。あの時のマチルダとの会話で、ムクムクと古代史への関心が頭をもたげていたのだ。
扉を開けると見覚えのある後ろ姿が目に入った。振り向いたのは、やはりジルだった。彼は穏やかな微笑みを浮かべた。
「やあ、エミリアさん。デビュタントはいかがでしたか?」
「無事に終わりました。思ったより沢山の方とお知り合いになれて」
「それは良かった。楽しい出会いがあったのですね」
気負いのない自然な会話。
思わず安堵のため息が出てしまう。
「皆さん親切にしてくださって……でも正直、少し疲れました」
「華やかな世界も大変でしょう?」
「ええ、家格や血脈の話が多くて。もっと興味深いことを話したいのですが」
「ふふ、あなたらしい。学問の話ができる相手は貴重ですからね」
それは同感だ。
「お手紙も沢山いただいて……皆さん本当に私と友達になりたいのか、それとも家の思惑なのか、正直よく分からなくて……あ、こんなこと言うなんて失礼ですね」
「両方かもしれませんね。でも、それも社交界の現実です」
「そうですね。でも、悪い気はしませんし、少しずつ見極めていけばいいのかも」
そう言うと、ジルは興味深そうに眉を上げた。
「現実的な視点をお持ちなんですね。それは大切なことです」
いつものように隣り合って座り、本を開いた。これほど心地良いひとときはない。
「ところで」
ふと、ジルが声を潜めた。
「そんな学問好きのあなたに、面白いお話があるんです」
「面白いお話?」
何だろう? ──社交界の疲れが一瞬で飛んでいくようだ。
「王立研究所に、古代の遺物が運び込まれたという話でして……」
「古代の遺物!?」
思わず身を乗り出してしまうと、ジルは微笑んで続けた。
「ゴーレムらしいのですが、何の反応もなく、研究者たちも困惑しているとか」
「ゴーレム!?」
思わず声が大きくなり、慌てて口を押さえた。店内の他の客がちらりと視線を向ける。
「ぜひ見てみたいです! 古代の技術がどんなものだったのか……」
「実は私の知人に所長と親しい方がいまして。見学の手配ができるかもしれません」
胸が躍った。
(この人の人脈は一体……? でも古代遺物──それもゴーレムだなんて、そんな機会、二度とないかもしれない)
「本当ですか? ありがとうございます」
「では、詳細が決まり次第、ご連絡いたします」
「社交界のお付き合いより、こういう時間の方がずっと楽しいです」
なんと素晴らしいお誘いなんだろう。王立研究所、古代の遺物、ゴーレム。最高の響きだ。
◇ ◇ ◇
夕方、いつものように書庫でラウルと合流した。
「お帰り、エミリア。また本屋に行ってたのか?」
「ええ。今日は素晴らしい話を聞いたの」
手紙の件も含めて、まずは最近の状況を話した。
「社交界って、やっぱり大変なんだな」
「でも思ったより悪くなかったわ。特に書店であの人──ジルさんとお話しして、すっかり気分が晴れたの」
ラウルの手が、ページをめくる途中で止まった。
「ジル……?」
「古代のゴーレムを見せてもらえるかもしれないの」
「ゴーレム? それはすごいけど……その人、一体何者なんだ?」
ラウルの、わずかに警戒心を込めた声音。いったいどうしたのだろう?
「とても博識で、王立研究所にも知り合いがいるみたい。話していると時間を忘れてしまうのよ」
ラウルは複雑な表情を浮かべた。
自分としては気の合う友人を紹介したつもりだった。それにラウルともきっと話が合うはずだ。なのに、なぜかあまり嬉しくなさそうだ。
「へえ、すごい人だな」
何だか台詞みたいな口調だ。おかしい。
「それで、その方と一緒にゴーレムを見に行くことになったの」
ラウルの顔色がにわかに変わった。
「え? 二人で?」
「ええ、とても楽しみ」
「それはダメだ!」
自分の声の大きさに驚いたのか、ラウルが目を見開いた。何をやってるんだか。
「もぅ、いきなり大声出さないでよ」
「あ、あぁ。すまない」
いったいどうしたというのか。
「……で、どうして?」
「素性の分からない男と二人きりなんて……危険すぎる」
「でもきっと、貴族の方よ。紳士的な方だし」
「どこの家門だよ?」
「……それは、知らない」
「ほら、やっぱり怪しいじゃないか!」
「でも、ただの見学よ?」
「それでも!」
ラウルはおもむろに立ち上がり、拳を握りしめている。訳が分からない。
「……分かった。俺も一緒に行く」
「え?」
「絶対に一緒に行く。そんな怪しい男と二人きりで行かせるわけにはいかない」
今まで見たことのないほどのラウルの剣幕だ。
「ラウル……いったいどうしちゃったの?」
短く息を吐いた。
まあ、ラウルが心配するのも理解できる。だけど、妙に必死なのが気になる。何だか変な感じ……まあ、昔から心配性だものね──と、結局ラウルの必死の?提案を受け入れることにした。
◇ ◇ ◇
翌日、再び『賢者の書房』を訪れた。今日も変わらず読書を楽しんでいたジルに事情を説明した。
「──友人も古代史や技術に興味があって、どうしても同行したいと……」
「もちろん構いませんよ」
ジルはあっさりと承諾した。
「ご友人とご一緒なら、より楽しい調査になりそうです。お名前は?」
「ラウルと申します。私の家庭教師の息子で、魔法を学んでいます」
「魔法の専門家でしたら心強いですね。古代の遺物には魔法的なものが関わっているかもしれませんから」
ジルの快い返事に恐縮してしまう。
「ご無理を言って、本当に申し訳ありません。でも、ありがとうございます。……ラウルもきっと喜びます」
「では、詳細が決まり次第ご連絡いたします」
数日後、王立研究所から正式な招待状が届いた。美しい文字で書かれた公文書には、ラウルの同行も正式に許可されていた。
公文書を隠すわけにはいかない。父へ正直に報告すると怪訝な表情で尋ねてきた。
「王立研究所とは……どういう知人だ?」
「書店で知り合った方で、とても学識があって……でも詳しいご身分は存じません」
やはり、身元がはっきりしないと駄目なのか。
「ふむ……まあ、王立研究所からの正式な招待なら問題はないな。それに、研究所にツテがあるぐらいだ。身元はたしかだろう」
父の、先ほどまでの尋問でもするような表情が緩んだ。ひとりで納得し、うなずいてる。
まさか、父があっさり承諾するとは思わなかった。後であれこれ言われないように、この話はここまでにしておくのが良さそうだ。
(でも、ゴーレムか。すっごく楽しみだな。それに、王立研究所だなんて)
古代の遺物など、おいそれと見られるものではない。本当に、ジルの人脈には感謝しかない。訪問日が待ち遠しくなってきた。




