07 女法士の語る「教授」
「戦乙女様ではありませんか」
空間の密度を縫うように、ふわりと弾む声が冷えた通路の空気を揺らした。
光の英雄がわずかに歩幅を緩める。
その視線の先。
愛嬌のある笑みを浮かべた小柄な少女が、ひょっこりと姿を現したのだ。
先日、黒王子が引き連れていた女法士。
冒険者ギルド最強と謳われる、【黒髪の青年パーティ】の一員だ。
「お前。腹黒王子の依頼で、俺たちより先にスタンピード攻略に向かっていたのではなかったのか?」
光の英雄が怪訝そうに眉をひそめた。
「はい。私たちが先行していたのですが……」
女法士は困ったように笑った。
「ほーう。それで?」
「パーティからはぐれてしまって……地上を目指して歩いていたところなんですですが…」
両手を軽く合わせ、申し訳なさそうに小首を傾げる少女。
その仕草には、どこか演技めいた余裕がある。
先行していたはずのパーティから、なぜこの迷宮の深部で離れてしまったのか。
その説明に違和感を覚えながらも、女法士は軽い足取りで戦乙女の傍らへ歩み寄った。
「よければ、みなさんの後をついていってもいいですか? 私1人では、迷宮の構造もよく分からなくて……」
「……」
戦乙女が答えに窮するより早く、光の英雄がすかさず1歩前へ踏み出した。
「そういう事情なら仕方ない。任せろ!」
英雄はイケメンポーズをつくりっている。
「安心しろ。なんせ俺は、世界を救うために召喚された男だからな」
烈樺は、大剣を担ぎ直して得意げに笑うイケメンを一瞥し、小さく息を吐き捨てた。
(……駄目な男を凝縮したような奴だな)
烈樺は興味を失ったように視線を外した。
「……分かりました。一緒に進みましょう」
戦乙女は女法士に告げ…
一行が再び歩き始めた。
ふと振り返った英雄の視界に、3人の少女が並んで映ると…
その口元が、にやりと緩む。
――女が3人。
それだけで、英雄の頭の中には勝手な理想の光景が完成していた。
少女は、それを見逃さなかった。
「……そこのあなた!」
「俺?」
呼び止められた英雄が、得意げな顔で振り返る。
烈樺は、その顔をじっと見つめた。
「もしかして、ハーレムパーティが出来たと、ニヤけているのですか」
英雄の口元が引きつった。
「なんでそうなるんだよ! 俺だって、相手は選ぶんだよ!」
烈樺が、わずかに首を傾げる。
「ほーう。何で選ぶのですか」
「決まってるだろ!」
英雄は胸を張った。
「女性に大事なものは“心”だろ!」
烈樺の足が、ぴたりと止まる。
「心……?」
「ああ。俺くらいの男になるとな、顔がどうこうじゃねえ。大事なのは、心がピュアかどうかだ!」
英雄は、自分の発言に満足したように大きく頷いた。
烈樺はしばらく無言で英雄を見つめた。
(……ほーう)
その価値観を理解したわけではない。
むしろ、理解できなかった。
(人は内面が大事なんて、空想世界の話だろ)
少女はわずかに首を傾け…
ほんの少しだけ目を細めた。
(男は女を容姿で判断するクソばかりなはず。ましてやこの英雄が、まともだなんて有り得ないだろ!)
全く噛み合わない価値観の溝を前に、烈樺は再び冷徹に視線を前方の闇へと戻した。
(――にしても、だ)
歩き出す英雄の背中から、そっと視線を女法士へと滑らせる。
(この女は、本当にただはぐれただけなのか……)
烈樺が疑念を抱く一方…
戦乙女は女法士から視線を外し、前方へ向き直った。
「――とにかく、今は」
腰に下げた剣の柄にそっと手を添え、戦乙女は歩幅をわずかに広げる。
凛とした声が、淀んだ空気を切り裂いた。
「私達の目的、スタンピードの原因を探り、止めることに気持ちを集中させましょう」
その言葉に、光の英雄がわざとらしく肩をすくめてみせる。
烈樺は表情を崩さず、ただ静かに進行方向へと視線を滑らせた。
カツン、カツン。
一行は戦乙女の案内に従い、薄暗い石階段を下っていく。
先頭を歩いていた女法士が、ふと振り返った。
「そういえば、みなさんは“黒髪の青年”についてご存じですか?」
「……ああ。異世界から召喚されてきたという、冒険者ギルド最強の男なんだろ?」
光の英雄が、面白くなさそうな顔をしている」
「私たちのパーティリーダーは、本当に、信じられないほど強いんです」
英雄の眉がピクリと跳ねる。
自分以外の男が称賛されることが、どうにも気に食わないらしい。
「彼には『教授』と呼んでいる自律型の浮遊物体がついていまして……」
女法士は歩きながら、宙に小さな球体を描くように指先を回した。
「敵を見ただけで、弱点も勝ち筋も計算してしまうんです」
「……はっ。機械任せの甘ったれかよ」
英雄が鼻を鳴らすと、女法士は楽しそうに微笑んだ。
「そう思いますよね。でも、教授は相手の強さにこだわりません」
「つまり、真正面から勝つ必要がないってことか」
「はい。教授にとって戦闘は、力比べじゃありませんから」
その言葉に、烈樺の歩みがほんの一瞬だけ鈍った。
「実際に戦うのは、私を含めたパーティメンバー五人です。でも、教授が最適な答えを出してくれるので、私たちはその通りに動くだけなんですよ」
「……なんだそりゃ。自分で考えてねえじゃねえか」
英雄が呆れたように吐き捨てる。
「ええ。だからこそ、強いんです」
女法士は、少しも疑っていない様子で言い切った。
英雄が忌々しげに舌打ちする横で、烈樺は歩調を変えなかった。
(敵が勝てない状況そのものを作る、か……)
少女はそれ以上口を挟まず、前方へ視線を戻した。
「それに――」
女法士は戦乙女へ顔を向けた。
「彼らが先行している以上、主要な脅威は排除されているはずです。このまま安全に進めますよ」
緊張を解きほぐそうとする甘い言葉。
「なんだ、俺様の出番はないってことか」
安堵半分、不満半分の声を漏らす。
その一連の会話の中、烈樺の呼吸だけが凪いだ水面のように静かだった。
(ネクロマンサーが黒髪の青年に討伐されるというのなら、クエストは完了する。それはそれで、構わないが…)
烈樺の指先が、微かに掌を擦る。
合理的な思考が、状況を最適化していく。
だが、少女の瞳の奥底で、氷のような冷気が揺らいだ。
(しかし――、それだけで、同族を狩り切れると?)
烈樺は闇の奥を見据えていた。
* * *
一行の足が、ついに地下3階層の冷たく硬い岩盤へと降り立った。
静寂。
松明の火の粉が爆ぜる音さえ遠のくような、深い闇。
――ゴォォォォォォォォォ……。
不意に、床の底から微かな振動が伝わってきた。
空気が軋むような地鳴り。
英雄がビクッと肩を震わせ、大剣へ手を伸ばす。
「な、なんだこの音は……っ!」
烈樺の視線が、真っ直ぐに闇の最深部へと向けられた。
その隣で、戦乙女が息を呑む。
彼女の端正な顔から血の気が引き、黄金の瞳が鋭く見開かれた。
チャキィッ!
鋭い金属音が冷気を切り裂く。
戦乙女が剣を抜き放ち、張り詰めた声を回廊へ響かせた。
「敵です……! 強烈な死臭を感じます!」
奥から迫り来るのは、微かな地鳴りではない。
幾千もの蹄が、死の行軍を刻む音。
迷宮の底で、最悪の混沌が牙を剥いてきた。




