01 クエストの民・烈樺
「これは――永久氷結の監獄世界ですね」
天井まで50mを超える大空間。
一般の迷宮とは異なるその広漠とした地下で…
可愛いらしい少女の呟きが冷気を滑るように響いた。
足元から頭上に至るまで、視界のすべてが白銀の氷に覆われている。
その中央に、氷づけになった無数の冒険者たちの姿があった。
「おい……この冒険者たちは、王国最強クラスのS級騎士じゃないのか」
異世界から召喚された…
“光の英雄”と呼ばれる、A級相当の実力を持つイケメンが、背負った大剣の柄に縋るように震えている。
1000年に1度、魔物が一斉に暴走し、人間の生存圏へ押し寄せる――スタンピート。
その原因を探るため旅に出たはずの騎士たちが、いまやただの氷像と化していた。
「王国の近衛隊が……こんな姿に……」
闇の装束を“纏った少年”が、怯えを押し殺すように声を漏らす。
そして、彼ら2人を召喚した…
パーティーの最前線に立つ王家の血を引く“黄金の戦乙女”は、静かに振り返ると…
最も幼く見える少女へと視線を向けた。
「烈樺様の“クエスト攻略”ですが。いったん諦めたほうがよいのでは……」
——その名は烈樺。
種族は“クエストの民”。
少女は、秩序を回復するために進めている迷宮の攻略中、ダンジョン内で出会った…
“黄金の戦乙女”、“光の英雄”、“闇の少年”
の3人と一時的に行動をともにしていた。
その烈樺であるが…
絶望的な状況下にもかかわらず、微動だにしない。
「クエストの中止はありえません。秩序の回復は、なによりも優先されます」
少女は、3人へ静かな視線を向けた。
その目に映るのは、怯えでも焦りでもない。
ただ、理解できないものを見るような冷たい眼差しだった。
光の英雄の頬が、ぴくりと引きつる。
「ちびっ子。この状況が飲み込めないのかよ!」
イケメンが怒気を強めていく。
「 永久氷結だぞ。究極魔法コキュートスを使用する最強種がいるかもしれないんだぞ!」
怒鳴り散らす光の英雄を追うように、闇の少年が青ざめた顔で叫ぶ。
「この冷気……僕の生存センサーが反応しています。ここはS級難易度よりも危険です!」
「烈樺様。S級を超える伝説級の幻獣の仕業である可能性が……」
「そうだ、チビッ子! 世界を救う使命をもった俺様に、期待しているのは分かるが、最強種はさすがに無理だ」
「僕は問答無用で退却します」
後退りを始める2人に、烈樺はため息をついた。
「はー……。分かりませんか? もう戦うしか選択肢が無いことを」
冷ややかな視線を向けられた2人が、言葉を失う。
少女は無表情のまま、ひとつの方向を指さしていた。
英雄が、その指先を追い…
少年も恐る恐る顔を上げていくと…
その先――
天井の片隅に、“巨大な影”がぶら下がっていた。
空気の密度が、一変していく。
重圧が、視界そのものを歪ませた。
「――ひっ」
誰かの喉から、掠れた声が漏れた。
次の瞬間、英雄、少年、戦乙女の身体から力が抜け…
3人の膝が崩れ、その場に伏した。
指一本動かすことすら、許されない。
———その名は極氷獄鳥
最強の幻獣種であり、人類が絶対に勝てない高位存在。
上空の極氷獄鳥は、這いつくばる人間たちを見下ろし、まるで嘲笑うかのように口角を歪めていた。
「ご理解頂けましたか。もう退却は不可能という現実を受け入れて下さい」
その圧倒的な死の気配の中、烈樺が一歩、前へ踏み出した。
逃げるのではない。
その歩みは、まっすぐ極氷獄鳥へ向かっていく。
「もしかして……囮になって、僕たちを逃がすつもりですか?」
闇の少年の声が震えている。
烈樺は答えず、極氷獄鳥へ歩を進めていく。
「チビッ子……!」
光の英雄が声を上げた。
「お前の命は、俺たちが無駄にしないぜ!」
そう言いながら…
英雄の足は一歩ずつ後ろへ下がっていく。
「烈樺様!」
戦乙女が駆け寄り、伸ばした手を止めた。
「お下がりください! ここは私が――」
少女は足を止め、3人へ振り返ると、大きくため息をついた。
「極氷獄鳥は、私が倒します」
そのまま戦乙女へ視線を向けた。
「戦乙女は下がって下さい」
続いて英雄と少年を見る。
「そこの駄目な二人は、彼女をお守りください」
「お前、何を言っているんだ……?」
「言っている意味が分からないです」
「分かりませんか? 駄目な2人とは、君と君のことですよ」
「このチビッ子、話が通じてねえ……!」
「状況理解が追い付いていないようです」
その時だった。
凍てつく冷気の底で、少女の足元から
――ピシッ
乾いた音とともに、つま先へ白い亀裂が走った。
次の瞬間、亀裂から滲み出した白銀の氷が足先を覆い、足首から脛へと一気に駆け上がっていく。
烈樺が身じろぎするより早く、氷は膝を越え、太腿を呑み込み、腰へ迫っていた。
「……っ」
ピキ、ピキッ……
止める間もない。
白銀は腰から腹部、胸元へと広がり、肩を包み込むと、首筋へと這い上がっていく。
烈樺は動かない。
氷が頬を覆い、瞳へ迫る。
「烈樺様……!」
戦乙女の声が震えた。
カチン――
最後の一片が瞳を閉ざす。
そこに立っていたのは…
可愛いらしい少女の姿をした、白銀の氷像だった。
「永久氷結かよ……!」
光の英雄の声が漏れる。
「即死するのが早すぎです。僕たちの囮になる約束はどうなるのですか!」
闇の少年の絶叫が、凍てついた空間を震わせた。
英雄たちの眼前に、生きることが許されない、絶対零度の死の世界が広がっている。
空間の温度が、一線を越えて下がっていった。
それが合図だったのか。
頭上50mを超える闇の中で、巨大な翼がゆっくりと開いていく。
――バサッ。
翼を打つ音が、途中で途切れた。
次の瞬間。
離れていたはずの巨大な影が、10mほど先にいた。
「……っ」
飛翔を認識する暇すらなかった。
極氷獄鳥が、音もなく地面へ降り立つ。
ズシン――
着地の衝撃だけが地面を走り、光の英雄たちの身体を一斉に押し伏せた。
肺から空気が抜ける。
吸い込もうとしても、喉が動かない。
視線だけが、ゆっくりと持ち上がった。
目の前にいる。
ただ、それだけだった。
時間の感覚が歪む。
永遠とも思える、わずか1秒の静寂。
パキリ――
凍結していたはずの少女の体表に、細やかな亀裂が奔った。
それは頬から首筋へ、肩から胸元へと…
ゆっくり広がっていく。
パリ
氷の一片が、肩から剥がれ落ちた。
――永久氷結の呪縛。
触れたものを絶対零度へ封じる、極氷獄鳥の禁忌魔術。
監獄世界の氷が、崩れ…
白銀の膜が次々と砕け、地面へ落ちていく。
やがて最後の氷が剥がれ落ちると、烈樺はゆっくりと体躯を揺らした。
圧倒的な絶望のなかから生還した少女の姿を捉え…
そこにいる幻獣が喉の奥で淀んだ気息を漏らす。
人間に理解できるはずのない領域の声が、直接脳内へと響き渡った。
『――お前、一体、何者だ。何故、我の氷結結界が効かぬのだ』
上位存在の放つ理不尽なまでの威圧感のなか、烈樺は淡々と視線を返す。
揺らぐことのない声音が、冷え切った空間に落ちた。
「それは――私が、太陽そのものだからです」
少女の放つ微弱な気配の奥底。
そこに潜む本質に触れた瞬間、極氷獄鳥の全身の羽毛が逆立った。
(――違う)
(目の前にいる少女は、人間ではない)
本能が、逃走を命じている。
極氷獄鳥の巨体が、わずかに浮き上がった。
――その瞬間。
バシュッ!
烈樺の足元が爆ぜた。
少女の姿が消え…
極氷獄鳥が逃げようとした、その一瞬よりも速く。
すでにその眼前へ到達していた。
「――っ!」
極氷獄鳥が翼を動かすより早く、少女の拳が胸板へ突き刺さる。
ドゴォンッ!!
凄まじい衝撃が巨体を貫いた。
『グガァッ!』
幻獣の喉から、気泡の潰れるような断末魔の絶叫が漏れた。
拳が突き抜けた胸部を起点に、巨体の内側から猛烈な高熱が噴き上がる。
凍てついていた羽毛が一瞬で赤熱し…
白銀の氷を纏った肉体そのものが、内側から崩れ始めた。
次の瞬間——
極氷獄鳥の巨体は炎に包まれ、黒い塵となって崩れ落ちていく。
ドサリ。
最後まで残った巨大な頭部だけが、冷たい地面へと転がった。
静まり返った氷の空間。
舞い散る灰のなか。
烈樺の視界の端にだけ、青白い光を放つメッセージ画面が静かに浮かび上がっていた。
《クエスト成功》
《エウノミア:変動》




