8 屋根裏のひととき
先ほど通ってきたのれんの奥に戻る。さっきは気づかなかったが、右奥に階段があり、上に登れるようになっている。段のひとつひとつが引き出し式の棚になっているらしいその急な階段をジオウに続いて登る。そこは屋根裏で、ちょっとした部屋になっていた。小さなローテーブルが置かれている以外は何もなく、たった一つの明かりとりからわずかに光が差している。
「リュウは勝手に上がってくるだろうから、楽にしてなさい。何もお構いはできんが、ワシは下におるから、その窮屈そうな外套やらは緩めて、ちょっと休んでいるといい」
「あ、ありがとうございます」
またもジオウは言うだけ言って、ユウリを残して降りていってしまった。下で作業をしているのだろう。気配は感じるもののこちらの動向を気にしている様子はない。
ひどく気を遣わせてしまった、とユウリは申し訳なく思った。リュウにしてもジオウにしても、出会ったばかりだというのに何のてらいもなく手を差し伸べてくれる。今はただそのことに感謝した。
ジオウに言われて、そういえばと自分の今の格好を思い出した。顔は出していたものの頭も布で覆っているし、何より分厚い外套を着ていて、そのせいで身体がいつもより重く感じていたのだ。今ここには誰もいないのだから、それらは脱いでも問題ないはずだ。布を解き、外套を脱ぐ。そうしてしまうと想像以上に解放感があり、旅装というものがいかに窮屈かを思い知った。
ユウリの髪は青みがかった灰色をしている。父の髪とも違うので、それがおそらく生みの母からの遺伝なのだろうと思っている。実の母のことは家族の中でほとんど話題にならないため、どんな人だったかはよく知らない。今回の旅に出る際、髪を隠したのは女と気取られないためというのもあるが、それだけではない潜在的な意識が働いていたようにも思う。つまり、実の母に由来すると思われる特徴的な髪の色をさらして歩くことに、一抹の不安のようなものを感じていたのだ。
「お待たせっ。……お、いいじゃん。だいぶ身軽そうだよ」
全身に血が正常に巡るのを感じながら一息ついていると、そこにリュウが帰ってきた。姿を見たリュウに髪の色のことを言われなかったことにひそかに安堵した。
リュウの手には弁当が二つ。結構急な階段だと思ったのだが、リュウはバランスを崩すことなく登ってくる。ローテーブルの前まで来ると弁当を置いてどっかと座る。
「簡単なもんだけどどーぞ」
「ありがとう」
薄い木でできた弁当のふたを開けると、保存用でない柔らかく焼かれたパンと青菜の和え物、豆や細かく切った野菜の入った卵焼きが収まっていた。リュウによると、惣菜をパンに挟んで食べるのが一般的なのだそうだ。確かにパンには切れ目が入れられていて、その面にバターが塗ってある。言われた通りに卵を挟んで頬張ると、パンとも一体感があってとても美味しい。夢中で食べていると、その様子を見ていたリュウは。
「よかった。ちっと顔色もマシになったな」
「?そんなにひどい顔をしていた?」
「今にも倒れるんじゃないかってヒヤヒヤしたよ」
あくまでリュウはさらりと、何のこだわりもないように言う。自分の分のパンにかぶりつきながら。
「……私は、自分のことすら見えていないんだな。心配かけて申し訳ない」
言うと、リュウはきょとんとして、次には破顔した。
「ユウリのそういう生真面目なとこ、アタシはいいと思うよ。そうやって気付けるんだから、変わっていけるだろうしね」
「変わって、いけるだろうか」
「ちょっとずつな。アタシ人を見る目には自信あるんだ。ユウリに見込みがあるってのはそういうとこ」
だからそんな暗い顔すんな、とニカ、と笑ってみせる。ユウリも真似して笑ってみようとしたが、うまく笑えたかはわからなかった。
「なぁ、ユウリは女だって気取られないように、あんな旅装をしてたんだよな?」
食べ終わると、リュウがおもむろに切り出した。ユウリはその意図をくめないままコクリとうなずく。
「それってアタシが用心棒やるとなっても必要なこと?」
「……というと?」
どうにも要領を得ず、問い返してしまう。リュウは今は脱ぎ置かれている旅装を指す。
「その外套じゃこっからはキツいと思うんだよ。今でさえ窮屈なんだろ。これから暑くなるし、都までもたないんじゃないか?」
それは薄々ユウリも気づいていたことでもあった。実際それらを脱いでみて得られた解放感は大きい。いろいろ圧迫していたから身体もだるかったのだということも明らかになった。しかし今の服装は、黒い薄手の上衣に紺のゆったりしたズボンで、腰を帯で留めている。身体のラインが隠れているとはとても言えない。
「でも……」
「姿があらわになるのは不安?」
リュウに覗きこむように問われ、ユウリは気まずそうに小さくうなずく。まるで子供が駄々をこねているようで恥ずかしくなった。しかしリュウは構わない様子で、
「そしたらさ、何かもっと身軽なやつをおじさんに見繕ってもらおうよ。おじさーん!」
「えっ、ええと、それはさすがに……」
ユウリが引き留めようとする間もなく、リュウは階下へと降りていってしまった。呆気にとられながら、リュウについていくにはまず自分の素早さを上げなければならない、と気持ちを新たにした。