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71 終着地

 ユウリは思わず目を瞑った。この旅の道中、何度もあてられてきた瘴気。アイリのようにそれで気絶することはなかったが、だからといって気持ちのいいものではない。山上を渦巻くように吹きつけている刺すように冷たい風とは明らかに違う、生命から発せられる熱を帯びた温い風。禍々しい臭い。

 それが、次の一瞬に霧散した。

 え……?

 何が起きたのか。恐る恐る目を開けると、皇子の背中が映る。両手で何かを掲げている。それは、直刃の剣に見えた。まさかあのヒュウゴウを斬ったのかと一瞬思ったが、その巨躯はいまだ頭上を羽ばたいている。ではなぜいきなり瘴気が消えたのか。

 あの剣が、瘴気を斬り払ったのだろうか。

「過去はもうどうにもならない」

 皇子が、ヒュウゴウと相対している。会話を試みているようだ。

「確かに私たちは間違ったのかもしれない。人の範疇にないことをどうにかしようと……だが、一度過ちを犯したらそれまでなのか?挽回する手立てすらないのか?」

――人間は過ちを繰り返す。今回ばかりではない。現に今もさだめを捻じ曲げようとしているだろう。

 ランタンの火は燃え続いている。ユナが形代とされた呪術の礎となった呪具。

「私はそのために来たのではない。天命を確かめに来たのだ」

 ブォォ、と不気味な音をたてたのは、ヒュウゴウの鼻息だったようだ。蔑むように笑う。

――天命とは、また大それたことを。

「もしそれが私にないなら、生き延びたとしてもそこまでなのだろう。だがもしあるなら、私の全身全霊をかけてこの過ちを贖う。それが世継ぎとしてこの国を護る私の覚悟だ」

 掲げている剣の刀身がキラリと輝く。その刃は不思議と、支えている皇子の手は傷つけない。まるで空気だけを切り裂くかのように。

 しばしヒュウゴウと皇子の睨み合いが続いた。空気は緊張をはらみ、いつ均衡が崩れてもおかしくないというような危うさがあった。ヒュウゴウの威圧は強く、表に立っているのがユウリだったらすぐに圧倒されていたことだろう。しかし皇子は退かなかった。線は細くとも、意志はとても強いのだ。皇子の言葉からもそれは伝わった。

 やがて。

――面白い人間もいたものだ。

 折れたというようにヒュウゴウがぼやく。

――お前のその意志に免じよう。ただし、これは警告だということを忘れてはならぬ。また過ちを繰り返せば人の世に未来はないと思え。

「もとより、その覚悟だ。私を最後にこのようなことはさせない。そういう未来をつくってみせる」

――言うたな。ならお手並み拝見といこう。

 バサッ、と大きな羽音をたててヒュウゴウが舞う。空中で器用に向きを変えると、彼方へ向けて飛び去っていった。

 姿が見えなくなるまで、三人は見送るように立ち尽くしていた。心なしか吹き荒れていた暴風がおさまったように思える。

 ユウリの目の前で、皇子が腰から崩れ落ちる。慌てて後ろから支えた。

「あの、大丈夫、か?」

 先の出来事で皇子という存在の大きさを実感したせいか、普通に接していいものか迷ったものの、元々敬語も使い慣れていないユウリは中途半端に詰まった。だが当人はあまり気にしていないようだ。

「すまない。緊張が切れたみたいだ」

 皇子は手にしていた剣をしまおうとする。青く光を反射する美しい装飾の剣。

「その剣……」

「これは、かつて都にあった泉の力を宿すといわれるものだ。その昔、泉守から献上されたと聞いている」

 泉守という言葉を皇子の口から聞くとは思わなかった。ならば、その力が瘴気から守ってくれたということか。

「泉守は、かの者たちとも融和する柔軟な考えをもつ人々だったと聞いたから、もしかしたら役に立つかもしれないと思ったんだ」

 そう語る横顔はただの少年のように見えた。今までどれだけ気を張っていたのだろうと思う。

「アンタは、知ってたんだな」

 ふいにそう呟いたのはリュウだった。その意味をとりかねてユウリは振り返る。

「ここは前にヒュウゴウのねぐらだって言った、ヒオリ山脈の末端なんだ。それを知ってたからそんな代物まで持ってたってことだろ。宝剣の類だよな?それ」

 ホウケンの音の意味を認識してユウリはギョッとした。それはあまり持ち出すべきものではないのではなかろうか。ある意味持ち主が持っているのだからいいのだろうか。

 動揺を隠せずにいると、落ち着いたらしい皇子がユウリの腕をほどいて向き直った。

「それもあるが、この力であるいはこの命を返せるかもしれないと思ったんだ」

「えっ」

 衝撃の発言に今度は心臓が止まりそうになる。命を返す、とは。

「かの者の言う通り、私の命は不自然に継がれてしまった。それが過ちであるなら、正すためにはそれしか方法がない。だから君に命を預けてきたのだけれど」

 ユウリの手元のランタン。命を模した燈は儚げに燃えている。

「ここまで来てみても、それは無理だった。すまない」

 皇子が頭を下げる。その姿を目にして、ユウリは胸が詰まった。

「もう、いいんだ。それはユナも望んだことだったから」

「ユウリ……?」

 リュウが怪訝そうにこちらを伺う。それもそうだ。リュウは知らないのだから。

「ここへ着いたとき、ユナに会ったんだ。幻ではあるんだろうけど。少しだけ話して、わかったんだ。ユナはこの人に死んでほしくなかったんだって」

 リュウが心配そうに見つめる。それだけを頼みにしてここまで旅をしてきたことを、誰よりも知っているのだ。でも、ユウリの中でもう答えは出ていた。皇子と正面から向き合う。

「あなたは、仇だけれど、もう恨んだりしない。あなたに生きてほしいと願った、ユナの気持ちを尊重する」

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