63 辿り着く
風はどんどん強くなっている。不気味な黒雲が空を覆い、それでもまだ足りないというように奥から手前へと流れこんでくる。時折肌に当たる雨粒も大きくなり、ぶつかる頻度も増えている。
「あなたが、その人なんだったら」
ユウリは口の中が異常に乾くのを感じた。うまく舌がまわっているのかもわからない。目の前の皇子は黙ってユウリを見つめるばかり。
「ユナという、侍女をご存知ないだろうか?三年前から、ここで働いているはずなのですが」
ユウリには、宮廷での仕事というのがどういうものなのかわからない。病に伏している皇子の世話、ということだけは聞いていたが、それが直接相対するものを示すのか、それとも顔を合わせることのない仕事なのかまでは聞いていない。仮に面識があったとしても、そもそもずっと伏していた人に侍女を見分けることまでできたかどうか。
「ユナ……その人が、一体」
「妹なんだ。血は半分しか繋がってないけれど」
皇子はじっ、とユウリを見る。あまりにも見つめられるので、今更のように緊張感が押し寄せてくる。
本来ならば、一庶民に過ぎないユウリなどがお目にかかれるはずもないような、天上の人。もともとリュウと共に宮廷に忍びこむ計画だったが、皇子と相見えるようなことは想定していなかった。
「……知っている」
「え?」
迫り来る嵐の轟音の中で、ふいに呟かれた言葉。本来ならその風の音にかき消されていてもおかしくないはずなのに、はっきりとユウリの耳に届いた。
「病に伏していた間の、最後の侍女だ。面影が少し……君に似た」
ドクン、と心臓が跳ねた。この人は、ユナを知っている。
「ユナは……今、どこに……」
声がひきつる。息がうまく吸えない。極度の緊張が身体をこわばらせ、皇子から目をそらすことすらできない。その皇子が、目を伏せる。
「今は、もうここにはいない。おそらく、捜しても見つからない」
いやだ。聞きたくない。なのに耳を塞ぐこともできない。嵐の轟音がかき消してくれることを願っても、声は残酷なほどはっきりとユウリの耳に届く。
「おそらく彼女は……形代にされた。私の命を繋ぐために」
――お前の望み叶うこと能わず。我の魂をしてそれを証す。
――お前は同じ匂いがする、世の秩序を乱した者と同じ匂いだ。
――そなたの身内が、その禁呪を発する鍵とされてしまったようだ。
――世の秩序を乱した罪は重い。己の目で確かめるがいい。
今までに聞いたヒュウゴウの言葉とロウシュが語ったことが頭の中を激しく駆け巡る。皇子の言葉を聞くまではそれは可能性を示すものでしかなかった。それが、今、決定的なことを言われてしまった。
禁呪によって、命を繋がれた本人の口から。
「……いやだ……」
言葉は無意識に口からこぼれた。
「そんなの、信じたくない……。私が、知りたかったのは、そんなことじゃ、ない……私は」
覚悟していたつもりだった。そこにどんな真実が待っていたとしても、受け入れる覚悟。マナでロウシュの話を聞いた時点で、希望などほとんど残されていなかった。
ユナは、もういない。
だが、とてもじゃないが受け入れることはできそうになかった。
「なんで、ユナが……?あの子の、命は、そんなに、軽かった……?っなんでっ!?」
悲しみが一瞬で怒りに置き換わる。目の前の人間の地位や立場も何もかもがわからなくなる。己の言動すら、もう制御できなかった。
カンッ、という鈍い金属音を間近に聞いて、ユウリは我に返った。自分は、今何をした?一瞬遅れて右手に痛みが走る。その手に視線を落とし、その先にあるものが目に入る。
短剣の鞘。中の剣は、とその所在を探せば、物見台の端の床に転がっている。
弾かれたのだ。皇子に。ユウリの右手ごと。
私は今、皇子を、殺そうと、した……?
ユウリは自分のしでかしたことに愕然とし、膝から崩れ落ちた。なんということをしてしまったんだろう。
「申し訳ないけど、私は君に殺されてあげることはできない。世継だから」
頭上から降ってくる声には、なぜかユウリを責めるような響きはなく、むしろ労るように聞こえた。
涙がとめどなく溢れ、顔を上げることもままならない。自分に泣く資格などないのに。
「ごめん……」
あまりにも微かな声。それでもユウリの耳には届いた。なぜ皇子が謝るのだろう。今ユウリに襲われたところだというのに。
閃光が一瞬辺りを真っ白に染めた。その刹那、ドォォンという雷鳴が空気を震わす。そして次の瞬間には横殴りの雨が容赦なく降り注ぎ始めた。
ついに都は、嵐に呑みこまれた。




