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幕間――華楼の中で

 長く続く広い廊下は燭台の灯りのみで照らされていて、全体的には薄暗い。床は全面赤を基調とした豪奢な絨毯が敷き詰められており、壁から天井にかけて繊細な彫刻が施されている。今はほとんど闇に沈んでいるが、ところどころに金の装飾がされていて、明るいときに見ればここで晩餐会でも開けそうな様相をしていることがわかることだろう。

 そんな華やかな廊下を、今は一人の女性がゆっくりと歩いている。こちらもその廊下と負けず劣らずきらびやかなドレスに身を包んでいる。幾重にも重ねられたシルクの布地はやはり落ち着いた赤で、腰から下のスカートが歩くたびにゆらゆら揺れる。

 廊下の突き当たりには、彫金の美しい扉があった。いかにも重そうなそれを女性はこだわる風もなく開けた。中では老齢とおぼしき男が、何やら書き物をしていたようだが、急に扉が開いたのでびっくりして入り口を見つめている。

「これはこれは、ミルダ様。直々においでになるとは」

 男は慌てた様子で目の前の女性に最上の礼をする。ミルダと呼ばれた女性はそれを制するように言う。

「礼は結構。愛しの我が子の様子を見に来るのは母親であれば当然のこと」

「それはごもっともでございます。して、お付きの者は誰ぞお連れで……?」

「私一人ですわよ。何か不都合でも?」

「いえいえ、滅相もございません。そのようなことは、まったく、ええ」

 男とゆっくり会話する気はないようで、ミルダは部屋の奥へと入っていってしまう。何やら焦ってしどろもどろになっている男も、仕方ないというように後に続く。

 男がこんなにも焦ったいる理由。それはミルダの突然の来訪にあった。何を隠そうこのミルダこそがこの豪奢な館の主であり、この広大な帝国を統べる女帝なのである。

 今やその女帝に付き従っているこの男は名をジンクという。宮廷医師の資格を持ち、長年床に伏せている皇子、つまりミルダの子息の主治医を務めている。普段は小間使いの少女たちに看護のほとんどを任せ、自分は治療方針の見直しや新薬の探究にいそしんでいるが、今このときはただ一人部屋に残っていた。それは皇子の容体に変化があったからだ。

「経過は?」

 ジンクに先立って皇子の寝かされている寝台の脇に立ったミルダは、我が子の顔に目を向けたまま問う。ジンクは応えて、

「これまでと比べますれば、劇的に回復に向かっておられます。熱も下がっておりますし、脈も正常でございます。投薬の効果も少しずつ出ているようでございます」

 普段は自分より位の低い者と話すことがほとんどであるジンクは、口調に気を配るのに腐心した。しかし水を向けた当の本人であるミルダは大して気にしていないようだ。ジンクの方にはまるで注意を向けることなく、眠っている皇子の髪をそっとなでる。

「さぁ、リト。どうか目を覚まして頂戴。またあの日のように天使みたいに私に笑ってみせて」

 ミルダは皇族しかその名を呼ぶことを許されていない、皇子の名を口にした。本来は女帝であるミルダの名もそうなのだが、彼女自身が「陛下」と呼ばれることを嫌うため、特例として名前で呼ぶことを許可している。

 この国では、皇族に対する尊敬を「直接の名を指さない」ということであらわす風習がある。街道を逸れるような一部の集落には伝わっていないこともあるが、そもそも皇族の名前を民が知る機会などほとんどないため、その名を呼ぶ者はいない。

 母親であるミルダからその名を呼ばれた皇子、リトは床に伏して以来、ずっと眠り続けている。折を見てジンクが看護の少女たちに指示して薬を飲ませているものの、本人に意識がないためなかなか上手くいっていなかった。しかしこの数日は、目覚めるとまではいかないまでも、意識が戻りかけているとみえる瞬間があり、薬も徐々に上手く飲ませることができるようになった。

 そして、そうした長い間の治療が報われる瞬間が、今このときにやってくる。

 ゆっくりと、皇子が目蓋を開いたのだ。

「リト?」

「……母上」

 しばらく視線を彷徨わせていたリトは、ミルダの姿を見とめてかすれた声を発した。その瞬間に立ち会ったミルダは感激した様子で、リトの手を自身の両手で包んで涙を流した。

「やっと、目覚めてくれたのね。この日をどれほど待ち望んだか。あぁ、リト」

 ジンクに対しているのとは全く違う態度で、まるでリトこそが世界の全てというように我が子しか目に映っていない。泣くほど喜んでいる母親を、しかし目覚めた本人はよくわかっていないというようにぼんやりと見つめている。そこへ奥に控えていたジンクが声をかける。

「ご気分はいかがでございますか。お具合の悪いところはございませんか」

「……大丈夫」

 どうにも心ここにあらずという様子ではあるが、リトが一応は応えたことにジンクは安心した。ミルダが寝台の脇を離れようとしないので、ひとまず治療記録を書くことにしてその場を離れようとしたとき。

「母上、私は……」

「なぁに?どうしたの?」

 目覚めてから初めて自発的に言葉を発したリトに、ミルダはまるで幼子に話すように優しい声で訊く。リトの実年齢は十五なので、それはいささか異様に映る。しかしミルダにはどのように見えているかなど関係ない。今までできなかった分、我が子の望むことなら何でもしてやりたいと思っていた。

 だが、リトの発言はミルダの予想だにしないものだった。

「私は、一体何をしてしまったのだろう」

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