33.武家屋敷もどきの住人達。 その参
「ごちそうさまでした」
お腹一杯ですと手を合わせて食後の挨拶をします。
「お姉さん。それ、食べ始める時もやっていたけど、何?」
聖くんが不思議そうな顔をしています。
ここには食前食後の挨拶というものがないのでしょうか?
「食べ始める時はいただきます。食べ終わった時はごちそうさま、です。他の命をいただくのですから、そのことに感謝する言葉です。そして同時に、その料理を作ってくれた方にも感謝するための言葉でもあります。私の故郷の風習ですよ」
説明しながら、なんとなくしんみりしてしまいました。二度と戻れない場所だろうとも、私の故郷が日本であることは確かで、私自身にそれは根付いているんです。
「なかなか奥の深い言葉ですねぇ」
信さんが湯飲みを手に、ほのぼのと呟きます。
明さんがお茶の入った湯飲みをくれたので受け取りました。一口飲めば、飲み心地のちょうど良いほうじ茶でした。
さすが、明さんの入れたお茶です。美味しいですね~。ホッと和む味です。
「えぇと。それで、なんのお話でしたか?」
内容は忘れましたが、何か話の途中でお昼ご飯に意識が切り替わった気がします。ん?
「もしかして、明さんに誤魔化されました?」
お昼ご飯に意識が向くよう明さんに誘導されましたね、たぶん。その前の話題はなんでしたか……。
「昼は協会というお話でしたが、セリさんは協会の関係者なのですか?」
睦月さんが私の前の食べ終わった食器を手際よく片付けながら、そう告げました。
食器のお片付けくらい私がやりますよと思ったら、片付けた皿の代わりのように豆大福の乗った皿が置かれます。
「お持たせですみませんけれど、どうぞ」
「ありがとうございます」
もしかして睦月さんは台所に他人を入れたくないタイプなのでしょうか。たまにそういう方、いますよね。
私はご飯を作ってくれるならどうぞご遠慮なく、なタイプです。
明さんが隣で苦笑しています。でも、明さんの前には湯飲みはあっても大福はありません。
「甘い物は嫌いですか?」
そういえば菓子折りを何にするかの話題で、嫌そうな顔をしていましたよね。
「食えんことはないが、な」
やっぱりそうですか。疑問は解消したので、睦月さんの質問に戻りましょう。ということで――。
「協会で明日から働くことになっています」
そう告げた後の空気は異様としか思えないものでした。思わず、隣の明さんの服を掴んでしまいましたよ。
明さんだけはいつも通りです。この異様すぎる空気に気づいているだろうに、気にせずにお茶を飲んでいます。
「あのさ、お姉さん。それ、本気で言っている?」
「……はい。職は保母さんですけど」
そう告げた後の、これまた微妙な空気に、掴んだ明さんの服を引っ張ります。
「なんだ?」
なんでそんな平然としていられるんです。
「本当にあそこで働いても大丈夫なんですか?」
「大丈夫だ。何かあっても、俺が落とし前はつけてやると言っただろう?」
ええ、物騒な発言をしていましたね。覚えています。でも、私が言いたいのはそういうことではなくて、ですね。いえ、そういうことかもしれませんが――。
「明さんのつける落とし前は物騒そうなので遠慮します。と、そうではなくて協会にいったい何があるんですか!?」
妙に殺気立った雰囲気になったと思ったら、急に白けた空気に変質して、現在、呆れたような空気がこの場に流れています。
そういえば見知らぬ方が二名ほど、更に増えています。私が集中してご飯を食べている間に来たのでしょうか。
「おまえに説明した以上のものは何も無いぞ。ここが単に、協会の連中に目を付けられているだけだ」
サラッと。本当にサラッと、明日の天気の話をしているような感じで明さんが告げます。
「は?」
私の口からは無意識に声が零れていました。
「……明のものぐさが原因か」
聖くんが呆れた顔でこちらを見て呟きます。
「相も変わらず酔狂ですねぇ」
信さんが言葉とは裏腹に、ニコニコと笑っています。
その隣では、こくりこくりと頷いているのか居眠りをしているのか判断に迷う動作をする、十代後半に見える少女が座っていました。
「お嬢ちゃん。明の言動の妙は今に始まったことじゃない」
朔良さんが私に同情の籠った視線を向け、
「明は言葉が足りないことがありますからね」
無表情で睦月さんがその言葉に同意を示しています。そして――。
「おまえは一度、本気で死んでこい!」
少年をようやく脱したばかりくらいの青年が、明さんに食って掛かっていました。
なんと言いますか、カオスですね。
増えている方々はどなたでしょう。間違いなく、ここの住人でしょう。とにかく。
「諸悪の根源は、やっぱり明さんなんですね」
「……どこをどう考えて行き着いた」
明さんが呆れた顔をしています。でも、私に注文をつける前に、その方を放してあげた方がいいですよ。たぶん、首が絞まっています。
そう考えたら明さんが掴んでいた手をポイッと放しました。勢いで後ろに倒れた方がそのまま床に頭をぶつけて悶絶しています。
「馬鹿だよな、槇は」
呆れたような聖くんの声がします。
「槇くんは明が大好きですよねぇ」
信さんのほのぼのとした声も聞こえます。
なるほど。これが、あの、明さんに手加減されて伸された槇くんなんですね。
「……明さん。もしや」
「阿呆。おまえ、言うに事欠いて何を言おうとした!」
明さんが本気で嫌そうな顔をしています。目がマジです。妙に殺気立っています。
「嫌ですね~。ちょっとした冗談を言おうとしただけですよ。形にしてもいないうちから、本気で反応しないでください」
この場に流れる軽い雰囲気にのって誤魔化します。いえ、ちょっと明さんならありかも、とか思ったりしなかったわけでもないですけど。そういうのは個人の自由ですから。
「おまえな、俺に考えが駄々漏れだって忘れてないか?」
いえいえ、忘れていませんよ。誤魔化されてくれないかな、という希望が多分に混じっていただけです。
「忘れているわけないじゃないですか。言葉にしなくても伝わるのは便利ですよね」
そう言った瞬間、周囲がざわめいたような気がします。なぜですか? まあそれは、今は良いです。それよりも――。
「説明してください。目を付けられているって、どういうことですか?」
明さんにしっかりと向き直ります。
「そのまんまの意味だ。ここには、訳あり住人しかいないと言っただろう?」
明さんが面倒そうにそう告げ、湯飲みを口に運びます。持っている物が武骨な印象を受ける湯飲みだろうと、その所作は目を引くほどきれいで優雅に見えます。
明さんって不思議な方ですよね、本当に。
ついついぼへっとしてその姿を眺めていると、横目でこちらを確認した明さんが目をすがめました。
そうでした。うっかり明さんの所作に見惚れている場合ではないです。
「そうですか。わかりました。これ以上はその件に関して聞きません、面倒なことになりそうですから」
「へ? それで納得するか、普通」
豆大福を食べていた朔良さんが、呆れたような声を上げています。ですが、これは真理ですよ。
「面倒事は不要です。私は無難で平穏な生活をしたいだけですから」
余計な部分に自ら首を突っ込む気はないです。そんなことをしていたら、この世界では特に身が持ちそうにないです。
「本当にお嬢さんは面白い方ですね。明とお似合いです」
朔良さんが唖然とした顔で口をパクパクさせています。熊五郎な顔でもしっかりと表情がわかるんですから、この方はずいぶんと表情豊かな方ですよね。
その顔が信さんの言葉で見事に歪みました。言葉で表現するなら、なお悪いと言いたそうな顔です。
「これぞ、似た者夫婦、かな?」
聖くんが笑いを噛み殺したような顔で告げます。
「名言ですね」
睦月さんが淡々とそれに同意しました。
って、ちょっと待ってください。明さんも笑ってないで反論してくださいよ。
「その必要性を感じんが?」
サラッと告げて、明さんはのんきにお茶を飲んでいます。
いえいえ。ちょっとは感じてください。話の流れがおかしいです。わかっていますか?
「はいはい。とりあえずは落ち着いたらどうだ。豆大福は食べんでいいのか?」
いいえ、よくはないです。甘い物は別腹ですから、その分の余裕はありますけど、そうではなくて――ここで流されていいものなんでしょうか。
「ここの豆大福は、甘味好きには垂涎の的らしいぞ。俺にはまったく理解できんがな」
うぅッ。そんな風に言われてしまうと、ものすごく目の前の豆大福が気になるじゃないですか。明さんの意地悪。
結局、誘惑に負けた私は豆大福に手を伸ばします。そうして気持ち小さく一口食べた豆大福のお味は――。
「なんですか、これ。すっごく美味しいです」
お餅はやわやわで、でもある程度の噛みごたえもあって、ほんのり甘く、豆は逆にちょっと塩気があります。そして、中に入っていた餡子の味が、なんとも言えない風味です。小豆の味を全面に押し付けるでもなく、それでも風味豊かな味わいをかもし出しつつ自然な甘味を生んでいるんです。
お餅と塩豆と餡子と、三つがそろった絶妙な食感と甘塩っぱさが他に類をみない豆大福を形作っています。
そして、明さんが入れたお茶がこの豆大福にまた合うんです。
これを食べてしまうと他の豆大福は食べられそうにないです。これはそういう逸品でした。
あの、外見は潰れたようなお店で生み出されているとは思えない代物です。これもまた、外見で判断してはいけないという教訓ですね。
「気に入ったみたいですねぇ」
信さんがニコニコと笑っています。
「はい。餡子ってお店によって味がまったく違いますけど、この餡子は絶妙のバランスですよね。こういうのはちょっと今まで出会ったことがないです」
過去に菓子屋の餡子の食べ比べをしたことがある私です。実は、粒餡は苦手な部類に入ります。こし餡よりも粒餡は小豆の主張が強すぎて、どうにも好みではなかったんです。
でも、この豆大福はそれを見事に克服しています。すごいです。
「それほど気に入ったなら、もう一ついかがですか?」
睦月さんがそう言ってくれましたが、でも、それはさすがにどうかと思います。だって、皆さんで食べてくださいって持ってきた張本人がもらうって――。
「遠慮しなくていいぞ。おまえの食い扶持も考えて三十個だ」
明さん。それは純粋な気遣いですか。それとも私が、食い意地が張っていると言いたいんですか。
恨めしげに隣を見れば、明さんは素知らぬ顔をしていました。傍から見れば妙に思えるだろう私達のやり取りに、睦月さんは私が答えを口にするより前に皿の上に新たな豆大福を乗せてしまいました。
うれしいのか、情けないのか。とても微妙な心境になります。そして――。
「なんだか誤魔化された気がします」
明さんって、私の気をそらすのが段々上手くなっていますよね。
「そのまま素直に誤魔化されていろ」
「嫌です。それで、なんのお話でしたか?」
遠慮なくはむっと新たな豆大福を食べます。
「そこは忘れたのか」
そんなことは――そんなことは、なくもない、かもしれないです。
誤魔化し笑いを浮かべます。
「ま、いいか。信。別にセリが協会に関わろうが問題はないな?」
明さんの追求を免れ、ホッと息を吐き出します。そういえばその部分の話が始まりでしたね。
「こちらは問題ありませんよ。お嬢さんの人柄を信じます。ただ、年寄りのお節介で言わせてもらうなら、お嬢さんを協会と関わらせるのはあまり感心できませんがね」
信さんが気遣わしげな視線を一瞬、私に向けました。でも、私はそんな信さんよりも、その両隣の方達の様子の方が気になります。
なぜって、両隣で皿に山盛りにされていた豆大福を取り合っているんです。その間に挟まれた信さんはまったく気にした様子もなく、好々爺な笑みを浮かべていますけど、色々な意味でちょっと異様です。
「コレを本当の意味で利用できる奴なんか、この世界のどこにもいない。何かあれば、いや、違うな。何かある前に、俺がその始末はするさ」
明さんも同じ光景を見ているはずなのに、まったく気にしていません。
「そうですか。余計なことを言いましたね。すみません」
二人でシリアスな会話をしているのに、周りはコメディです。聖くんと少女が、皿に盛られた最後の一つである豆大福を巡って火花を散らしています。
私、目に見えるほどの、食い意地という名の火花を初めて見ました。
「セリ。聞いていたか?」
明さんが同意を求めています。ええ、聞いていました。でも――。
「あれはあのままで良いんですか?」
他人様を指差すものではないですが、ちょっとあれは無視しにくいものがあります。
山盛りだったはずの豆大福が消えた早さにも感服しましたが、豆大福一つであんなに殺気立つのもどうかと――。
「いい加減になさい」
信さんの声が、その場に響きました。荒らげることもなく、凛とした静かな声です。そして、その後のその場には頭を抱える聖くんと少女の姿がありました。
「馬鹿だな、あいつら」
のんびり静かに豆大福を食べ、お茶を飲んでいた朔良さんが呟きました。
「本当に。信もどうぞ」
睦月さんが同意して、信さんの前に豆大福の乗った皿を置きます。豆大福はまだあったんですねと思いつつも、二人が頭を抱えている原因がわかりません。
「明さん。なぜ二人とも頭を抱えているんですか?」
「信に扇子で頭を叩かれたからだな。教育的措置だ」
……信さんはいつ、そんなことをしたのでしょう。ずっとその場で座って、にこやかに明さんと話しながらお茶を飲んでいたようにしか見えませんでした。扇子の影形すら、私は見ていません。
でも、私の目で追えなかっただけで、その通りのことが起こったんでしょうね。睦月さんも朔良さんもさもありなんといった感じですものね。いえ、睦月さんの場合は、無表情が常のようなので正直なところよくわかりませんけど――。
「ほらっ、これで終わりですよ」
そう告げて信さんは自分のお皿に乗った二つの豆大福のうちの一つを、大皿に乗っていた最後の豆大福の隣に乗せます。
残り一つずつ平等に、ですね。
「見事に飴と鞭です」
それぞれ一つずつ、聖くんと少女は笑顔で食べています。でも、そう自分で言っておきながら、なんだかその答えがしっくりとしません。
「仕組んでいるのは睦月だ。気づかないあいつらが悪い」
こそっと明さんが小声で教えてくれました。
睦月さんはこうなることを見越して、わざと信さんのお皿に二つの豆大福を乗せて、頃合いを見て出しているんですね。
「信は睦月のお遊びに付き合っているだけだ」
なんというか、このうちのお母さんは睦月さんですが、お父さんは信さんのようです。
ここには、懐かしい家族の温もりがありました。




