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31.武家屋敷もどきの住人達。 その壱

 主張する少年の姿が微笑ましくてほのぼのとした気分になりました。

 明さんが微妙な顔をしていますが、何か言いたそうに開かれた口は何も告げることなく閉じます。そして――。


「おやおや、庭がずいぶん騒がしいと思ったら、お客さまでしたか」


 声のした方を見れば、縁側に着流し姿の小柄なご老人が立っていました。穏やかな話し口といい顔に浮かべる笑みといい、好々爺然とした印象を受けます。

「信。これは、その……。騒がしくしてごめん」

 少年がご老人の姿を認めて、バツの悪そうな顔になります。

「子供は騒がしいくらいがちょうどいいんです。それよりもせい。庭には裸足でなく靴または草履を履いて下りなさい、と前にも言ったと思うのですが――」

「大丈夫。足は洗ってから屋敷に上がる」

 聖と呼ばれた少年は早口にそう告げて、クルリと踵を返してその場から走り去りました。


 洗い場に足を洗いに行ったのでしょうが、その後ろ姿はあっという間に見えなくなります。お小言から逃げ出す子供の姿そのものです。

「まったく。言いたかったことは、そういうことではなかったのですけどねぇ。困ったものです」

 心底困ったといった風情で息を吐き出し、やれやれと首を振って見せたご老人が、次に見たのは私でした。


 のんきに人物観察をしていた私は、予想外に強い視線を受けてたじろぎます。けれど、ここで合わさった視線をそらしてはいけないような気もして、負けないようにこのまま眼力を込めてみました。

 このご老人は、信と呼ばれていました。ということは、マンションの管理人さんはこのご老人のはずです。そして、明さんの言葉が正しければ、この方が異人のはずです。


 ……狂人にはまったく見えません。その瞳には理性がしっかり宿っています。そして、この方は第一印象で感じた、単なる好々爺でもないです。

 まあ、そうですよね。好々爺に見える方って、大体違う何かを腹に抱えています。本当に心底そういう方は少ないです。


 いったい信さんはどんな方なんでしょう。


 私がそんなことを思っていたら、信さんの方が視線をそらしてしまいました。視線が合わさっていたのは、ほんの数秒のはずです。ですが、その時間は意外に長く感じました。

「なかなか面白そうなお嬢さんだ。私は管理人の信。明が連れてきたということは、君が話に聞いていた新しい住人かな?」

「あ、はい。セリと申します。よろしくお願いします」

 信さんは私の何をどう判断して面白そう、などという結論を出したのでしょう。よくわかりませんが、話を振られた以上ご挨拶をします。

 今はもう、先程まで感じていた強い視線はなく、それは完全に好々爺然とした笑みに隠れています。


 そうして挨拶してから、手土産の菓子折りを明さんがどこかに仕舞っていたことを思い出しました。

「明さん、明さん。豆大福の出番ですよ」

 面白くもなさそうに突っ立っていた明さんの腕を、合図するように軽くパシパシと叩きます。

「ああ、これか」

 次の瞬間には、明さんの手に豆大福の入った手提げがありました。相変わらずの不思議仕様です。ですが、信さんはその様子にまったく驚いていません。見慣れているような無反応さでした。


「皆さんで食べてください」

 明さんから豆大福の入った手提げを受け取り、信さんに渡します。受け取った信さんはそれを見て破顔しました。

「これは……寿庵の豆大福ですね。あそこの豆大福は私もですが、ここの皆も大好きです。昼ご飯のデザートにでもいただきましょう。そろそろお昼ですし、ご一緒にどうぞ」


 失敗です。ご飯時に他人様のお宅を訪問するなんて……とんでもないうっかりです。普通はそういう時間帯を避けるものですからね。

 別に狙っていたわけではないですよ。偶然です。ですが、この場合断るのも失礼な気がします。


 内心で困っていると、明さんが私の頭の上にポンと手を置きました。

「気にするな。遠慮なく食っていけ。信、こいつには人間用の食事な」

 まるで自分の家のような気安さで話を進めてしまいます。

「そうですか。そうなんですねぇ。それは睦月むつきくんが喜びます。早速伝えてきますね。きっと腕によりを掛けて作ってくれますよ。明はお嬢さんを居間にお通ししてください」

 信さんはいそいそとうれしそうにその場から去ろうとして、ふと立ち止まりこちらを見ると、

「表玄関からですよ?」

 明さんに忠告してから再び背を向け、今度こそ奥へと姿を消しました。


 その言葉に、明さんがものすごく面倒そうな顔をしています。

「明さん、本当に信さんは異人なんですか?」

 とても見えません。どこにでもいそうとは言えない一面を持っているようでしたが、他は普通のお爺さんです。

「アレを普通と認識するおまえの神経に俺は感服する」

 明さんは私の手を取って歩き出しました。進行方向は聖くんが消えた方向と同じです。


「……私のこと、馬鹿にしていますか?」

「いや、本気でそう思っただけだ」


 ……素直に馬鹿にされた方がマシのように感じる私は間違っているのでしょうか? とっても複雑な気分です。


「おまえの考えるように、外見だけなら好々爺に見えなくもない。普段のあいつは実際、そのものだしな。ただ、あいつ曰く、スイッチが切り替わる、と豹変する。だから、気をつけろよ」

「たぶん無理です」


 これは即答できます。

 前にも同じような会話をした気がしますが、気をつけるとして、私はどこをどう気をつければ良いのでしょう。その判断基準もわかりませんが、そもそも私にはそれら、危険だと思われる状態を察知することすら困難な気がします。


「ま、あいつは子供にやさしいからな。大丈夫か」

 いえいえ。私、子供ではありませんから。

「私は立派に大人な年齢です」

「そういう主張はな、……もう少し成長してから言え」

 なんかとんでもなく失礼な言葉が、その微妙な間に隠れているような気がします。


「人間の私にこれ以上成長しろと言うのは無茶です。身長はこれ以上伸びません。横に太る可能性は無いとは言えませんけど、今のところ現状維持を目指しているんです。これ以上、お腹の贅肉は要りません」


 身長だって、伸びるならもっと伸びて欲しかったですよ。せめてあと五センチ高ければ、何度そう思ったでしょう。……それだけでも踏み台の必要回数がかなり減るはずです。

 でも、この年にもなれば身長は縮んでも高くはならないんです。

 ……自分で考えていて虚しくなりました。


 明さんを見れば、なんだか焦っているように見えます。

「いや、まあ、なあ。……悪かった」

 謝られる筋合いはない、んでしょうか。なんか謝られると、それらを本気で肯定されたようでいっそう凹むんですけど――。

 明さんは私の考えまで駄々漏れだから、普通の方よりも余分に深く読み取ってしまうんですよね。なんだか少し、申し訳ないような気分になりました。

 明さんがため息を吐いています。


「あれ? どうしたのさ、こっちまで来て」


 そこに声が聞こえました。宣言した通りに足を洗っていたらしい聖くんです。

 ですが、その声が私達の間にある微妙な空気を吹き飛ばしてくれました。

「信が表から上がってこいと言ったからな」

「ああ、そういうこと」

 苦笑する明さんに、聖くんは納得顔で頷きます。


「信って妙なところで細かいこと言うんだ。別に縁側から上がったって支障はないのにさ」

 いえいえ、聖くん。信さんの言うことは真っ当なことだと思います。

「まったくだな。開いているんだから、そこから入っても良いだろうに、あいつは細かい」

 そこ、明さん。同意しないでください。信さんが細かいのではなくて、明さんが大雑把過ぎるんです。その点に、まずは気づいてください。


「あのですね、お二人共。玄関はなんのためにあると思っているんですか。そこから家の中に入るためです。窓は明かり取りや換気などのためにあるのであって、普段の出入りのためにあるのではないです。そんなことなら玄関なんて必要なくなってしまいます。せっかくあるのですから、使ってあげなくては玄関だって可哀想です。わかりましたか?」


 聖くんの教育上、明さんの同意をそのままにはできません。

 なのに、なぜか二人は顔を引きつらせて、その顔を見合わせています。

「返事は?」

 二人を睥睨すれば、あからさまに顔を背けられました。

「玄関が可哀想ってありか?」

「そういう発想は初めて聞いた」

 コソコソと二人が話しています。

 聞こえていますよ、まったく。気にする部分はそこではないです。

「返事がありませんよ、二人共」

 しつこく返事を求めれば、ここは頷いていた方が無難だろうと考えた二人が揃って頷きました。

 まったく。仕方ないですね。


「そもそもですよ。初めて訪問するお宅に裏口から入るのは、本来、あまりほめられた行為ではないんです。事情があっただろうことはわかっていますけどね」

 こうして表玄関へと回ることになった経緯をたどれば、そこに行き着きます。

「あ~。あのね、お姉さん」

 聖くんがわざとらしく声を上げました。

 なぜか、その右手がピッチリと上に伸びています。その様はまさに、先生が指名してくれるのを待つ小学生の図です。


「なんですか、聖くん?」

「明の肩を持つのもなんだけど。今回、お姉さんは裏から来て正解だったと思う。明は単純に槇に絡まれたくなかったからだろうけど、お姉さんは変わり種だから、表だったら弾かれたかもしれない」


 弾かれる?


 意味がわからずに私は首を傾げました。答えを求めるように明さんを見れば、なんだか視線が泳いでいます。

「そこまで結界の強化をしていたか?」

「明は自分が強いから、些細な変化の機微には疎いんだ。ここ数ヶ月、妙に招かれざるお客さんが多いから、表は特に信が強めに調整していた。今は信が住人認識しているから大丈夫だけど」


「ああ。それで奴が妙に殺気立っていたのか」

「槇も明相手に無駄なことするよ。でも、そこには気づいていたんだ」

「そこはまあ、なぁ。いつも以上に殺す気満々で掛かって来られれば気づきもするさ。だから、手加減も面倒くさい」


 ………。


 二人で何かわかりあった会話をしていますが、私は完全に蚊帳の外です。物騒な言葉も飛び交っていますが、なんとなく口を挟んではいけない話題のような気もしました。

 ただ――あからさまに手加減されているとわかってしまうと、ヒトというものは余計にムキになるものなんですよ。とか思わないでもないです。

 話題に上がっている方がどんな種族かはわかりませんが、たぶん、これは種族が違っても同じではないでしょうか。


「まったく、何をこんな場所で油を売っているんですか」


 そこに現れたのは、パリッと糊のきいたYシャツとスラックス姿の上に、無地のエプロンを身に付けた青年でした。

「明。あなたは早くお客さまを居間にお連れしてください。聖。あなたはこれで早く足を拭いてください。どうせ洗ったは良いけれど、拭く物も履く物もなくて困っていたんでしょう」

 青年は聖くんにタオルを渡し、その側に子供用の草履を置きます。その様はそう、まるでお母さんのようです。男性ですけど……。


 明さんが唐突に噴き出しました。

 青年も聖くんも訝しげに明さんを見ます。私の駄々漏れ思考は明さん限定のようですからね。明さんが場を誤魔化すように、わざとらしく咳払いをしました。

「おまえが来たってことは、昼飯の用意はできたわけか」

「ええ。実は信に言われる前にほとんど用意は終わっていまして、お客さまということでしたので、それに少し品数を増やしました」

「それは……すみません。考え無しにお昼時に訪問して」


 どうやらこの青年が睦月さんのようです。そして、やはり余計な手間を掛けてしまったようです。

「いいえ、全然。そんなことよりも、直にあなたの感想を聞ける方が重要ですから」

 どことなく抑揚の乏しい声で言われた言葉に、私は首を傾げます。

「ほらほら。ご飯が冷めてしまいます。のんびりしないでください」

 この方にとって今、一番気にすべきことはそこなんですね。でも、確かにせっかくのご飯が冷めてしまうのはよくありません。


「温かいものは温かいうちに、ですね。至言です」

 明さんがため息を吐いています。

 何か文句でもありますか?

「いや。おまえは飯が絡むとひどいな、と思って」

 なんですか、その言葉は。

 いつも言っているじゃないですか。


「ご飯は正義です!」


 再び明さんがため息を吐きました。聖くんが目を丸くしています。そして、睦月さんは無表情でした。


「意味がわからん」

「話のわかる方ですね。生き物の基本は、彩りある食事ですよね」


 明さんと睦月さんの声が重なりました。けれど、まったく違う答えです。

 明さんが驚いた様子で睦月さんを見ます。実は、その返答には私も驚きました。もしかして睦月さんはあまり感情が表に出ないだけで、本当はその奥で色々と考えているのかもしれません。

「明など放っておいてよろしいですから、表玄関からお上がりください。私がご案内いたします」

 ごく自然な動作で私の手を取った睦月さんは、そのままこれまた自然な動作でエスコートよろしく歩き出しました。

 呆気に取られていた私の足は、導かれるままに歩き出します。


 なんでしょうか、この状況。頭がついていきません。


 なので、呆然自失の私と無表情な睦月さんを見送った、明さんと聖くんがしていた会話など、まったく想像の範囲外です。


「……明。お姉さんは明の伴侶だと思ったんだけど、俺の勘違い? さっきの言葉は冗談だった?」

「いや、確かにアレは俺の伴侶ではあるが……睦月の奴、何を考えているんだ?」


「たぶん、料理のこと。あいつ料理が絡むと周りが見えないから」

「………」


 そんな会話を二人がしていたなんて、ね。




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