10.異物? 異人? いえ、人間です。
ちょっとだけムッとした気分で、明さんと睨めっこもどきをしていたら、露さんが笑いの渦から復活したようです。
「本当にずいぶんと愉快なお嬢さんだ。なんとなく明がお嬢さんを閉じ込めた意味がようやく理解できた。この子はとても危ういね。泉がこれだけお嬢さんにべったりなのも、それが心配だからか。お嬢さん自身がとても気に入った、ということもあるんだろうけど――このままというわけにはお互いにいかないだろう?」
露さんの言葉に、私は頷きます。とは言うものの、実は露さんが何を言いたいのかいまいち理解できていません。ですが、このままでは駄目だという、その部分だけは絶対に譲れないことなので、頷いた意味は間違っていないと思います。
そして、明さんはと見れば——なんですか、その顔は。
非常に不本意そうな様子がありありとわかります。
「さすがに、このままとはいかないだろう」
それでも、そんな顔をしながらも言葉では否定していません。
いちおう自覚はあったんですね。と考えた途端、明さんに睨まれました。当然なことを思っただけなのに、なぜ?
睨み返していると、頭をポンポンと撫でられました。気づけば、露さんがすぐ傍に立っています。私の頭を撫でる手の主は彼女です。そして――なぜか、いっそう明さんに睨まれました。
いったい全体、本当になんですか。言いたいことがあるなら、言葉として口に出してください。
明さんも露さんに頭を撫でてもらいたいんですか? 私の状況が羨ましいからって、睨まないでくださいよ。私は別に口出ししませんよ。それは人それぞれですから、本人に告げれば良いんです。
口出ししないので、代わりに言ってあげる気もないですけどね。
ただ――私の常識から言えば、人妻に横恋慕するのはよくありませんよ? 泥々の泥沼愛憎劇はできれば他所でやってください。私にそれを観賞して喜ぶ趣味はありません。
「どこをどう見たらそういう思考に進むんだ、おまえは。勘違いするな。俺にもそんな趣味はない」
心底疲れた声で告げた後、肩を落として移動した明さんはソファへどかりと座り、頭を抱えてしまいました。どうやら私の考えは、かなり明さんを疲れさせるものだったようです。あれは、もう話したくないという、軽く周りを拒絶する態度です。
こうなると思考駄々漏れも不便です。私、というより、聞き手側の明さんが。
私の脳内思考会話が聞こえているわけもない露さんは、明さんの言葉と態度に不思議そうにしています。
ここはもう、私が説明するしかありませんよね。では。
「あのですね。私の思考は明さんに駄々漏れなんです。私にとっては口にしなくても色々伝わって便利、というくらいでしかないんですけど、明さんにとっては駄々漏れ過ぎて、かなり煩わしいみたいなんですね。でも、普段の耳栓仕様でも私のそれは防ぎようがないみたいでして、たまにああなります」
私としては簡潔に説明したつもりです。けれど、露さんは私から眠るせっちゃんを受け取った後、難しい顔で考え込んでしまいました。
「明さんは悪くないですよ。問題はたぶん私の思考回路の方にあるんです。でも、今までこんな風に生きてきたので思考回路からの性格矯正は厳しいのがどうしようもない現状です。もういい歳ですし。なので、そこは明さんに慣れてもらうしかありません、申し訳ないことに。私がここで生きるには明さんを頼るしかないんです。迷惑になっていることもわかってはいるんですけど、明さんがここでの私の蜘蛛の糸だと思うので、離すわけにもいかないんですよ」
かなり切実に訴えれば、せっちゃんを頭の上に置いた露さんが困ったような顔になりました。
なぜそんな顔をするのか。それはそれで気になりますが――せっちゃんの普段の定位置はそこなのですか? そっちの方がいっそう気になります。
せっちゃんは寝ながら露さんの頭の上で体勢を整え、簡単には落ちないようにしっかりと露さんの頭に掴まり、スースーと眠っています。睡眠に対する執着がすごいです。
「蜘蛛の糸云々がどういう意味なのかわからないが、あれはお嬢さんというよりも明の方の問題だろう。自分を卑下するのは良くない」
どうやら結論が出たらしい露さんが真面目な顔で諭すように言うのですが、困ったことに私はそもそも自分を卑下しているつもりはないんです。ただ事実を述べているだけなんですけど――露さん。明さんの首を絞めるのは如何なものかと思いますよ?
瞬間移動な速さでソファに座る明さんの首に腕を掛けた露さんは、その勢いのままに明さんを締め上げています。が、当の明さんは慌てた様子もなく、ため息を吐いていました。
苦しくない、の、ですか? 無いのですね……。
私の心配を返してください。
普段と変わりない様子の明さんから腕を離し、体位を変えてその胸倉を掴んだ露さんは凶悪な顔で凄みます。
「不意打ちでも駄目か。お嬢さんがこんな思考に陥ったのは、すべておまえの態度が悪いからだ。肝心な説明をしないで、ここに閉じ込める結果になったのもおまえのせいだ。わかっているな?」
その声はずいぶんと険しいものでした。けれど、私にはその言葉の意味するところが理解できません。
露さんは誤解していますよ? 明さんはたまたま私がこの世界に現れた時に、たまたまその場に居合わせただけの、本当ならこんな風に私の面倒をみるようなことなどする義務もないのに、それでもこうして私が生きられるようにしてくれた親切な方です。
確かに今は監禁紛いの状態ですけど、これは悪意の上ではなく、行き過ぎた善意のせいだと思うんですよね?
「そもそも、おまえならこのお嬢さんをすぐに人間の生活圏へ連れて行くこともできただろう。それもほんの瞬きするほどの時間で。なぜそれをしない。あちらの方がまだ、このお嬢さんの特異性を誤魔化し易かったはずだ」
露さんの口から出た驚きの言葉に、私は目を丸くします。
「虚構で作られた鳥籠は、閉じ込める鳥まで壊してしまうものだよ、明。おまえは私よりよほど長く生きているんだ。それくらいのこと知っているだろう。ましてお嬢さんの場合、元は人間だ。異人だろうと元が人間なら不安定な存在のはず。元々人間は長命種な私達より繊細で脆いというのに――おまえは」
そこで露さんが言葉を止めました。不自然な途切れ方に何事かと思いますが、露さんはなぜか怯んだような顔をしています。視線は明さんに向いていますし、明さんは露さんを見ていました。ただ、その瞳が暗いです。あの、底なし沼のような雰囲気です。
はっきり言って、これは駄目です。
反射的に明さんの背後に回った私は、その頭をパシッと叩いていました。思いっきりではないです。軽くですよ、軽~く。
「駄目です、明さん。女性をそんな目で見ては駄目ですよ。不審者一歩手前です、それは」
なんでも良いので明さんを止める必要がある気がしました。そして、その行動は正解だったようです。私の方を向いた明さんの瞳からは先程の暗い印象は消えていました。そのキョトンとした無防備な顔に、私は安心して笑顔を向けます。
「いくら露さんが素敵な方でも、犯罪にまで走っては駄目ですよ?」
そう告げた瞬間、明さんの顔が呆れたものに変化しました。それはいつもの明さんの反応です。完全に元通りですね。
勝者の笑みを浮かべて明さんを見た後、露さんの様子を確認します。露さんは明さんの胸倉を掴んだままの状態で固まっていたのですが、私の笑みを見てその硬直が解けたようでした。手を下ろした後、目を閉じてゆっくりと息を吐き出しています。
その様子は心底安堵しているようで――まあそうですよね。犯罪者に狙われていたのを回避できたのですから。
そう思っていたら、なぜか頬を引っ張られました。ジト目の明さんから。
「勝手に人を犯罪者にするな」
ピッと放された頬を擦ります。加減してくれましたが、ちょっと気分的に痛いです。女性の頬は引っ張るものではありません。
「するなと言われても、そういう雰囲気と目でしたよ?」
いつもの明さんですから、減らず口はいくらでも叩けます。
「そもそも女性に手を出そうとしていましたよね? あれはいけません。いただけないです。女性はか弱いんですよ。それはもう、やさしく大切な扱いをすべきです。傷付けようなんて以ての外。男の風上にも置けません。最低のクズ野郎になる前に止めてあげたのですから、私は感謝されても良いと思います」
男尊女卑ならぬ、女尊男卑です。偏った思考だろうと、それがなんだというんです。文句ありますか?
睨みつければ、明さんは口を噤んであっさりと白旗をあげました。
「頭に血が上っていた。悪かったな」
露さんに謝ります。そして、私の方をちらっと見た後、すぐに視線をそらしてぼそりと呟きました。
「止めてくれて助かった」
明さんなりの精一杯の謝罪とお礼、ですかね。とても言い難そうだったので、たぶん他人様に謝るのもお礼を言うのも慣れていないのでしょう。基本俺サマですし、だいたいのことはその顔でさらりと受け入れられそうですもんね。
ニヤニヤ笑いが自然と顔に浮かびます。それを横目で見咎め、明さんはぶすりと不機嫌に黙り込んでしまいました。どうやらご機嫌を損ねてしまったようです。
「ありがとう、お嬢さん。さすがに明相手だと死ぬから止めてくれて助かったよ」
口調は変わりありませんし表情は笑顔ですが、露さんの顔は少し青ざめて見えます。そして、物騒な言葉の内容が本気に聞こえます。
明さん、いったい何やらかしているんですか。
非難するように見れば、多少ばつが悪いような顔をした明さんがいました。けれど、それだけです。こういうところを見ると、日本とは意識が違うと思い知らされます。ここは命が簡単に失われる世界だと。
けして命が軽い、というわけではないんです。ただ、この世界は私のいた世界よりも弱肉強食でした。強い者が生き残る。それはどこの世界でも変わりないのかもしれませんが、それが即物的なのですよ。死は当然のごとく、日常と隣り合わせに存在しています。
話は聞いていたはずなのに、私はその事実を突き付けられてショックを受けていました。
頭では理解していたんですよ。でも、明さんは別だと思っていたみたいです。なんてご都合主義で押しつけがましい考えでしょう。
「さてと。お嬢さんの今後について、足りない知識を補足しながら話そうか」
私が自己嫌悪で項垂れている間に、露さんは冷蔵庫に冷やしていた果実水とコップを三つ持ってテーブルの上に置いています。そして、それらに果実水を注いだ後、私の方を見ました。
「お嬢さん、座って」
露さんが呼びます。露さんは一人掛けのソファに座り、あと座れるのは明さんが座っているソファだけです。私の分の果実水が入ったコップもその位置に置かれています。
少し迷いましたが、私は明さんの隣に座りました。
「明。お嬢さんにどこまで話した? というか初めに確認するが、この子は理の外から来た、異人であっているな?」
私が座ったことを確認した後、露さんが明さんに問い掛けます。明さんは私の頭にポンと手を置くと、
「半分正解で半分違う。こいつは理の外から来はしても、異人じゃない。普通の人間だ」
困ったような声音で露さんに答えています。そして、異人だった方がまだマシだったと呟く明さんに、私はわけがわからず首を傾げました。
そもそも異人ってなんですか? 先程、露さんも異人がどうのこうのと言っていました。私、明さんに異物扱いはされましたけど、異人扱いはされたこと無いです。
「おまえの目なら見えるよな。よく見てみろ。構成が違うだろう?」
明さんは私の内心の問いには、とりあえず答える気が無いようです。露さんにマジマジと見つめられて、その視線の強さに私はたじろぎました。
なんというか、すべて見透かされていそうな威力があるんですよ、今の露さんの瞳には。どういう作用なのか、露さんの瞳が茜色から紅色へと変わっています。きれいですけど、ちょっと怖いです。
そんなに見つめられたら穴が開いちゃいますよ、私。
傍にある明さんの服を掴めば、明さんが私の頭をナデナデしました。扱いが完全に子供です。まあ子供のような行動を取っている自覚はあるので文句は言えませんが――。
私だって心細い時があるんですよ。ここは開き直りですね。
私の内心の葛藤を他所に、何かを見つけたらしい露さんが確認するように呟いています。
「ああ。確かに少し違う。これだと困ったことにお嬢さんは術が使えない。その素はありえないほど持っているのに、身を守る術がない。変質もしていないから寿命も変わらない。だから、異人には当てはまらないで人間なのか」
露さんは私の何を見ているのでしょう。私を見ているはずなのに、その視線は別次元の何かを見ているような気がします。
「だが、理が違うから真名を持たない。違うな。真名であっても、この世界の理に当てはまらないから、真名としての作用がない。人間ではあるが、完全にこちらの人間と同じでもない。異人でなくとも、異質な存在だ」
露さんの言葉に、私の身体がビクリと震えました。
その言葉、初めの頃に明さんにも言われたことがあります。異質、異物だと。私の存在自体が、この世界にあってはならないのでしょうか。それはこの世界で生きる決意を決めた後だけに悲しいし、淋しいです。
気づけば、露さんの瞳の色が元の茜色に戻っていました。今はもう、すべてを見透かすような視線も感じません。
「だが、お嬢さんはある意味、運が良い。何せ、この世界を二分する最強の種族の盾を手に入れている。それと同じく、ものすごく運が悪い。すべてはお嬢さんの心のありよう一つ、かな」
露さんがクスクスと笑っています。その頭の上では、ぱっちりと目を開けたせっちゃんがくわぁとのんきに大欠伸と伸びをしていました。




