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ヴァレンシュタイン伯爵夫人エレオノーラは、自分が社交界で敬遠されていることをよく承知していた。ただし、その理由については、周囲の認識と少々食い違いがあった。
「本当に、皆さま嫉妬深くて困ってしまうわ。わたくしが少しばかり美しく、頭もよく、主人からも愛されているからといって、あそこまで意地悪なさらなくてもよろしいでしょうに。昨日だって、わたくしが親切にお声をかけて差し上げたのに、皆さま逃げるように離れていくのよ。あんなにあからさまな態度を取られては、こちらだって傷つきますわ」
朝食室で延々と続く夫人の愚痴に、家令グレゴールは神妙な顔で頷いていた。彼は三年前、町で困っていた夫人を偶然助けたことが縁で雇われた男で、貴族家に仕えた経験はなかったが、夫人の機嫌を取ることにかけては、なかなかの才能を発揮していた。
「奥様ほど優れたお方ですと、周囲の方々も気後れなさるのでございましょう。何しろ、お美しいうえに聡明でいらっしゃいますから」
「まあ、グレゴールったら。そんなに褒めても何も出ませんわよ。でも、そうなのかもしれないわね。わたくし、学院時代から何をしても目立ってしまって、随分と苦労しましたもの。セレスティーヌ様など、今でもわたくしを意識していらっしゃるようですし」
セレスティーヌとは、現在の王妃のことである。
エレオノーラと王妃は王立貴族学院の同級生だったが、夫人の口から語られる学生時代の思い出は、聞くたびに少しずつ華やかになっていた。最初は王太子殿下に挨拶されたという話だったものが、いつしか特別な好意を寄せられていたことになり、最近では家格の違いさえなければ自分が王妃になっていたという話にまで発展している。
「昨日も王妃陛下ったら、わたくしと目を合わせようともなさらなかったのよ。もう昔のことなのだから、気になさらなくてもよろしいのに。わたくしはとっくに許して差し上げているのよ?」
「なんとお心の広いことでしょう」
「そうでしょう? わたくし、昔から人を恨むような性格ではありませんもの。ただ、昨日わたくしを無視した子爵夫人には、少し礼儀を教えて差し上げる必要がありそうね。来月のお茶会には呼ばないことにしましょう」
夫人は満足げに紅茶を口にした。王妃が昨夜、外国の使節団への対応に追われていたことも、子爵夫人が夫人の長話から逃れるために席を外したことも、彼女にとってはどうでもよい事情だった。自分が不愉快な思いをした以上、相手に非があるに決まっているのである。
「それにしても、昨日の夜会は本当に残念だったわ。せっかく若い殿方が何人もいらしていたのに、皆さま、わたくしとゆっくりお話しする時間も取れないほどお忙しいのですもの」
「奥様のようなご婦人をお待たせするとは、困った方々でございますな」
「ええ。わたくし、若い頃から殿方には随分と親切にしていただいているでしょう? 今でもお食事のお誘いが絶えなくて困っておりますのよ。もっとも、主人が嫉妬するといけませんから、あまり親しくするわけにもまいりませんけれど」
実際には、昨夜もエレオノーラのほうから若い騎士を夕食に誘い、丁重に断られていた。騎士は婚約者を伴っていたのだが、夫人はその令嬢を妹か何かだと思い込んでいたらしい。
婚約者だと紹介された際には、あからさまに驚いた顔をしたあと、「まあ、お若い方はお早いのね。でも、結婚してから本当に大切な方に出会うこともありますもの」と、余計な一言まで添えていた。
「そういえば、昨日の騎士様も随分とわたくしを見つめていらしたのよ。お声をかけたら、急に慌ててしまわれて。ふふ、若い殿方というのは可愛らしいものね」
「奥様の美貌に圧倒されたのでございましょう」
「まあ、嫌だわ。そんなことを言われたら、わたくし、また若返ってしまいそう」
夫人は扇を広げて笑った。昨夜の騎士が見つめていたのは、夫人の顔ではなく、背中で不自然に垂れ下がったドレスの飾り布だったのだが、そのことを夫人に教える者はいなかった。
ヴァレンシュタイン伯爵家では、衣装の管理も近頃すっかり行き届かなくなっていた。以前なら専属の侍女が夜会の数日前から衣装を点検し、必要に応じて仕立屋を呼んでいたものだが、今ではそのような経験を持つ者がほとんど残っていない。
夫人が突然、何年も前のドレスを着ると言い出せば、若い侍女たちは慌てて衣装箱から取り出すしかなく、皺を伸ばす時間が必要だと申し出ても、仕事が遅いと叱責されるだけだった。
それでも夫人は、自分の身支度に不備があるなどとは考えもしない。夜会で周囲の視線を集めれば美貌のためだと思い、誰かが何か言いかけて口をつぐめば、あまりの美しさに言葉を失ったのだと解釈する。社交界で長年暮らしていながら、他人の反応をこれほど都合よく受け取れるのも、ある意味では大した才能だった。
「ところでグレゴール、昨日お願いした新しいドレスの件はどうなっているの?」
「はい、仕立屋には連絡を入れてございます」
「そう。今度の夜会には、少し若々しい色を選ぼうと思いますの。淡い桃色なんて素敵でしょう? わたくし、肌が白いものだから、何色でも似合ってしまうのよね」
「奥様でしたら、どのようなお色でもお似合いでございましょう」
「そうなのよ。昔から皆さまに、年齢が分からないと驚かれるの。先日もあるご婦人が、わたくしの年齢を聞いて大層驚いていらしたわ」夫人は嬉しそうに頬へ手を当てた。
そのご婦人が驚いたのは、エレオノーラが自分より十歳以上若いと知ったためだったのだが、夫人はもちろん、そんなことには気づいていない。
「でも、あまり若く見られるのも困りものね。わたくしには立派な息子がおりますもの。エリオットも、もう二十四歳になるのよ。隣国の名門学園で学んでいるのだけれど、あまりに優秀だから、先生方がなかなか帰してくださらないの」
「さようでございますか。さすがは奥様のご子息でございますな」
「本当に、あの子はわたくしに似て優秀なのよ。幼い頃から何でもよくできて、教師たちにも随分と褒められたものだわ。もっとも、優秀な子供を持つ親の苦労というものは、なかなか理解していただけませんけれどね」
エレオノーラはそこで、また昨日の子爵夫人のことを思い出したらしく、眉をひそめた。
「あの方ったら、エリオットがまだ留学しているとお話ししたら、妙な顔をなさったのよ。二十四歳にもなって、まだ学園にいらっしゃるのですか、ですって。失礼だと思わなくて? 凡庸な方には、優秀な者が学問を究めるということが理解できないのでしょうね」
「まことに、おっしゃるとおりでございます」
「それに、旦那様もあの子の将来を楽しみにしていらっしゃるのよ。先日も、エリオットが帰国したら家族でゆっくり過ごしたいとおっしゃっていたわ」
グレゴールは、そこで少しばかり困った顔をした。彼が伯爵家に雇われてから三年になるが、伯爵本人には一度も会ったことがないのである。もっとも、夫人が旦那様と呼ぶ人物について詳しく尋ねたところで、機嫌を損ねるだけだと分かっていた。
「それは楽しみでございますな」
「ええ。旦那様ったら、わたくしを一人にしておくのが心配で仕方ないみたいなの。お仕事の都合で離れて暮らしているけれど、夫婦の絆というものは距離では測れませんでしょう? むしろ、いつも一緒にいらっしゃるご夫婦より、わたくしたちのほうがずっと仲がよろしいと思いますわ」
そう言って微笑む夫人のもとへ、一人の若い使用人が入ってきた。手には王宮の封蝋が押された書簡を載せた銀盆を持っている。
「奥様、王宮よりお届け物でございます」
「まあ、王宮から? 何かしら。セレスティーヌ様が、ようやくわたくしにお詫びでもなさるおつもりなのかしら」
夫人は期待に満ちた表情で封筒を受け取ったものの、差出人が王宮財務監査局だと分かると、途端に興味を失った。
「何ですの、お金のお話? そういう細かなことはグレゴールに任せておりますの。わたくしがいちいち目を通すようなことではありませんわ」
「かしこまりました」グレゴールは書簡を受け取り、封を切った。
そこには、ヴァレンシュタイン伯爵領の財政悪化と給与支払いの遅延を受け、王宮財務監査局が特別調査を実施する旨が記されていた。調査結果によっては領地管理権の停止もあり得るという、伯爵家にとっては極めて重大な通知である。
しかし、グレゴールは冒頭の数行を読んだところで顔を明るくした。
「奥様、王宮から事務官を派遣してくださるそうでございます。領地の会計について、いろいろとお手伝いいただけるようですぞ」
「まあ、そうなの! それは助かるわね。わたくし、以前から帳簿だの支払いだのという細かい仕事は、もっと専門の方にお任せすべきだと思っておりましたの。王宮もようやく、そのことを理解してくださったのね」
「これで私どもの負担も軽くなりますな」
「そうよ。何しろ、わたくしには伯爵夫人としてのお付き合いがありますもの。領地のことまで気にしていたら、いくら時間があっても足りませんわ。それに、王宮からいらっしゃるのでしたら、きっと優秀な方々なのでしょう? 今までの使用人たちとは違って、わたくしの言うことをきちんと理解してくださるとよいのだけれど」
夫人は上機嫌で頷くと、ふと思いついたように付け加えた。
「そうだわ。王宮からのお客様をお迎えするのですもの、新しい茶器も必要ね。あの古い茶器では、わたくしの格にふさわしくありませんわ」
「早速、商人を呼びましょう」
「ええ、お願いね。それから、事務官の方々がいらっしゃる日には、わたくしも少しお洒落をしなくては。王宮にお勤めの殿方というのは、きっと洗練されていらっしゃるのでしょうね」
夫人は楽しそうに笑い、グレゴールもそれに倣った。
***
王宮財務監査局の事務官が貴族領へ派遣されるということは、その領地が自力では財政を立て直せないほど深刻な状況に陥っていることを意味する。
通常であれば、当主は直ちに帳簿を整理し、領地の管理責任者を集め、調査に備えなければならない。まして今回のように領地管理権の停止まで示唆されているのであれば、悠長に茶器を選んでいる場合ではなかった。
だが、夫人は王宮からの派遣を、自分への特別な配慮だと信じて疑わなかった。グレゴールもまた、これで面倒な仕事を他人に任せられると喜んでいた。
書簡の末尾には、今回の調査を統括する王宮財務監査局長官、オスカー・レインフォードの名が記されていた。王妃セレスティーヌの親戚筋にあたり、三十代前半という若さで長官を務める有能な人物である。既に妻子があり、その家柄も婚姻関係も貴族名鑑に記載されているため、社交界では知らぬ者のほうが珍しい。
もっとも、エレオノーラはその名前に目を通すことさえなかったし、グレゴールも最後まで書簡を読まなかった。
「それにしても、王宮もわたくしを頼りにしてくださるのね。やはり、日頃から立派に務めを果たしていると、きちんと見ていてくださる方がいるものだわ」
夫人は満足そうに微笑み、次の夜会に着ていくドレスの色について考え始めた。王宮が守ろうとしていたのは、彼女の華やかな暮らしではなく、伯爵領で生活する領民たちだったのだが、その違いを夫人が理解するのは、まだ先のことである。
そして、その頃には、彼女が自分のものだと信じていた屋敷も、財産も、伯爵夫人という肩書きさえも、既に手の届かないところへ移っていることになるのだった。
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