ミレーヌ
ジークが、酒の仕入れ注文書を酒屋に届けて帰ってくると、メイベルはもう昼ごはんの支度にかかっていた。と言っても3人や世間の人には昼だが、これから起きるミレーヌとキムには朝ごはんになる。
「ぅおす、みんな。今日も元気かぁ?」
大あくびをしながら、キムが顔を出す。
「おはよ、キムさん。酒の注文、届けといたよ。」
「おぅ、ありがとな。ばあさん、ミレーヌは風邪っぽいって言ってた。ことによると今夜は代わりが要りそうだ。」
「おや、そうかね。面の割れてない子を呼んでこないとねえ。」
メイベルはそういうと、裏口から出て、外階段を屋上の物干し場まで上がった。ポケットからパン粉のようなものをつかみだしてあたりに撒く。するとどこからともなくカラスが何羽もやってきて、えさをついばみ始めた。そのうち、一羽が物問いたげにメイベルに近づいて来て、顔を見上げた。
「手伝いの若い娘を2、3人、呼んできてくれないかね。なるべくこの街に来たことがない子がいいよ。」
カラスはわかった、とばかりに「カァ」と鳴くと、どこかへ飛び去って行った。
メイベルは店に戻ると、テーブルを拭いていたフランクに言った。
「フランク、使いは出したよ。悪いけどまたバス停まで迎えに行ってやっておくれ。」
「あいよ。今からだと夕方の便だな。」
「その時間だと、俺たち、時間外じゃない?」
ジークが心配そうに言う。
「残業手当、申請すっか。あっはっは。それよりキムさん、ミレーヌちゃんの様子、見てきてもらえんかね。わしらはあの中には入れん。起きられないようなら食事も運んでもらわにゃ。」
「マダム、伝令が参りました。」
黒の上下を着た執事風の男が、腕にカラスを止まらせて、入ってきた。
「あら、何かあったかしら。」
書き物をしていた手を止めて、向き直ると、カラスはバサバサと机の上に飛んできて、しゃがれ声で言った。
「手伝イノ若イ娘ヲ2、3人、呼ンデ。さんのあノ街ニ来タコトガナイ子ガイイ。」
「まあ、ミレーヌが休むのかしら。そうねえ、じゃエリンとマケーラを出してやって。急がせないと夕方のバスに間に合わないわ。ロドリゴ、ご苦労様だけど、カラスを北の塔から放してやって。他の場所じゃだめよ、サンノアに帰れないから。」
サンノアからすぐ北の大都会ロアックスまでは鉄道が走っている。街の人口の多くがロアックスで働いているからだ。それ以外にも駅前からいくつか石炭バスのルートがある。そのうちの一本がサンノアから東の山をこえて、大きな湖に向かっているルートだ。この湖はサンノアの人々にとってお手軽な行楽地で、ハイキングで景色を楽しんだり、水遊びや魚釣りをしたりできるのだ。
そのバス停前ビーチの反対側の岸辺に、木立に隠れて古い城が建っていた。大昔に魔族が建てたという伝説があって、今は道も絶え、行くこともできないという場所だ。たまに夜になると明かりが灯っているといわれるが、見ると呪われると言われているので、湖周辺で夜を過ごす人はいない。たまに命知らずの若者や事情を知らない旅人がキャンプをすることがあるが、翌朝どうなっているかは推して知るべしである。
一日にバスは2往復。朝サンノアを出て昼前に戻る便と、昼過ぎにサンノアを出て夕方に戻る便だ。この夕方に帰る便には、町の自警団と称する若い男たちが必ず数人乗って行って、帰りに乗り遅れる人がないか見回ってから帰る、という習慣がある。
その日、夕方の帰るバスに見知らぬ女の子が二人乗っていた。外遊びをするカジュアルな格好だが、着ているものは他の乗客に比べてはるかに上等だ。自警団の帽子をかぶった男が話しかける。
「あれ、君たちもサンノアの人かい。」
「いいえ、わたしたちロアックスから車で送ってもらったの。」
ちなみにここいらでは車とは魔石機動車で、普通、個人では持てないくらい高価な代物だ。
「でも、今夜はサンノアの親戚で泊めてもらって、明日帰るのよ。」
「この湖、すてきなところね。初めて来たのよ、私たち。」
金持ちらしい都会暮らしの女の子と会話できたのがうれしくて、彼は女の子たちの名前も聞き忘れた。サンノアのバスターミナルで、迎えに来ていた爺さんに連れられて行った女の子たちは、なぜか住宅地ではなく、歓楽街の方へ歩いて行った。
「いらっしゃぁーい!」
甲高い女の子2人の声に迎えられたゴンザレスは目を白黒させた。いつもの店にきたはずなんだが、まちがえたのか?
「今夜は、ミレーヌ姉さんがお休みなのよ。だから、わたしたち二人で、うんとサービスするからねっ。」
「放せっ、わしの席は決まっておるんじゃ。」
店を間違えたのではないとわかったゴンザレスは、若い娘の細腕を振りほどくと、猛然と自分のお気に入りの席に戻った。
「おい、マケーラ、エリン。さっきも言ったろ。うちの客はあらかた常連なんだ。したいようにさせてやってくれりゃいいんだよ。ほれ、あの爺さんにはビールだ。」
普段無愛想なキムが、珍しく大声を上げている。客はまだゴンザレス一人だ。
「ミレーヌが休みか。ふん、わしはマダムさえ顔を見せてくれりゃ、あんなおかめくらい、いなくても気にもせん。」
「えー、心配くらいしてあげてよぉ。」
一番安いビールの瓶を大事そうにトレイに乗せて運んで来ながら、エリンが言った。
その夜の「オーキッドブラン」は大入り満員だった。新しいウエイトレスが二人も入ったことと、マダムが顔を出したからだ。どこからともなく噂を聞き付けた男たちが次々店におしかけ、バーテンのキムは大忙しだった。
「そろそろウイスキーがなくなるんで、倉庫に取りに行ってきます。」
「ありがとうキム、そのあとで入れ違いにわたしはミレーヌの具合を見に行ってくるわね。」
「わかりやした、おつかれさまっす。」
だみ声と嬌声の中で、二人は自分たちだけの会話をした。その直後のことである。
「もしかしてミレーヌさんはやめるのかい?」
マダムに話しかけた客がいた。
「いいえ、そんなことはないわ、ムッシュースペンサー。」
「ボブでいいよ、マダム。」
客は照れ笑いを浮かべると、手にしたグラスを少しすすった。
「わたしはあの子がひいきだったんだが、こういう商売だ、誰かに見初められて結婚するんじゃないかって思ってね。」
「あら、ボブ。ああ見えてミレーヌはほんとに身持ちが固いのよ。お客さんに口説かれてデートに行ったりなんかしてないわ。今日は風邪ひきなの。」
「本当かね。ならよかった。」
客のほっとしたような笑顔に、マダムは微笑した。ボブことロバート・スペンサーは、やもめの人族で、確かサンノアで小さな工務店をやっていると聞いた。足しげく通ってくるのはミレーヌが目当てだったとは。
酔っ払いの相手をする酒場女は、尻軽の代名詞のように言われているが、そんな女ばかりではない。やむにやまれぬ事情で仕方なく働いている女もいるのだ。ここで働かせてくれないかとやってくる女も珍しくない。たいていは断らざるを得ないのだけど。
「よかったら、見舞いのお花でも買ってやってくださいな、ボブ。多分この調子だと、もうしばらくあの二人が店をかき回しそうだから。」




