第四話:最初の役割
山吹凛星晴。
本若夢雨。
黄瀬恵。
紅松焔蘭。
真白心珠。
木通恋乃羽。
森ヶ丘翠佳。
蒼井結璃愛。
早乙女紫。
…三人一組のグループ分けは決まった。
しかし、それだけでは明日からの寮生活は始められない。
寮の規則では、三人一組で組んだ三つのグループが、それぞれ料理、掃除、買い物・洗濯を担当することになっている。
つまり、九人全員に何かしらの仕事が割り振られる。
誰か一人に家事が集中することもなければ、反対に何もしない者が出ることもない。
一週間ごとに担当を交代し、三つの仕事を順番に回していく仕組みだ。
凛星晴はスマートフォンに表示された三つのグループを確認すると、改めて八人を見渡した。
「まずは、どこの班が何の当番をするか決めましょう。料理当番をしたい人、いますか。」
問いかける。
しかし、すぐに手を挙げる者はいなかった。
「…………」
僅かな沈黙が落ちる。
料理ができる者がいるのなら、その者を含むグループに任せるのが最も効率がいい。
少なくとも、全員の料理の腕前も分からない状態で、くじ引きでもう一度決めるよりは合理的だろう。
凛星晴がそう考えていたときだった。
「あ、えっと、あの……。」
小さな声がした。
見ると、先ほどから何かと怯えた様子を見せていた水色の髪の少女――夢雨が、おそるおそる右手を挙げていた。
手を挙げてはいるものの、肘はほとんど伸びていない。
まるで、目立ちたいのか目立ちたくないのか分からない挙げ方だった。
「何?」
凛星晴が尋ねると、夢雨の肩が僅かに強張った。
「う、うち……料理は好きで……。もし誰も希望者がおらんかったら……。」
言葉の最後になるにつれて、声が小さくなっていく。
凛星晴は夢雨を見た。
料理が好き。
それならば、少なくとも料理に慣れていない者へ最初から任せるよりは適任だろう。
「そう。」
凛星晴は小さく頷く。
「最初の週は料理が好きな人が当番をした方が、慣れも早いから合理的ね。私はそれで構わないわ。反対意見は?」
今度は全員へ向けて問いかけた。
「いいんじゃねぇの。」
最初に答えたのは焔蘭だった。
椅子の背にもたれたまま、さして興味もなさそうに言う。
料理当番になろうが掃除当番になろうが、自分には関係ない――そんな様子に見えた。
「決まったからには、淑女として恥じないお料理をお作りなさって?」
紫が夢雨へ視線を向ける。
「い、いや……そんなに自信は……。」
夢雨が慌てたように視線を落とした。
自分から料理が好きだと言った割には、随分と自信がないらしい。
凛星晴は次に、同じグループとなった恵へ目を向けた。
「黄瀬さん。それでいいかしら。」
「料理さんに、呼ばれたんだね。」
恵は静かにそう言った。
「……は?」
凛星晴が意味を理解するより先に、焔蘭の声が飛んだ。
それまでどうでもよさそうにしていた焔蘭が、初めてはっきりと恵の方を見る。
眉間には、僅かに皺が寄っていた。
――料理さん?
凛星晴も心の中で同じ言葉を繰り返した。
先ほどは、風を『風さん』と呼んでいた。
今度は料理。
料理にも意思があるということなのだろうか。
分からない。
考えたところで答えが出そうになかったため、凛星晴は深く追及しないことにした。
少なくとも、反対しているようには見えない。
「いいと思いまぁす♡」
結璃愛が楽しそうに声を上げる。
その隣では、翠佳も夢雨を見ながら穏やかに笑っていた。
「本若さん、すごいねぇー。」
「そ、そんなことなかよ……。」
褒められた夢雨は、むしろ困ったように俯いてしまう。
「私も賛成です……!」
心珠も小さく手を挙げた。
これで、ほとんどの意見はまとまった。
凛星晴は最後に、残る一人へ視線を向ける。
「木通さん。あなたはそれでいいかしら。」
「…………」
返事がない。
「…………」
まただ。
恋乃羽は先ほどと同じように、周囲の会話など耳に入っていないかのような顔をしていた。
別の方向へ視線を向け、何を考えているのかも分からない。
凛星晴は僅かに眉を寄せた。
――また話を聞いていないのね。
先ほどグループを決めたときにも、同じことがあったばかりだ。
「木通さん。」
少し強めに呼ぶ。
恋乃羽が、ようやくこちらを向いた。
「反対意見は?」
「私か?」
凛星晴は思わず小さく息を吐いた。
名前を呼んでいるのだから、他に誰がいるというのだろう。
「木通さん……話は聞いてくれないと、いろいろと物事が進まないわよ。非合理的だわ。」
注意されても、恋乃羽の表情には大した変化がない。
怒るでもなければ、謝るでもない。
ただ、凛星晴を真っ直ぐ見返している。
「別にいいんじゃないか?」
「…………」
それだけだった。
悪びれる様子もない。
反抗しているようにも見えない。
本当に、どうでもいいのだろう。
その場に、何とも言えない空気が流れた。
心珠が困ったように恋乃羽を見る。
夢雨は何も言わず、僅かに視線を落とした。
翠佳も、先ほどまで浮かべていた穏やかな笑みを少しだけ引っ込めている。
紫に至っては、隠すつもりすらないらしい。
明らかに不快そうな目を恋乃羽へ向けていた。
そして焔蘭は――。
「…………」
何も言わない。
ただ、恋乃羽をじっと見ている。
先ほどまで面倒そうに椅子へもたれていたのに、今は真顔だった。
凛星晴には、その視線が何を意味しているのかまでは分からない。
ただ、おそらく。
――何なの、この子。
少なくとも、それに近いことを考えているのではないか。
凛星晴自身も、似たような感想を抱き始めていた。
入寮式には遅れてくる。
自己紹介は名前だけ。
話しかけても、聞いていない。
注意されても気にした様子すらない。
初対面の人間に愛想よく振る舞えとは言わない。
凛星晴自身、そのようなことを得意としているわけでもなかった。
しかし、共同生活を送る以上、必要な情報くらいは共有してもらわなければ困る。
「……反対意見はないのね。」
これ以上話を続けても仕方がない。
凛星晴は気持ちを切り替え、再び全員へ視線を向けた。
「では、本若さんを中心に、私たちが料理班をするわ。」
「……はい。」
夢雨が小さく頷く。
凛星晴はスマートフォンへ目を落とし、決まった担当を記録した。
第一班。
山吹凛星晴。
本若夢雨。
黄瀬恵。
担当――料理。
これで、一つ目の仕事は決まった。
残るのは、掃除と、買い物・洗濯。
凛星晴は画面から顔を上げる。
まだ、決めなければならないことは残っている。
――それにしても。
視界の端で、恋乃羽はもう別のところを見ていた。
凛星晴は再び、小さく息を吐いた。
先ほど抱いた不安は、どうやら気のせいではなかったらしい。
「料理は決まったわね。寮から今日の夕食と明日の朝食は出されるそうだから、当番が始まるのは明日の夕食からよ。」
凛星晴は、スマートフォンに表示された当番表を確認しながら言った。
「わかりましたぁ♡」
結璃愛が楽しげに返事をする。
「はーい。」
翠佳も相変わらず間延びした声で答えた。
凛星晴は画面に目を落とす。
料理当番は、自分と夢雨、恵の三人。
これで一つは決まった。
残っている仕事は二つ。
掃除。
そして、買い物と洗濯。
「次に、買い物と洗濯当番。どうしますか。」
「…………」
また、沈黙。
誰も手を挙げない。
誰も口を開かない。
凛星晴は八人を順番に見渡した。
――この人たちは、喋る気があるのかないのか。
意見がないのなら、こちらで決めてしまっても構わない。
だが、共同生活なのだから、できる限り全員の意思を確認しておいた方が後々の面倒も少ないだろう。
そう考えていた、そのときだった。
「おい、ピンク髪。」
声を上げたのは焔蘭だった。
先ほどまで、当番決めなどどうでもいいと言わんばかりの態度を取っていた少女だ。
呼ばれた恋乃羽が、ゆっくりと焔蘭の方へ顔を向ける。
「……えーっと。」
焔蘭が僅かに眉を寄せた。
名前を思い出そうとしているらしい。
「木通恋乃羽、だったっけ。」
「……何だ?」
今度は聞いていた。
先ほど凛星晴から注意されたことが、少しは効いたのだろうか。
――いや。
恋乃羽の表情を見る限り、そういうわけでもなさそうだった。
「木通……恋乃羽は、何がいいんだよ。」
凛星晴は焔蘭へちらりと視線を向けた。
木通恋乃羽。
初対面の相手を、既に呼び捨てにしている。
考えてみれば、焔蘭は先ほどから誰に対してもそうだった。
――初対面でも、呼び捨てにする人なのね。
馴れ馴れしいというより、敬称をつけて距離を取るという発想そのものが薄いのかもしれない。
少なくとも、凛星晴自身には真似のできない距離感だった。
「……別に何でも。」
恋乃羽はそう答えた。
呼び捨てにされたことなど、まるで気にしていない。
それどころか、焔蘭の顔を見ているのかどうかすら怪しかった。
「本当に何でもいいのかよ。」
「何でもいいぞ。」
恋乃羽は窓の外へ視線を戻しながら呟く。
声にも表情にも、迷いはなかった。
本当に、どちらでもいいのだろう。
「…………」
焔蘭の眉間に、深く皺が寄った。
先ほどから恋乃羽の態度に何か思うところがあるらしい。
凛星晴も、それについては同感だった。
意見を聞けば「何でもいい」。
話しかけなければ、そもそも会話を聞いていない。
共同生活をする相手としては、少々困る。
しかし次の瞬間、焔蘭が何かを思いついたように口を開いた。
「じゃ、アタシらが買い物と洗濯するわ。」
あっさりとした一言だった。
恋乃羽が何でもいいというのなら、自分で決めてしまおう。
そういうことなのだろう。
「やぁ〜ん、一番大変そうなのにぃ♡」
結璃愛が頬に手を添えながら声を上げる。
「どれも一緒だと思うよー。」
翠佳がのんびりと返した。
二人とも悪気があるのかないのか、凛星晴には判断がつかない。
「…………」
焔蘭は二人を一瞥したものの、何も言わなかった。
凛星晴は話を戻す。
「異論がある人はいますか。」
問いかけると、心珠がおずおずと手を挙げた。
「あ、あの……。」
「何?」
「私、お洗濯は好きなので……賛成、です……。」
また、最後になるにつれて声が小さくなっていく。
先ほどの係分担のときもそうだった。
心珠は何か発言するたびに、まるで自分の言葉が相手の迷惑になるのではないかと心配しているように見える。
――何をそんなに引っ込むことがあるのかしら。
自分の希望を伝えただけだ。
しかも、グループの決定に賛成しているのだから、何も問題はない。
やはり凛星晴には、その態度がよく理解できなかった。
「そう。なら問題ないわね。」
凛星晴はスマートフォンへ入力する。
紅松焔蘭。
木通恋乃羽。
真白心珠。
担当――買い物・洗濯。
これで二つ目も決まった。
「異論がないなら、これで決定します。」
残る仕事は一つしかない。
凛星晴は最後の三人へ視線を向ける。
「では、残った森ヶ丘さんたちのグループは、最初の週は掃除当番をしてください。」
「はぁ〜い♡ ゆりぃ、お掃除頑張りまぁす♪」
結璃愛が片手を上げ、楽しそうに答えた。
その瞬間。
「はぁ……。」
大きなため息が聞こえた。
紫だった。
「その訳の分からないテンション、やめてくださる? 士気が下がりますわ。」
冷たい視線が結璃愛へ向けられる。
「えぇ〜?」
結璃愛の笑顔が、ほんの一瞬だけ止まった。
「さ、早乙女さん、怖ぁい……♡」
すぐにいつもの調子へ戻った――ように見えた。
けれど。
先ほどまで何を言われても崩れなかった表情が、僅かに揺れた。
凛星晴はそれを見逃さなかった。
ほんの一瞬だけだったが、結璃愛が動じたように見えたのだ。
だが、次の瞬間にはもう、可愛らしい笑顔を浮かべている。
――気のせいかしら。
「まぁまぁー。」
二人の間に割って入るように、翠佳が口を開いた。
「せっかく同じグループなんだしー。頑張ろうよー。」
口調は穏やかだった。
しかし、その表情はどこか諦めているようにも見える。
紫と結璃愛の間を本気で取り持とうとしているのか、それとも単にこの場が面倒になっただけなのか。
やはり、よく分からない。
「わたくしは最初から、役目を果たすつもりですわ。」
紫はそう言うと、結璃愛から視線を逸らした。
「はぁ〜い♡ じゃあ三人で頑張ろうねぇ〜♡」
「……あなた、本当に人の話を聞いていらして?」
「聞いてるよぉ〜?」
「…………。」
紫の眉間に皺が寄る。
「まぁまぁー。」
翠佳がもう一度、同じ言葉を繰り返した。
――この三人も、大丈夫なのかしら。
凛星晴は一抹の不安を覚えながら、最後の担当を入力する。
蒼井結璃愛。
森ヶ丘翠佳。
早乙女紫。
担当――掃除。
これで、全ての当番が決まった。
料理は、凛星晴、夢雨、恵。
買い物と洗濯は、焔蘭、恋乃羽、心珠。
掃除は、結璃愛、翠佳、紫。
三人一組。
誰にも、何もしない日はない。
明日から、この九人で本格的な寮生活が始まる。
凛星晴は完成した当番表を見つめた。
仕組みそのものに問題はない。
仕事量も、大きく偏ってはいないはずだ。
合理的に考えれば、これで上手く回る。
――合理的に考えれば。
凛星晴は、そっと顔を上げた。
紫と結璃愛は、既に何やら言い合っている。
翠佳はその横で、ぼんやりと二人を眺めている。
心珠は自分のグループの二人を気にしている様子で、焔蘭と恋乃羽を交互に見ていた。
焔蘭は不機嫌そうな顔。
そして恋乃羽は――。
また、窓の外を見ている。
「…………。」
凛星晴は当番表へ視線を戻した。
明日から。
本当に、大丈夫なのだろうか。




