第3話 破滅しないための三箇条
前話に続き、幼い頃のリゼリアのお話です。
自分が悪役令嬢だと知った彼女は、破滅を避けるためにある決意をします。
アルベルト殿下との初めての顔合わせを終えたその夜。
私は自室の机に向かい、一枚の紙を前に腕を組んでいた。
「……よし」
何度考えても、結論は同じだった。
私は、乙女ゲーム『花冠のエリュシオン』の悪役令嬢。
原作通りなら、いずれヒロインを虐め、王太子との婚約を破棄され、ろくでもない結末を迎える。
けれど。
原作通りに行動しなければいい。
それだけの話だ。
私は羽根ペンを手に取り、紙の一番上に大きく文字を書いた。
『破滅しないために』
我ながら、ずいぶん物騒な題名だと思う。
けれど、こちらとしては人生がかかっている。
8歳の子どもが考えることではないのかもしれない。
でも仕方がない。
私はその下に、一つ目を書いた。
『1、エリシア・ベルナールを虐めない』
当然だ。
原作のリゼリアが破滅する最大の原因は、ヒロインへの数々の嫌がらせ。
なら、それをしなければいい。
教科書を破らない。ドレスを汚さない。階段から突き落とさない。
毒なんてもってのほか。
そもそも、どうして原作の私はそこまでしたのだろう。
ゲームをしていた時は、
『またリゼリアが出てきた』
くらいにしか思っていなかった。
小間となっては、未来の自分が何を考えてそんな行動を取るのか、まるで理解できない。
「……絶対にやらないわ」
小さく呟いて、二つ目を書く。
『2、攻略対象には必要以上に近づかない』
これも重要。
王太子アルベルト。
公爵令息レオニス。
騎士団長の息子カイル。
天才魔法使いノア。
神殿の聖騎士、セドリック。
そしてーー隠し攻略対象。
そこまで思い出して、私は眉を寄せた。
「……名前、なんだったかしら」
黒髪。
たしか隣国の人物で、乙女ゲームファン人気の高いキャラクターだった気がする。
でも、その頃の私はゲームを完全攻略していたわけではない。
詳しいルートまでは思い出せなかった。
「まぁ、いいわ」
どうせ攻略対象には近づかない。
なら名前を完璧に覚えていなくても困らないだろう。
問題はーー。
「アルベルト殿下よね……」
私は机に頬杖をついた。
一番避けたい相手なのに、すでに婚約話が進んでいる。
今日の顔合わせもそのためだった。
原作では、リゼリアは幼い頃からアルベルトに強い執着を抱いていた。
そして学園でエリシアが現れ、アルベルトが彼女に心惹かれ始めたことで、その嫉妬が暴走する。
なら。
「執着しなければいいのよ」
婚約者だからといって、恋をしなければならないわけではない。
必要な礼儀を守る。王太子妃候補として必要な教育も受ける。
けれど、アルベルトを自分だけのものにしようとは思わない。
エリシアに嫉妬もしない。
そうすればいい。
私は二つ目の横に小さく、
『ただし、婚約者としての礼儀は守る』
と付け足した。
「……完璧」
そして三つ目。
『3、原作のイベントをできる限り避ける』
これが一番大事かもしれない。
ゲームで覚えている限り、嫌がらせが起こる日や場所を避ける。
エリシアが学園へ入ってきたら、必要以上に接触しない。
イベントそのものを発生させなければいい。
そうすれば。
「私、普通に生きられるのでは?」
紙に並んだ三箇条を見ていると、急に簡単なことのように思えてきた。
1、ヒロインを虐めない。
2、攻略対象に近づかない。
3、原作イベントを避ける。
たったそれだけ。
むしろどうすれば破滅できるのか。
「私、悪役になる気なんてないもの」
そう口にすると、不思議なくらい気持ちが軽くなった。
未来を知っている。
それは、怖いことでもある。
でも同時に。
未来を変えるための準備ができるということでもある。
私は紙を丁寧に折り、自分しか使わない机の引き出しの一番奥へしまった。
誰かに見られて、
『ヒロイン』、『攻略対象』、『原作』
なんて言葉について尋ねられたら、説明のしようがない。
「お嬢様」
扉の向こうから声がした。
「どうぞ」
入ってきたのは、私付きの侍女だった。
「奥様がお呼びです。明日の予定についてお話があるそうです」
「分かったわ」
立ち上がりかけて、ふと思い出す。
「そうだわ。今日いらっしゃったアルベルト殿下は、もうお帰りになったの?」
「はい。少し前に」
「そう」
私はほっと息をついた。
今日の顔合わせでは、特に問題はなかった。
アルベルトはゲームで見た通り、よくできた王子様だった。
まだ幼いのに、挨拶も会話も完璧。
ただ。
最後に庭を案内した時。
私が足元の石につまずきかけると、彼は咄嗟に手を伸ばしてくれた。
『大丈夫?』
その時だけは、王子様らしい作られた笑顔ではなかった。
ただの少年の顔をしていた。
私は、そのことを思い出して少し黙った。
ゲームの中では、彼は攻略対象だった。
画面の向こうで笑って、怒って、ヒロインを好きになるキャラクター。
けれど。
今日、実際に会ったアルベルトは。
ちゃんとこちらを見て、話して、私が転びそうになれば手を伸ばした。
当たり前なのに。
それが妙に不思議だった。
「お嬢様?」
「あ、いえ。なんでもないわ」
私は侍女と一緒に部屋を出た。
廊下を歩いている途中、母の声が聞こえてくる。
扉を開けると、母は机いっぱいに布地を広げていた。
「リゼリア、こちらへいらっしゃい」
「これは?」
「春の夜会用のドレスよ」
「もう決めるのですか?」
「仕立てには時間がかかるもの」
母は生地を一枚ずつ見せてくれる。
淡い青。白。薄紫。
「あなたにはこの色が似合うと思うのだけれど」
「私は白の方が好きです」
「あら。では白にしましょうか」
そんな、何でもない会話。
私はふと母の横顔を見つめた。
原作のゲームで、リゼリアの母親はどれくらい登場していただろう。
たぶん、ほとんど出ていなかった。
名前すら、私は覚えていない。
父も同じだ。
ゲームでは「アーデンベルク公爵」として少し名前が出ただけだったと思う。
けれど。
今の私にとっては違う。
朝食で私を心配する父。
ドレスの生地を一緒に選んでくれる母。
毎朝髪を整えてくれる侍女。
庭師。料理人。屋敷の皆。
ゲームには描かれなかった人たちが、ここには大勢いる。
そして皆、本当に笑う。本当に怒る。本当に心配する。
「リゼリア?」
「……お母様」
「なあに?」
「私は、お母様の娘で良かったです」
母はきょとんとした。
それから、柔らかく笑う。
「まあ。突然どうしたの?」
「なんとなくです」
「変な子ね」
そう言いながら、母は私の髪を撫でた。
温かい。
ゲームの世界。
そうお思えば、全部が作られたものなのかもしれない。
けれど。
この温もりまで偽物だとは私には思えなかった。
その夜。
ベッドに入ってから、私は考えた。
私は『花冠のエリュシオン』の未来を知っている。
けれど知っているのは、ゲームで描かれた部分だけ。
この世界には、原作では描かれなかった時間がある。
人がいる。生活がある。
だったら。
原作に書かれた未来だって、絶対ではないのかもしれない。
「……大丈夫」
布団の中で、小さく呟く。
私はヒロインを虐めない。
誰かを傷つけたりしない。
原作通りの悪役にはならない。
それならきっと。
私も。家族も、みんな普通に幸せになれる。
そう信じた。
少なくとも、8歳の私はまだ疑っていなかった。
未来というものは、自分が選ぶ行動によって、いくらでも変えられるものだと信じていた。
お読みいただきありがとうございます。
破滅を避けるための「三箇条」を決めたリゼリアですが、少しずつこの世界をただのゲームとは思えなくなっていきます。
次話からは少し時間を進めながら、リゼリアの日常や周囲の人たちとの関係を描いていきます。




