第6話 ふたりのための祝宴
事件から一か月。
セレスティーナもリゼリアも無事に快復し、王宮では第一王女の回復を祝う宴が開かれることになりました。
それは表向きにはセレスティーナのための祝宴。
けれど王家にとっては、もう一人の少女が無事に戻ってきたことを祝う日でもありました。
そしてリゼリアにとっては、公爵令嬢として初めて正式な場へ立つ日でもあります。
あれから一か月ほど経った。
私の身体から熱はすっかり消え、黒紫色の痣も最後にはあと一つ残さず消えた。
セレスティーナ様の療養も順調に進み、まだ無理はできないものの日常生活へ戻れるまでに快復した。
そして、王宮から一通の招待状が届いた。
第一王女セレスティーナ・アルヴェリア殿下の快復を祝う宴。
表向きにはそういう名目だったけれど。
「実質、リゼリアの快気祝いでもあるらしいよ」
招待状を呼んでいたエドガー兄様が言った。
「私の?」
「王家からすれば、二人とも無事だったことを祝いたいんだろう」
オスカー兄様が答える。
「でも私は王女様じゃありません」
「知ってる」
「じゃあ、どうして」
「お前がいなかったら、第一王女殿下が助からなかった可能性があるからだ」
「……」
「それだけ王家は感謝してるってことだろ」
嬉しいけれど、それ以上に別の問題があった。
「……パーティー」
「うん」
「ちゃんとした?」
「ちゃんとした」
「大人いっぱい?」
「いっぱい」
「知らない人も?」
「たくさん」
私は招待状を見つめた。
「……行きたくない」
「リゼリア?」
エドガー兄様が目を丸くする。
「セレスティーナ様には会いたいです」
「うん」
「でもパーティーは嫌です」
「どうして?」
「だって」
これまで王宮へ行く時は、ほとんどが私的な訪問だった。セレスティーナ様の部屋へ行って、お茶をして、ユリウス殿下と遊んで、大人たちの正式な場へ顔を出すことなんてなかった。でも今回は違う。
アーデンベルク公爵令嬢、リゼリア・アーデンベルクとして、大勢の貴族の前に正式に立つ。
「失敗したらどうしよう……」
思わず呟いた。
二人の兄が顔を見合わせた。
「……リゼリアでも緊張するんだね」
「します!」
「普段、礼法の先生には褒められてるだろ」
オスカー兄様が言う。
「練習と本番は違います」
「同じだ」
「違います」
「同じだって」
「知らない大人がいっぱい見るんですよ?」
「見るだろうな」
「転んだら?」
「立てばいい」
「挨拶を間違えたら?」
「言い直せばいい」
「名前を忘れたら?」
「俺かエドガーを見る」
「……?」
オスカー兄様が何でもないことのように言った。
「俺たちも一緒だ」
「……」
「お前一人で出るわけじゃない」
エドガー兄様も頷く。
「そうだよ。リゼリアが困ったら僕たちがいる」
「でも、ずっと隣にいてくれるわけじゃ」
「できるだけいるよ」
「本当?」
「オスカー兄様も?」
「いる」
「絶対?」
「絶対」
少し、安心した。
「……じゃあ、行きます」
「セレスティーナ殿下には会いたいんだろ?」
「はい」
「だったら大丈夫」
エドガー兄様が私の頭を撫でた。
「いつも通りのリゼリアでいればいいよ」
「いつも通りだとオスカー兄様に怒られます」
「それはそうだね」
「エドガー」
三人で笑った。
◇
宴の日。
鏡の前に立った私は、自分なのに自分ではないような気分になっていた。
淡い紫色のドレス。銀色の髪は丁寧に整えられ、普段より少しだけ華やかな髪飾りが付いている。
「……変じゃない?」
「全然」
部屋の入り口でエドガー兄様が即答した。
「本当に?」
「可愛いよ」
「兄様は何でも可愛いって言うでしょう」
「リゼリアが可愛いから仕方ないね」
「参考になりません」
「ひどいな」
その後ろからオスカー兄様が入ってくる。
「準備できたのか?」
「はい」
私は立ち上がる。
「どうですか?」
「何が」
「変じゃない?」
兄様は一度、頭から足先まで私を見る。
「似合ってる」
「……」
「何だ?」
「ちゃんと褒めてくれました」
「聞かれたから答えただけだ」
「もう一回言って」
「嫌だ」
「オスカー兄様」
「一回で十分だろ」
エドガー兄様が笑う。
「オスカー、照れてる?」
「黙れエドガー」
「ふふ」
私も笑った。少しだけ緊張がほどけた。
「行こうか」
エドガー兄様が右手を差し出す。
「はい」
手を取ろうとしたら。
「待て」
兄様が私の前へ屈む。
「髪飾り、少しずれてる」
「え?」
「動くな」
指先で位置を直してくれる。
「これでいい」
「ありがとうございます」
「あとは」
じっと私を見る。
「何ですか?」
「顔が固い」
「緊張してるからです」
「知ってる」
「どうすればいいですか?」
「息を吸え」
「はい」
「吐け」
「……ふう」
「もう一回」
言われた通りにする。
「どうだ」
「少しだけ」
「なら十分だ」
「でも、まだ緊張します」
そう言うと、オスカー兄様が私の左手を取った。
「じゃあ、会場の手前まで俺が持っててやる」
「……」
「何だよ」
「子どもみたい」
「7歳は子どもだって何回言わせるんだ」
思わず笑ってしまった。
「じゃあ右は僕かな」
反対側から、エドガー兄様が手を取る。
「兄様たち」
「何?」
「これじゃ、本当に子どもです」
「子どもでいいよ」
エドガー兄様が笑う。
「僕たちの妹なんだから」
左右から兄たちに手を握られて、私は初めての正式な宴へ向かった。
◇
王宮の大広間には、想像していたよりずっと多くの人がいた。
「……多い」
「聞こえるぞ」
オスカー兄様に小声で注意される。
「だって……」
「前見ろ」
「はい」
貴族たちの視線がこちらへ向く。事件の話を皆がしているのだろう。第一王女を救った少女。そんなものとして見られているような気がした。
怖い。
でも、右を見るとエドガー兄様。左を見るとオスカー兄様。二人ともいる。
大丈夫。私はアーデンベルク公爵令嬢。
教えてもらった通り歩けばいい。
「リゼリア」
エドガー兄様が小さく呼ぶ。
「はい」
「上手だよ」
「まだ歩いてるだけです」
「それができれば十分」
少しだけ方から力が抜けた。
そして、広間の奥の王族が並ぶ場所に。
「……!」
見つけた、淡い金色の髪に青い瞳。
以前より少し痩せた気はするけれど、立っている。笑っている。
私を見て目を細めている。
「お姉様……」
思わず呼びそうになって口を押さえる。今日は私的な訪問ではない。ちゃんとしなくてはいけない。
私は教えられた通りにセレスティーナ様の前へ進んだ。そして深く礼をする。
「第一王女殿下におかれましては、このたびのご快復、心よりお祝い申し上げます」
言えた。間違えてない。良かった、セレスティーナ様が笑っている。
「ありがとう、リゼリア・アーデンベルク公爵令嬢」
少しだけ、いつもよりよそよそしい呼び方。やっぱり正式な場だから。そう思った。
でも、次の瞬間。
「……なんて」
セレスティーナ様が小さく笑った。
「これではあまりにも他人行儀ね」
「殿下?」
「リゼリア」
その声は、いつもの私が大好きな声だった。
「少しだけ、こちらへ来てくれる?」
私は王と王妃を見る。
二人とも優しく頷いた。だから、一歩近づいた。
「セレスティーナ様」
「もう少し」
「……?」
「もっと」
「このくらい?」
「ええ」
すると、セレスティーナ様が私を抱きしめた。
「……!」
広間が少しだけざわめく。
「お、お姉様?」
思わず、いつもよ呼び方が出てしまった。
「よかった」
耳元で小さな声が聞こえる。
「本当に……よかった」
「セレスティーナ様」
「あなたが倒れたって聞いた時、私……」
抱きしめる腕が少し震えていた。
「ごめんなさい」
「謝らないで」
「でも」
「あなたがいなかったら、私はここにいなかったかもしれない。でもね」
少しだけ身体が離れる。セレスティーナ様が私を見る。
「あなたがいなくなってしまったら、それでは意味がないの」
「……」
「だから」
手を握られた。
「助けてくれてありがとう」
「はい」
「そして」
笑う。
「あなたも元気になってくれて、ありがとう」
目の前が熱くなる。
「……はい」
その時、壇上から国王陛下が口を開いた。
「本日の宴は、第一王女セレスティーナの快復を祝うためのものとして皆には知らせていた」
広間が静まる。
「だが、我ら王家にとっては、もう一人無事を祝うべき娘がいる」
視線が私へ集まる。
「リゼリア・アーデンベルク」
「……はい」
「娘を救ってくれたこと、父として礼を言う」
国王が公爵令嬢である私へ、頭こそ下げないもののはっきりと感謝を告げた。
「そして、リゼリア。君自身も無事に戻ってきてくれたことを、心から嬉しく思う」
「陛下……」
「だから今日は」
少しだけ陛下が笑った。
「セレスティーナだけではない。二人の快復を祝う日だ」
拍手が広間いっぱいに広がった。
恥ずかしい。逃げたい。でも、嬉しい。
どうしたらいいのかわからなくて、私は兄たちを見る。
エドガー兄様が笑っている。オスカー兄様もほんの少しだけ頷いた。
大丈夫。
そう言っているように見えた。
私はもう一度前を向く。
「ありがとうございます」
深く、礼をした。今度は震えなかった。
◇
宴が少し落ち着いた頃、セレスティーナ様とようやく人の少ない場所で話す時間ができた。
「疲れてない?」
「少しだけ」
「初めてでしょう、こういう宴」
「はい」
「とても立派だったわ」
「本当ですか?」
「ええ」
「途中で逃げたくなりました」
「それは内緒にしておきましょう」
顔を見合わせて笑う。
いつものお姉様だった。
「セレスティーナ様」
「なあに?」
「身体は?」
「もうほとんど大丈夫。まだ長く歩いたりはできないけれど」
「魔力は?」
「見てくれる?」
「いいんですか?」
「もちろん」
私はそっと、彼女の手を取る。
目を閉じる。魔力を感じる。
以前より、少し弱い。でも、まっすぐ綺麗に流れている。
「……大丈夫」
「本当?」
「はい」
嬉しくなった。
「ちゃんと綺麗です」
「よかった」
セレスティーナ様も嬉しそうに笑った。それから、私の手へ視線を落とす。
「痣は?」
「もうありません」
「見せて」
右手を出す。
あの黒紫色の痣はすっかり消えている。
「……よかった」
「大丈夫です」
「でも」
セレスティーナ様が私の手を両手で包む。
「もう、私のためにあんな無茶をしないで」
「でも、お姉様がまた危なくなったら
「駄目」
「……」
「リゼリアまでいなくなるかもしれないのは嫌よ」
その言葉が、オスカー兄様の言ってたことと少し似ていた。
「自分のことも心配しなさい」
「……みんな同じことを言います」
「あら」
「オスカー兄様にも言われました」
「それならオスカー様とは気が合いそうね」
「お姉様まで」
少し笑う。それから私は言った。
「でも」
「うん?」
「助けて良かったです」
これは本心だった。
「すごく怖かったし、熱も出たし、兄様たちにもいっぱい心配かけました」
「……」
「でも」
握ってくれている手を私も握り返した。
「お姉様がここにいるから」
セレスティーナ様の目に、少しだけ涙が浮かんだ。
「……あなたって子は」
再び、抱きしめられる。
「本当に私の妹だったらよかったのに」
「私も」
「え?」
「お姉様が、本当のお姉様だったらいいのにって思ってました」
「……」
一瞬黙ったあと、セレスティーナ様はとても嬉しそうに笑った。
「それなら」
私の髪を優しく撫でる。
「これからも、そう思っていて」
「いいんですか?」
「もちろん」
「じゃあ」
少しだけ照れながら。
「お姉様」
「なあに、リゼリア?」
嬉しかった、それだけ。
本当にそれだけだった。
◇
帰り際、広間を出たところで私は大きく息を吐いた。
「終わった……」
「お疲れ様」
エドガー兄様が笑う。
「どうだった?」
「緊張しました」
「でも完璧だったよ」
「本当?」
「うん」
「オスカー兄様は?」
「何で俺にも聞く」
「兄様の方が厳しいからです」
「……」
一瞬黙る。
「よくできてた」
「本当?」
「ああ」
「失敗してませんでした?」
「してない」
「歩き方も?」
「問題ない」
「挨拶も?」
「問題ない」
「顔は?」
「最初は固かった」
「やっぱり!」
「でも途中からは普通だった」
「……よかった」
安心して方から力が抜ける。
「ねえ、リゼリア」
エドガー兄様が私の前へ手を差し出した。
「帰りは?」
「……」
反対側のオスカー兄様を見る。
「兄様も」
「もう緊張してないだろ」
「今日は特別です」
「何が」
「初めてのパーティーを頑張ったので」
「……仕方ないな」
そう言いながらちゃんと手を差し出してくれた。
私は二人の兄の手を取る。
「子どもみたい」
「子どもだろ」
「今日くらいいいじゃないか」
「……そうですね」
左右に兄たち。
昔から私を可愛がってくれる兄と、厳しいことばかり言う兄。
でも、どちらの手も同じくらい温かかった。
この頃の私はまだ知らない。
この王宮が少しずつ私にとって特別な場所になっていくことを。
姉のように慕う人がいて、弟のように懐いてくれる王子がいて、そして、今日の宴のどこかにはまだきちんと話したことのない第一王子もいた。
もう少しすれば、私はその人の名前を正式に聞くことになる。
ーーアルベルト・アルヴェリア。
その名前を聞いた瞬間、今まで忘れていたもう一つの人生を思い出すことになるとも知らずに。
私は兄たちの手を握ったまま、笑っていた。
ただの7歳のリゼリア・アーデンベルクとして。
お読みいただきありがとうございます。
初めて正式な祝宴へ出席することになったリゼリア。
緊張する妹を支えるエドガーとオスカー。
そして、無事に再会できたセレスティーナとの関係を描きました。
事件をきっかけに、セレスティーナとの絆だけでなく、王家そのものとリゼリアとの距離も以前より近くなっています。
けれど、まだこの頃のリゼリアは知りません。
自分が大切に思っている王宮の中に、やがて「攻略対象」として見ることになる人物がいることを。
次話では、リゼリアの人生を大きく変える「アルベルト・アルヴェリア」という名前へ、さらに近づいていきます。




