双月余話 双つ月だけが知る
王を戴く、太陽国ソンツェリア。
女王を戴く、月国ミーシャリア。
王権が神話に強く依存する両国には、独特の風習があった。
王位を継ぐ者とその配偶者は、神話に相応しい名に改めることだ。
王太子アレクシス・ソンツェリアもまた、王位とは無縁の第三王子だった頃までは。
――ブロニスラウ・ダニーロ・ソンツェリア。
それが、アレクシスが生まれた時に名付けられた『本名』だったのだ。
この改名の風習は、どうも他国からは奇妙に見えるらしい。
立太子の儀に参列した、他国の親しい友人からは、
「ダニーロがまさか王太子ねぇ。いや。これからは、アレクシス王太子殿下、か。なかなか呼び慣れないな」
と言われたものだ。
実際、アレクシスもなかなか慣れなかった。
物心ついた時にはすでに、使用人や神官たちからは、ずっと『ブロニスラウ殿下』と呼ばれていた。
家族からは、ダニーロ、あるいはダーニャと呼ばれていたのだ。
それが、王太子として名を改めたあとは、皆が『アレクシス殿下』と呼ぶのだから。
長子だった第一王子テオドロスは、生まれた時から王太子と定められていた。慣例に則り、十五歳の立太子の儀で『テオドロス』と名を改めた。
二年前、テオドロスが病に倒れ帰らぬ人となった後。喪があけて、しばらくのち。
兄である第二王子と第三王子であるブロニスラウは、それぞれ国王から『イリアス』『アレクシス』と名を与えられた。
どちらを王太子に定めるか、悩まれたのだろうと、当時のアレクシスは考えたものだ。
「だから、私は思ったのですよ。テオドロス兄上もイリアス兄上も、名を改めた時どう思われたのかと」
月を見上げて、アレクシスはそう語った。
「やはり、この風習は奇妙にうつりますよね。私も同じです」
隣で、セレネがそう言って笑った。
月国の第二王女。
今は、アレクシスの妻となった女性。
セレネ・ミーシャリア=ソンツェリア。
神話婚のために、月国から嫁いだ姫。
神話婚のために、月を意味する『セレネ』に名を改めた姫。
名を改める風習を持つ国。
アレクシスと、同じだった。
「私も、『ミロスラヴァ・ゾリアナ』が本名ですが、アレクシス様と同じで、母上や父上、姉上からはやはり、愛称で呼ばれていました」
セレネもまた、双つ月を見上げてそう言った。
「……なんと呼ばれていたか、お聞きしても?」
聞くべきか悩んで、アレクシスはどうにかその問いを立てることに成功した。
「おや、アレクシス様がそこまで踏み込むのは珍しいですね?」
セレネが揶揄うように、アレクシスを見て笑う。
毛先が淡い青銀髪が揺れる。
セレネの月と同じ淡い青の目から逃げそうになって、アレクシスはどうにか咳払いをした。
「大切な人のことを知りたいと思うのは、人として、夫として当然です」
「ミラ、ですよ」
笑い混じりの声で、セレネがそう言った。
「私はミロスラヴァからとって、ミラと呼ばれていました。母上やお姉様からはミローシャやミルカと呼ばれる時もありましたが、大抵はミラです」
懐かしいですね、とセレネがまた月を見上げてそう言った。
祖国を、思い出しているのだろうか。
「セレネ。貴女を……」
口にして、迷った。
それを言う資格が、アレクシスにあるかわからなかったのだ。
「アレクシス様、どうされましたか?」
また、淡い青の目がアレクシスに向けられる。
直視できず、露台の手摺りに顔を伏せて、
「その。嫌なら断ってください。セレネ、貴女を『ミラ』と呼ぶことを、私に許して下さいますか?」
それだけを、言った。
沈黙が重い。
彼女の反応を見るのが、怖かった。
「アレクシス様」
やがて、セレネがそう切り出した。
「私を見て、もう一度言ってください」
「貴女は、またそうやって私の逃げ道を塞ぐ」
手摺りの影からセレネを見ると、真っ赤な顔をした彼女が、ふいと目を逸らしていた。
「アレクシス様が、いつも逃げるからですよ」
「なら、セレネ。貴女を『ミラ』と呼んでも?」
身を起こして、アレクシスはそっとセレネの手を取る。
拒否はされない。
手袋越しではない、肌の温もりが、愛おしい。
「……私も、アレクシス様を愛称で呼んでも、よろしければ」
また、彼女の視線がアレクシスを捉える。
「もちろんです。ありがとうございます……ミラ」
言ってから、どきりとした。
諸侯会議の場でも、国王陛下の前でも、こんな緊張をしたことがない。
「アレクシス様にミラと呼ばれると、やはり、恥ずかしい? いえ、嬉しいのですが、その」
珍しくセレネが言葉に詰まる姿が、愛おしくて、アレクシスはそっと彼女を抱きしめた。
「ミラ。貴女には、ダニーロよりも『ダーニャ』と。そう呼んでいただけませんか?」
そっと、願望を耳元に囁いた。
アレクシスの腕の下で、耳まで真っ赤に染めたセレネが、小さな小さな声で囁く。
「では……ダーニャ様」
「もう一度」
「ダーニャ様」
「もう一度お願いしても?」
額に唇を落として告げれば、セレネはやや拗ねたようなふりをして口を開いた。
「私ばかり不公平です!」
正論だった。
「ははは! たしかに。ミラ、ミラ! 私の愛おしいミラ。どうか、私にもう一度その名を賜る褒美をいただけませんか?」
やや芝居がかった口調で、セレネの手を取り唇を落とし懇願する。
「そこまで呼ばれると恥ずかしいです。ダーニャ様。私の隣に立ってくださる、ダーニャ様」
セレネがアレクシスの両手を握った。
「私たちは、セレネとアレクシスのまま、神話婚を演じなければいけませんが」
ぎゅっと、その手に力が籠った。
「時々は、ミラとダーニャと呼び合いましょうね」
アレクシスも手を握り返して、言った。
「ええ。そうしましょう。ですが、他の人に知られるのは悔しい……双つ月だけが知る秘密にしましょう」
セレネは瞬きを繰り返して笑った。
「存外、ダーニャ様は嫉妬深くあられるのですね? ですが私も同じです。約束ですよ」
思った以上にたくさんの方に見ていただいたので、
おまけを追加しておきます。
読んでくださって、それから評価までしていただき、本当にありがとうございます!
▼おまけ
アレクシスは第三王子として、他国と外交する時があったので、愛称で呼び合っても問題にならない親しい友人はいます。
もちろん公的な外交儀式の場では、正式な名称で呼び合いますが、夜会や社交の場など厳格な儀礼が求められなければそうすることができます。
セレネに対しては、感情が制御できず余話の通りになりました。
もちろんセレネも相応に動揺しています。
糖度が伝わりますように!
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ここまで読んでくださったあなたに、心より御礼申し上げます。




