special thanks(5)
日中の暑さも和らぎ、夜になれば鈴虫の音が町に響き渡るようになった十月の始め。
夕飯を済ませ、自室でギターの弦を張り替えている最中のことだった。ふと、机に置いていたスマホから通知音が鳴る。画面を見ると彩音からのメッセージが映し出されていた。
『ごめん。風邪引いちゃったから、明日学校とバンド練習休むね』
僕は文字を追った両目を丸くする。
今日もいつも通りスタジオで練習が行われ、もちろんそこに彩音の姿もあった。たった数時間前の出来事だ。その時にはとても体調が悪そうには見えなかっただけに、不意打ちの喫驚をくらった。
もしかすると僅かな不調は昼のうちからあって、そこから演奏で体を動かしたせいで悪化してしまったのかもしれない。申し訳なさと心配の念を抱きながら、僕は彼女に返信した。
スマホを置いて、弦の張り替えを再開する。新しい弦をブリッジに通し、ペグへ差し込んで、ペグボタンを回していく。張りが強まっていく弦を見ながら、僕はここ数日の彩音の姿を思い起こしてみた。
九月の中旬頃、アルバムに録音する十三曲のうち十二を作り終え、残る一つの作曲が本格化した。他の曲と同様に順調に進んでいたが、作曲が2サビの辺りまで到達した時、続く旋律がパタリと彼女のギターから生まれてこなくなった。それは滔々と流れていた水流に堰を置いたように唐突なことだった。
『もう少し待っててね』と、この二週間ほど、彩音は毎日のように繰り返している。そう語りかけてくる彼女の声色や相好はいつものように快活そうだったが、その中に微かに滲む焦りのような切実さを、僕は漫ろに感じ取っていた。
最初に立てた『十一月までにアルバムを完成させる』という目標はあれど、あくまでも目標であって、絶対に守らないといけないような期限ではない。文化祭でライブをするにしても、他の曲が十分にある。何もそこまで根を詰める必要も無い気がするが、そこは作曲者にしか分からない感情があるのかもしれない。
どのみち作曲に関してアドバイスできるほどの技量を持っているわけでもないため、ただ待つことしかできないというのが実際のところだ。圭一も同様だろう。唯一提言できそうなのは悠人だけだったが、彼は一切口を挟むことをしない。他の曲の時も、編曲の段階になれば意見を出していたが、大元の作曲については一言も口出しすることがなかった。それは土田悠人の信頼の形だと、今なら理解できる。
六本全ての弦を張り終え、僕はそのままチューニングを行う。済んだところで、なんとなしに彩音が作った曲をいくつか弾いてみた。弦の生音が軽やかに室内に響く。
彩音の生み出した曲はほとんどがアップテンポの朗々した曲調だ。彼女自身の感性が大きく反映されているのだろう。しかし、どの曲も確実に輪郭は違っていた。同じ親から生まれた兄弟姉妹が、外見は似ていても性格が異なるように、陰影に富んだ楽曲を彼女は作り出している。
本当に途轍もない才能だ、と僕は手元から伝ってくる音を耳にしながら思った。
それと同時に一つ、以前から拭えない疑問が脳裏をかすめた。
なぜ彩音はあれだけの実力を持ちながら、将来、音楽に関わる道に進もうとしないのだろう。決めつけはよくないが、他にやりたいことがある風には見えない。彼女の音楽に対する姿勢や取り組み方を見ていると『趣味としてで十分』という言葉も違う気がする。
やはり親の反対のようなものがあるのだろうか。しかし彩音なら、仮にそんな障害があったとしても屈せずに、無理やりにでも夢を掴もうとするだろう。それだけの奔放さと強固な意志を彼女は持っている。
勝手な憶測ばかり立てても仕方がないか、と僕は弦を勢いよく弾いて演奏を止めた。そのまま何を見るわけでもなく天井を仰ぐ。そしてたった今、約一ヶ月振りに胸に去来した問いを、自分自身に投げかける。
いったい僕は、どんな将来を選びたいのだろうか。




