What is music to you(1)
教壇に立った石川が黒板にテンポよく文字を書いていく。微かに吹奏楽部の音色が聞こえる放課後の教室で、僕はその姿を眺めていた。タイムリープしたかのように既視感のある光景。しかし前回とは一つだけ違う点もある。隣の席に圭一が座っているというだけだが。
チョークの硬質な音が止み、石川はこちらを振り返って快活に言い放った。
「では、第二回バンド作戦会議を開催します!」
「あ、二回目なんだ」
「バンド組むのが決まった次の日に一回あったんだよ」と、圭一の呟きに僕は返す。
「あの時はまさかこんなにメンバー集めに苦労するとは思わなかったよねえ」
石川は暢気に言いながら教壇を降りて席に着いた。
「さ、残る楽器はベースだけだね」と、彼女から視線が送られてくる。僕はそれを圭一へ流すように口を開いた。
「あと二年生で声をかけてないのは五組の半分と六組だけなんだけど、悪いけど圭一、五組の残りを頼んでもいいか? 六組は俺と石川で勧誘してみるから」
「もちろん構わないよ。あとで声をかけてない人を教えてもらっていいかい?」
「分かった」と、僕は頷く。
「まあでもここまでの経過を見ると六組も期待薄な気がするけど」
「いいや、なんとかなるさ!」
石川は昂然と口にする。どこからその自信は湧いてくるのだろうか。
「ちなみに」と、圭一が言う。
「CDを作るっていう話だけど、いつ頃までに完成させたいっていう予定はあるのかな?」
「……あ」
言われてみれば、だった。メンバー集めに腐心していたがために、その先を石川に確認するのをすっかり失念していた。答えを求めて彼女の顔を窺う。
「そうだなあ、あんまり具体的な期日は決めてなかったけど……」
石川は呟いた後で、僅かに俯いて間を置く。
「……できるだけ、早くかな」
次に彼女の口から漏れた言葉は小さく、聞き取りづらいものだった。ただその声は、何かを思い悩むように悄然とした雰囲気を纏っているように感じた。
「いや、よし、じゃあ十一月を目標にしよう!」
しかし瞬時にスイッチを切り替えたように、彼女は声を大にする。
「それまでに曲が出来上がってたら文化祭で演奏することもできるしね」
「なるほどそれはたしかにアリだね。よし、それじゃあ十一月で」
「いや、ちょっと待て」と、二つ返事で了承した圭一に反して僕は制止した。
「文化祭で演奏するつもりなのか? CD作るだけじゃなくて?」
「いやあ、最初はそれだけでもいいかなって思ってたけど、どうせ曲を作るなら、やっぱりライブもしたくない?」
それに、と石川は無邪気に白い歯を覗かせる。
「篠宮くんが前に言ったじゃん。私たちの曲で色んな人にロックバンドの良さってやつを知らしめてやろうって」
「それは……まあ」
たしかに彼女の言う通りのことを、先日の僕は口にした。しかしそれは、石川の望みであるアルバムを完成させCDという形で僕たちの音楽を耳にしてもらうことで、という意味で放った言葉だった。生演奏を通じて、というつもりではない。
「修志くん、そんなキザなこと言ったんだ」
圭一がからかうように口元を緩める。先日の仄かな羞恥が、ほんの一瞬鮮やかに蘇った。それを振り払うように僕は圭一を小突こうとするがヒラリと躱される。
「そうそう、そんなキザなことを言ってたの」と、石川もニヤリとして続ける。
「まあ、たしかに一番の目標はアルバムを作ることだけどさ、やっぱりバンドといえばライブだよ。ライブをして直接演奏を聴いてもらうのが一番、自分たちのありのままの音楽を伝えることができると思うし。それにほら、私たち、ライブバンドだし!」
「勢いで勝手に設定を加えるな」
僕は眉根を寄せて言いながらも、心の内では彼女のその言葉を強く否定することはできなかった。それはきっと、昨日の経験のせいだ。アンサンブルというものの楽しさをこの身を持って味わってしまったからだろう。
しかし、そういう話ではない。僕が口を挟む理由は別にある。
「けど本当にライブをするとしたら……石川は、その……大丈夫なのか?」
「曲のことなら心配しないでよ。あっという間に出来上がると思うから! もう最近はインスピレーションがどんどん湧いてきちゃってさあ」
「いや、作曲のことじゃないんだけど……」
「え、じゃあ大丈夫ってなんのこと?」
ライブをするということは、もとい石川が大衆の前で演奏するということは、大きな問題が一つ立ちはだかることになる。僕はそのハードルを憂慮しているのだが、はたして彼女自身、それを分かっているのだろうか。
「……いや、やっぱりいいや」
気がかりではあるが、今は圭一が傍にいるため口にすることができなかった。
「なにそれ、気になるじゃん」
「まあ、また今度言うからさ」
「その含みのある言い方は僕も少し気になってしまうね」
圭一が微笑みながら口を挟んでくる。
「……圭一もバンドで活動していくなら、そのうち分かることになると思うぞ」
事実を曖昧な言葉にして返すと、圭一は「へえ」と言いながら石川の右手辺りを一瞥した。その目の動きに僕の心臓は僅かに跳ねる。やはり既に圭一は、薄布に包まれたその謎の答えに辿り着きつつあるのかもしれない。
「まあ、ともかくだ」と、僕は話題を逸らす。
「十一月っていうなら練習もかなり本腰を入れてやらないといけないな。あと半年弱しかないわけだし」
「だね、そのためにもチャチャっとベースを見つけよう」
石川がそう言った直後、廊下から人の気配を感じた。スリッパで床を踏む足音が聞こえる。そしてそれはゆっくりとこちらへ近づいてきていた。同時に気づいた僕たち三人は一度口を噤み、開けっ放しにした扉へと目を向ける。
間も無くそこに現れたのは一人の男性教師だった。
「なんだ、まだ生徒が残ってたのか」
白のカッターシャツと黒のスラックスに身を包んだ彼は僕たちを認め、少し意外そうに言った。
「こんにちは」と、僕はとりあえず軽く応じておく。
記憶が正しければ、彼はたしか国語科教員の一人。クラス担任ではなく、授業を受け持ってもらっているわけでもないので、話したことはほとんど無い。ゆえに相手も同じだろうが、名前すら覚えていない。だが、細く背の高い体型と彫りの深い顔を併せ持ったその風貌は、妙に印象に残っていた。
「笹崎先生、どうも」
圭一が涼やかな笑みを浮かべて口を開いた。
「おう、御堂か」と、教師も返す。どうやら互いに面識があるらしい。五組は何かしらの担当を受け持っているのだろう。
「どうかされましたか?」と、圭一が続けて尋ねる。
「ちょっと野暮用で教室棟に来てな。そしたら何か声が聞こえてきたから寄ってみただけだよ」
答えながら、用があった教室のものであろう鍵をポケットから指でつまんで取り出す。
「お前たちこそ放課後にどうしたんだ?」
そう言うと同時に、彼の視線は黒板へと向けられた。
まずい、と僕は思った。べつに放課後に教室を使用していることを咎められると考えたわけではない。ただ、大仰に黒板に題を書いているのを見られることが少し恥ずかしかったのだ。その丸っこい白色の文字は傍から見ればなんとも滑稽に映るだろう。失笑されるだろうな、と笹崎の顔を見る。
「おっ、おいおいなんだ、お前らバンド組んでるのか?」
しかし彼は、僕の予想とはずいぶん異なった反応を見せた。どこか愉快そうな語勢で相好を崩し、こちらへ近づいてくる。
「はい、先月組んだばっかですけど!」
「しかもまだメンバーが揃ってないですけどね」
なぜか誇らしげに言い放つ石川の後に僕は付け加えた。
「そうかそうか、青春って感じだな」と、笹崎は笑いながら続ける。
「しかし、メンバー集め真っ最中か。まあそれもバンドの醍醐味だけどな」
――おや?
「先生もバンドを組んでたことがあるんですか?」と、圭一が問う。僕も同じ質問を胸に抱いたところだった。笹崎の言葉は、なにやらバンドについての知見があるような雰囲気を醸し出している。
「ああ……昔な。中学の時にギター初めて、高校でバンド組んだんだ。最初はコピーばっかやってたけど、そのうちオリジナルの曲も作ったりして……まあそれなりに活動してたよ」
「先生、ギターだったんですね!」と、石川が目を輝かせる。
「でも『やってた』ってことは、今はもうバンド続けてないんですか?」
そう問われた笹崎は、何かに思いを巡らせるように一瞬だけ小さく唇を動かした後、落ち着いた声で答えた。
「大学出て少し経った頃に色々あって解散してな。それからは趣味でたまに弾いてるぐらいだ」
当時を懐古しているのか笹崎は少し目を細めて苦笑気味に話していた。その表情からは僅かな物寂しさが滲んでいるようにも見える。
高校から大学卒業後までとはアマチュアバンドにしてはかなり長く続いた、という印象だ。本人が言う通り、かなり熱心に活動していたのだろう。
「……さっき、まだバンドメンバーが揃ってないって言ってたけど」
ふと、笹崎が石川に向けて言った。
「残りの探しているパートってなんだ?」
「えっ」と、唐突な質問に石川は声を漏らしながらも答える。
「えっと、あとはベースだけですね。御堂くんがドラムで、私たち二人がギターなので」
「……そうか」
笹崎は呟いて、少しの間視線を窓外にずらす。しかしすぐに石川の方へと顔を戻して続けた。
「分かった。ま、頑張れよ。もしバンドのことで何か助けが必要だったらいつでも言ってくれ。ハコでライブやるっていうならチケットも買ってやるぞ」
笹崎は冗談めかして言い、そのまま「それじゃあ」と、軽く手を掲げて扉の方へ進んだ。僕たちは軽く会釈を返す。
笹崎の片足が扉の枠を跨いだその時だった。彼は足を止めて再びこちらを振り返る。
「……まあ、あんまり無責任なことは言えないけど」
そして、真剣な眼差しを僕たちに向けて言った。
「バンド組むんだったら、後先考えずやれるうちにやりたいことをやれよ。いつ何が起こるか、いつまで続けられるかなんて分からないんだから」
それに、と彼は続ける。
「楽しい時間なんてあっという間に過ぎて、あっという間に終わるもんだしな」
それだけを言い残し、笹崎は去っていった。
どうしてわざわざ一度足を止めてまで、そんな陳腐なことを伝えようとしたのかは分からない。
だがなぜか、決して簡単に聞き流していい言葉ではないと、強く感じた。




