ちびこと冬至の夜
ネタは、突然降ってきますね……。久々のちびこです。
「ありぇ?」
パチパチと瞬きをしても、目の前の景色は変わらなかった。
目を指でこすってみるが、やっぱり変わらない。
一面の雪景色。あたりには、雪を被った岩がぽつぽつ見えるだけで、人工の物は何も見当たらない。
月の綺麗な夜である。冴え冴えとした空気は、どんな小さな音も漏らすことがないだろう。
ザクザク。
雪の中を何かが進んでいる。
ザクザク。
それは、確実にこちらに近づいてきている。
「にゃんだ?」
ぐしゅっと鼻をすすり、音が聞こえてくる方へ目を向けた。
「やあ、こんばんは」
現れたのは、フランチェスカと同じ年頃と思われる紳士だった。耳当てのある暖かそうな帽子。もこっとした黒いコート。
「君がちびこ?」
「だりぇ?」
紳士の問いには答えず、ちびこは逆に質問を返した。
「僕は、エスクロ。調停公から君に手紙を預かっているんだけど、字は読めるかい?」
「よめゆよ」
紳士が差し出して来た手紙を受け取り、ちびこは手紙の封を切り、中身を確認する。
『メリーバスティース! 今年のバスティースプレゼントは、彼から受け取ってください。
調停公 ジェミナス・インドラ・バルバート』
「ちょーてーこー……なんだ、いっちゃのこちょか」
ちびこの友人であるインドラは、先月から故郷に戻っている。雪解けの頃には戻ってくるという話だったのだが……
「いっちゃ、わたちにプレジェント、よーいちてくえたの? わたちがちゅくったクッキー、とどいたのかにゃ?」
「クッキーが届いたのかどうか、僕は知らないな」
かすかに首を傾げ、エスクロは答える。
「しょっか。──クリョしゃんは、にゃにもの?」
「調停公の古い知り合いだ。さて、防寒対策は問題ないようだし、少し移動しようか」
「あい」
エスクロが言うように、ちびこの防寒対策はばっちりである。去年のバスティースに、マリエから貰った帽子とマフラー、手袋。青のコートと黒いブーツは、今日のパーティーで、スチュアートとフランチェスカからプレゼントされたものだ。
エスクロが手を差し出してくれたので、それを握り返し、えっちらおっちらと歩く。
それにしても、不思議な話だ。
今日は、村でバスティースパーティーをした。村の広場で、商会の中で、と場所を変えながらではあるけれど、1日中、パーティーだったのである。美味しい物をたくさん食べて、お腹はぽんぽこ。いっぱいはしゃいで大騒ぎしたから、いつベッドに入ったかもよく覚えていないくらいだ。
どうやって、ここに来たんだろう?
う~んと小さく唸りながら、様々な可能性を考えていると、エスクロの足が止まった。
「眠っているから、大きな声を出さないように」
「ん? なにがねんねちてゆの?」
「さあ、何だろうな」
あそこで寝てるよ、とエスクロが指をさす。
言われるまま、彼の指の先をたどれば、
「あ! ありぇはっ……!」
思わず大きな声を出しそうになり、慌ててちびこは両手で口を押えた。
丸まっているから一部は見えないものの、あれは青と蒼の縞模様の毛皮を持つ獣──
「シュチョリョームタイガー……!」
ちびこ、憧れの魔物がいるではないか!
「な、なでなでちてきてもいーい?」
「その度胸は買うけど、駄目だな。お腹のあたりを見てごらん。今、2頭の子供を育てているところなんだ」
「は! ほんちょだ……! おにゃかのとこ、こぶがふたちゅあゆ!」
「子供に悪さをしに来たと思われて、攻撃されたら困る。それに、君だって知らない人に起こされたら、腹が立つだろう?」
「しょーね。じゃんねん。がまんしゅゆ」
こうやって間近で見られたこと自体、奇跡に近い。
両手で自分の頬を包み、興奮を隠しきれずにほうっと息を吐いたその時だった。青虎の耳がピクピクと動き、やがて、母虎が目を開けたのである。
「おきちゃ! あわわわわ⁉ ど、どーちよう?! ねえ、どーちよう⁉」
「慌てすぎ。大丈夫だ」
右へ左へ、あわあわと顔を動かすちびこの頭の上に、エスクロの手が乗った。
彼が言うのであれば、大丈夫なのだろうと慌てるのをやめ、母虎の動きを観察する。
母虎の澄んだサファイア色の双眸がじっとこちらを、より正確に言うならば、ちびこを見ている。下手に動けなくなったちびこは、氷漬けにされた気分だ。
ほんのちょっとでも動いてはいけないような気がして、母虎をじっと見つめ返す。
「ひぅ。ちかぢゅいてきちゃ!」
大きい。のっしのっしと歩いて来る母虎の体高は、エスクロの顎よりちょっと下くらい。ちびこにしてみれば、見上げるほどに大きい生き物だ。あの前足で、ちょっと小突かれでもしたら、ちびこの小さな体など簡単に宙に舞うだろう。
とうとう目と鼻の先に母虎がやって来た。
こちらを攻撃しようという意思はなさそうに見えるが、油断は禁物だ。
全力で身を守る方法を考えていると、母虎が甘えるようにちびこの体に頭を摺り寄せて来て「お?」と一瞬油断したら、そのまますくい上げられた!
「おお?!」
ころころとちびこの体は、母虎の頭から背を転げていく。
「お~?」
何が起きたんだと、目をぱちくりさせれば、
「甘えさせてくれるらしいよ」
「ほえ? あ……! わたちシュチョリョームタイガーのせにゃかにのってゆ!」
何てことだ! 奇跡が起きた! 嬉しくて嬉しくて、転げ回りたいが、そんなことをすると背中から落ちてしまうので我慢。
後ろ向きだったので、うんしょうんしょと少しずつ体をずらして、向きを変える。その後は、母虎の首元へちょっとずつにじり寄った。
「うへへへ。なでなでしゃせてくえゆのね。ありやとー」
嬉しさのあまりだらしなくなった顔で、母虎の首筋を撫でていると、ガウ! と抗議の声が。同時に、後ろから何かがのしかかって来た。
「はぅ?! こんぢょはなに⁉」
「子供だよ。子供が、君の背中に乗ってるんだ」
「なんちょ⁉」
見えないけれど、それはそれで幸せだ。
「ほら、もう1頭。今日は冬至だからかな? やけにサービスがいいね」
エスクロが抱き上げた残りの1頭を、ちびこに渡してくれた。
野生の生き物の毛皮は、ごわごわしていることが多いのだが、この子たちは違う。
「ふわぁ! もふもふ!」
ちょっぴり感動していると、
「ああ、今夜のメインイベントが来た」
「ほえ?」
エスクロが夜空を見上げるのにつられ、ちびこも夜空を見上げる。
そうして気付いたのだが、どこからかシャンシャンシャンシャン、鈴の音が聞こえてくるのである。
「しゅじゅ?」
「静かに。気付かれると厄介だから」
彼が人差し指に手を当てたので、ちびこは頷き、ぎゅっと唇を結んだ。
鈴の音はだんだん近づいて来る。エスクロが見ているのは東の空だ。不思議に思いながら、ちびこも東の空を見ていると──
「ぁ……!」
東から西に向かって、空を駆ける一団があった。
先頭を行くのは、白馬にまたがった騎士。2人の騎士は、白銀の鎧を身に付けていた。その後ろをソリが進む。6頭の馬に引かせたソリを操るのは、10代前半の少女。白い帽子に、青いコート。暖かそうなブーツまで見えた。
「ありぇは……ニーニャ……?」
ニーニャが操るソリは氷でできているようで、そのソリに乗る美しい女性は、
「アリョーラしゃま……!」
ソリの隣には、冬の女王である彼女を護衛する騎士たちがずらりと並んでいる。その中に、一際立派な馬に乗った青年がいた。先頭を行く騎士とは違ってやや軽装ながら、彼も騎士だろう。──おそらくは、彼がジェネラル・フロスト。
「今日は冬至だから、彼らの行進が確実に見られる数少ない日なんだ」
「しょーなんだ……」
地上と上空。距離はそれなりにあって、普通なら何かが飛んでいるくらいにしか見えないだろうに、ちびこの目には女王とその一行の姿がはっきりと見えていた。
ソリを引く馬の立派な毛並み。彼らを操るニーニャの誇らしげな顔。ソリを囲む騎士たちの姿は、雄々しくも美しく、その格好良さに惚れ惚れしてしまう。
何より、ピカピカ光る美しい氷のソリに乗る女王の美貌。
ふと何か琴線に触れるものでもあったのか、女王の目が優し気に細められ、並走する将軍に何がしか話しかける。将軍は女王の言葉にうなずき、こちらも優し気に微笑みを浮かべていた。
女王と将軍、幸せそうな2人。
「しゅちぇきね~」
パレードを見つめるちびこの顔も、自然と笑顔になっていた。
女王のパレードの軌跡には、はっきりとしたオーロラが残っている。
幻想的に次々と色を変えていくオーロラを飾るのは、小さな星のきらめき。もしかしたら、雪の結晶がオーロラの光を反射して、星のように輝いているのかも知れない。
ちびこは、母虎の背中に乗って、子虎を1頭抱え、1頭を頭の上に乗せた状態で、瞬きをすることも忘れ、じっと冬の女王のパレードを見上げていた。
「んぉ……?」
ぱちっと目が覚めたら、一瞬、自分がどこにいるのか分からなかった。雪景色は消え、代わりにあるのは、見覚えのある天井。
のそのそと体を動かせば、隣にはチトセの背中があった。
「ありぇ?」
思わず首を傾げる。いつ、雪原からここへ戻ったのかしら?
「どうかなさいましたか?」
「おあよー。……ねえ、クリョしゃんはどこいっちゃの? シュチョリョームタイガーは?」
昨夜は、チトセのベッドに潜り込んで寝ることにした。それは覚えている。だから、隣に彼の背中があるのも分かる。
「クロ……とは? 昨夜は誰も訪れておりませんが?」
「ありぇ~?」
不思議なことは、続くものなのだろうか?
首を傾げつつも、ちびこはチトセを起こさないよう注意して、ベッドを抜け出した。
世話係が持って来てくれた運動着に着替え、ちびこは冬の早朝の寒さなどものともせずに、外へと飛び出し、日課の鍛錬に励む。
ちょっと上の空なのは、許してほしい。
鍛錬を終えると、ちびこは運動着から日常着に着替える。これもいつも通り。汗をかいているので、そのままにしておいたら、風邪をひく! と世話係が怒るのだ。
「ありぇ? にゃんだ、こえ」
着替えるために戻って来た自室。ベッドの上に何気なく目を向ければ、枕元に置かれた謎の物体を発見した。
ワインレッドの包装紙に包まれたそれは、金色のラインが入った緑色のリボンが斜め掛けされている。どう見ても、プレゼントである。しかし、子供向けのプレゼントには見えなかった。
世話係を見上げても、首を横に振るばかり。それどころか「侵入者でしょうか?」と怖い顔。自分たちの目をかいくぐるほどの猛者がいるとは──っ! 悔しそうにしている。
「ん~……あとまわちにちよう。まじゅは、あさごはんだ」
着替えを済ませ、プレゼントを持って、食堂へ向かう。
「おはよー!」
元気いっぱいに挨拶をすれば、3つの「おはよう」が返ってきた。チトセとマリエ、ローザの声である。
「あら、ちびちゃん。何を持っているの?」
「わかんにゃい。まくやのとこにおいてあっちゃの」
プレゼントは、けっこう重い。どっしりとしている。大きさもそこそこ。マリエにどーぞと渡したそれは、彼女からチトセ、ローザへと回り──
「危険物ではないみたいだね」
「保留だな。食べてからにしよう」
そういうことになった。
パーティーの残り物を中心としたメニューで朝食を済ませ、ちびこたちはリビングに移動した。
バスティースツリーの他にもタペストリーやリースなどが飾られ、リビングはとても華やかである。
赤々と火が燃える暖炉の前に陣取ったちびこは、さっそくリボンを外し、包装紙をはがした。中から出て来たのは──
「まもにょじゅかん!」
「うっわ、これひょっとして最新の──?」
立派な化粧箱に入っていたのは、魔物図鑑だった。大人から子供まで幅広い世代に人気の大ベストセラーである。この図鑑の類似品や、粗悪なコピー品も多く出回っているという話も聞く。
この図鑑、文章は子供にも分かりやすく、それでいて魔物の絵の精巧さは芸術的。しかも、どの部位がどういう素材になるか、という冒険者向けの解説までついているのだ。
この解説を読んで、自分が冒険者になったら~、という想像を楽しむ子供も多いという。
その内容の充実ぶりから、ルドラッシュ村では、必ず読め! と言われる品だ。
ちなみにちびこが持っているポケット魔物図鑑は、絵を描くのが得意な村人が書き写した物である。
「うわあ! しゅごい、しゅごい!」
大興奮したちびこは、化粧箱から図鑑を取り出し、ページをめくる。
「ん? ちびこ、何か落ちたぞ」
「お?」
ローザが拾ってくれたのは、ポートレートだった。
こちらでは、とんとお目にかからない代物だが、魔族側では浸透しているとシャクラから聞いている。
問題は、その被写体であった。
「これは……っ!」
「シュチョリョームタイガーとわたち!」
「は? え? どうなってんの? 何、これ」
ポートレートは、上から子虎、ちびこ、子虎、親虎のトーテムポールが写っていたのである。また、流麗なペン運びで「メリーバスティース」と書かれてあった。
さらに驚くことがもう1つ。
図鑑の奥付に乗っていた著者の近影が、エスクロとそっくりだったのだ。
別作品のあの人と共演。ちょっと早いかなとも悩んだんですが、1年も温められない(笑