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8杯目 チーズと、夜の小さな秘密

『Bar風花-kazahana-』

チーズと、夜の小さな秘密


※独立した短編エピソードです

※バー・チーズ・お酒・静かな会話・少しの照れが好きな方向け

※大きな展開はありません。ゆっくり味わう夜をお届けします


シャルトリューズのソーダ割りを飲み進めていると、美和さんが柔らかく訊ねてきた。


「チーズはお好きですか?」


ブルーチーズが好きだと答えた瞬間、彼女の目が輝き、カウンターの奥から大きな木のまな板が登場する。


ブリ・ド・モー、フルムダンベール、ミモレット、そしてスプーンに乗った強烈なエポワス・ド・ブルゴーニュ。

焼きたてバゲットとドライフルーツを添えて、まるで宝石箱のような大皿が目の前に。


「えっちなこと、考えてますね…?」


視線をチーズから彼女の胸元に移してしまった彼に、美和さんはジト目で可愛く睨む。


でもすぐにくすっと笑って許してくれる。

そして、チーズの説明をしながら、嬉しそうに微笑む。


Bar風花へ、ようこそ。

今夜は、チーズとハーブの香りと、少しだけ照れくさい距離感を一緒に味わいませんか。

第1章:チーズという名の誘惑

 「チーズはお好きですか?」

 シャルトリューズのソーダ割りを三分の一ほど飲み進めたところで、美和さんがふと、柔らかな声で訊ねてきた。彼が「特にブルーチーズが好きですね」と答えると、彼女の目がパッと輝きを増す。

 「チーズがお好きなら、ちょうどいいタイミングです♪ 食べ頃のものが揃ってるんですよ」

 そう言って美和さんは、カウンターの奥から大きな木のまな板を抱えて戻ってきた。布をそっとめくると、色とりどりのチーズがブロックのまま、無造作かつ贅沢に並んでいる。

 「すごい……! これだけの種類を揃えてる店、街中だってなかなか無いですよ」

 彼が思わず驚きの声を上げると、美和さんは腰に手を当て、胸を張って得意げに笑った。

 「でしょう? 私が自信を持って厳選したチーズですから、どれも美味しいんですよ!」

 その瞬間、不意に視線が泳いだ。きっちりと着こなしたバーコートのおかげで普段は意識させなかったが、胸を張った姿勢により、彼女の豊かな曲線の存在感が際立つ。

 (……美和さん、実はかなり胸が大きいんだな……)

 彼の視線がチーズではなく、ついその膨らみに吸い寄せられてしまう。美和さんはすぐに察したらしい。両腕で胸元を軽くガードしながら、ジト目で彼を睨みつけた。

 「……えっちなこと、考えてますね……? 駄目ですよぉ……」

 「っ! す、すみませんでした!」

 慌てて全力で頭を下げると、美和さんはくすっと小さく笑って許してくれた。

 「ふふっ、冗談ですよ。……まぁ、ちょっとだけ本気だったのかもしれませんけど」

 彼女はそう呟きながら、チーズナイフを手に取る。一つ一つ表面を丁寧に削いで味見をし、満足そうに小さく頷くと、萩焼の大きな白い皿に盛り付けを始めた。ちょうどその頃、オーブンからパンの香ばしい匂いが漂ってくる。温かいバゲットと濃厚なチーズの香りが混じり合い、店内にたまらない幸福感が満ちていった。

 

 

 

第2章:神様の足の匂い

 「お待たせしました……どうぞ」

 美和さんは、まるで大切な贈り物でも渡すように大皿を差し出した。

 「こちらは左から順に、ブリ・ド・モーとフルムダンベール、ミモレット・フランセーズ……そしてスプーンに乗っているのがエポワス・ド・ブルゴーニュです。地元のパン屋さんの焼きたてバゲットと、自家製のドライフルーツも添えました♪」

 それは小さな宝石箱のようだった。彼は真っ先に大好きなブルーチーズ、フルムダンベールに手を伸ばす。一口含むと、しっとりとなめらかな舌触りとともに、ヘーゼルナッツのような香ばしさと穏やかなクリーミーさが口内に広がった。青カビの刺激は控えめで、むしろナッツのようなほのかな甘みが後を引く。

 「ロックフォールやスティルトンも置いてるんですけど、今日は比較的癖の少ないフルムダンベールにしてみました♪ ……あ、スプーンに乗ってるのがエポワスです」

 美和さんは楽しげに説明を続ける。エポワスはマールという地元の蒸留酒を混ぜた塩水で洗って熟成させる、ブルゴーニュ地方のウォッシュチーズだ。

 「熟成が進むと、中身がスプーンですくえるほどトロトロになるんです」

 「だからこんなに強烈な香りがするんですね。フランスでは『神様のおみ足』って例えられるくらいですもん……。神様の足の匂いって、ちょっと失礼じゃないですか! ……あ、私の足は大丈夫ですからね!」

 「……?」

 突然、美和さんがぷりぷりと頬を膨らませて怒り出したので、彼は呆気にとられ、思わずグラスを止めた。

 (神様に知り合いでもいるの……? なんでそこでキレてるんだ……?)

 一人でむくれている彼女の様子があまりに可愛らしく、彼は笑いをこらえるのに必死だった。視線に気づいた美和さんは、はっと我に返って頬を赤らめ、軽く咳払いをする。

 「……こほん。でもね、そんな強烈な臭いは表皮だけなんです。中身はミルクの甘さと濃厚なコクが合わさって、本当に素晴らしい味わいになるんですよ。ナポレオンが愛したと言われる伝説のチーズで、かつては修道院で作られていたんです」

 彼は焼いたバゲットにエポワスを塗り、頬張った。強烈な発酵臭が鼻をくすぐるのに、味わいは驚くほど深く、まろやかだ。塩味がアクセントとなり、まさに秘密を打ち明けられたような贅沢な気分に浸る。

 

 

 

第3章:チーズの王と琥珀の余韻

 彼はドライフルーツで口を清め、シャルトリューズを一口飲んだ。ハーブの清涼感がチーズの濃厚な余韻と重なり、至福の感覚が体を巡る。

 「左端のブリ・ド・モーもおすすめですよ。AOP認定の王道チーズで、熟成が進むと外側からトロトロに溶けていくんです。味わいはバターやナッツ、生クリームのような豊かなコクがあって……ウィーン会議では『チーズの王』に選ばれたとか」

 美和さんの語るチーズの歴史は、さながら物語のようだ。彼はブリ・ド・モーの洗練された味わいに舌鼓を打ち、続いて鮮やかなオレンジのミモレットを手に取る。12ヶ月以上熟成されたそれは、キャラメルのような旨味が強く、噛みしめるほどに力強い余韻が染み出した。

 カウンターの向こうで、美和さんは嬉しそうに、誇らしげに微笑んでいる。

 「どうですか……? 美味しかったら、私、すごく嬉しいんですけど……」

 彼女の声は少しだけ照れくさそうで、でも心から楽しそうだった。彼はグラスを掲げ、静かに答える。

 「……最高です。この時間、この味、そして美和さん。全部」

 美和さんは一瞬目を丸くして、それからふわりと笑った。バーの柔らかな灯りが二人の間に温かな影を落とす。至福の夜は、まだ始まったばかりだった。


読んでくださってありがとうございます。


この話は、「疲れた夜に、美味しいチーズと一杯と、優しいやりとりがあればそれだけで十分」という、シンプルな幸せを描きたかっただけの一場面です。


美和さんが胸を張って自慢げにチーズを並べる姿、「神様のおみ足」発言でぷりぷり怒る可愛さ、そして「全部、ゆっくり味わってくださいね」という柔らかな声。


チーズの濃厚なコクと、シャルトリューズのハーブの余韻が混ざって、心までじんわり温かくなるような、そんな夜を誰かの記憶に残せていたら嬉しいです。


またふらりとカウンターに寄ってくださいね。

次はどんなチーズが出てくるのか、私もまだわかりません。


それでは、今夜も良い夜を。


天照(Bar風花)

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