【Bar風花】第二章 お姉様襲来~岩のような愛と、白い顔の戦慄~
【Bar風花】第二章 お姉様襲来~岩のような愛と、白い顔の戦慄~
※本編とは完全に独立した、ゆるふわ日常回です。
※戦闘も恋愛もありません。ただ、美和のお姉様が降臨し、天ちゃんが真っ白になるだけの話。
皇グループの「動かざる実力者」――美和の姉・磐長千歳が、
Bar風花に突然現れた。
岩のように重く、冷たく、でも底知れぬ妹愛を秘めた視線。
40代の「あがき」と若作りを一瞬で抉られ、魂が凍りつく天ちゃん。
カウンターの向こうで静かに微笑む美和。
お姉様襲来の、ただ一夜の物語です。
『Bar 風花』の重厚なオーク材の扉が開くとき、通常であればカランと乾いた鈴の音が響き、静謐な夜の始まりを告げる。だが、その夜ばかりは違った。
扉が開いた瞬間、店内の空気は物理的な質量を持ったかのように重くなり、カウンターに座っていた櫻庭天の背筋に、氷柱を突き立てられたような戦慄が走った。
「……天様。緊急連絡です。お姉様が、すぐそこまで」
手元のスマートフォンに届いた里美からのメッセージを読み終える暇もなかった。
天が「逃げる」という選択肢を脳内で検索し終える前に、その女性は音もなく、しかし山が動くような威圧感とともに店内に足を踏み入れていた。
「あら。まだいたのね、この猿は」
低く、深く、地層の奥底から響くような声。
そこにいたのは、美和の姉――磐長千歳。
皇グループの不動産・鉱山部門を掌握し、「動かざる実力者」として畏怖される女性。
美和の華やかさとは対照的に、流行を一切拒絶したような黒曜石の如き漆黒の和服を纏い、その瞳は磨き上げられた岩盤のように冷たく、すべてを見透かしていた。
天は反射的に、愛用の一枚板のカウンターの端、一番奥のリザーブ席で身を縮めた。
ルポライターとして修羅場を潜ってきた自負も、40代としての渋みを追求した「若作り」のプライドも、彼女の前では木の葉のように吹き飛んでしまう。
「……お、お姉様。ご無沙汰しております」
「誰がお姉様よ。馴れ馴れしい。貴方にそう呼ばれる筋合いは、数千年前に断ったはずだけれど?」
磐長は天の挨拶を冷ややかに一蹴すると、迷いのない足取りでカウンターの中央に座った。
彼女が腰を下ろした瞬間、黒革のローチェアーが心なしか沈み込んだように見えた。
カウンターの中で、美和が静かに、しかしどこか緊張の混じった面持ちで姉に向き合う。
「お姉様、いらっしゃいませ。……今夜は何を?」
「マッカランを。30年。ストレートで。……余計な水はいらないわ。この店に流れる軟弱な空気を、少しは中和しなくてはね」
美和のステアは、いつになく慎重だった。
氷とクリスタルが触れ合う音が、静まり返った店内に鋭く響く。
琥珀色の液体がグラスに注がれる間、磐長は一度も視線を逸らさず、ただ妹の所作を見つめていた。
その横顔には、冷徹な仮面の下に、妹を想う「岩のような深い愛」が、鈍い光を放って潜んでいることを、天は知っている。
だからこそ、逃げ出したいほど怖いのに、席を立つことができない。
千歳はグラスを手に取ると、一口含み、そのまま天の方へと視線を流した。
「……少し、老けたわね」
天の心臓が、ドクンと跳ねた。
40代。
人間としての時間は限られている。
美和の隣に立つために、スキンケアから体型維持まで、自分なりに「あがき」続けてきた。
その最も繊細な部分を、彼女は一瞬で抉ってみせた。
「人間なんて儚いものね。花のように散るのがお望みだったのでしょう? なのに、今の貴方はどうかしら。その醜い『若作り』は、妹の不変に追いつこうとする無駄な足掻きにしか見えないわ」
「……お姉様、言い過ぎですよ」
美和が静かに割って入る。
その瞳には、凛としたオーナーバーテンダーの強さが宿っていた。
「天ちゃんは、私のためにあがいてくれているんです。その有限の時間を、私に捧げてくれている。それは、お姉様が愛する『永遠』と同じくらい、尊いものだと私は思っています」
千歳は鼻で笑い、最後の一口を飲み干した。
「ふん。相変わらず甘いわね。……いいわ、精々その短い命を、咲耶のために使い果たすことね。もし、貴方が先に逝って妹を泣かせるようなことがあれば……その時は、貴方の魂ごと、私の岩盤の下に永久に埋めてあげるわ」
それだけ言い残すと、彼女は代金を置くこともせず(皇グループの決済は里美が後で行うのが常だ)、嵐が去るように店を後にした。
扉が閉まった瞬間、天の全身から力が抜け、カウンターに突っ伏した。
「……死ぬかと思った……。美和さん、僕、もう真っ白だよ……」
「ふふ、天ちゃん、お疲れ様でした。お姉様、本当は天ちゃんがタウン誌で頑張っていること、少しだけ認めているんですよ? 『あの男、少しは骨のあることを書くようになったわね』って、お祖母様に話していたそうですから」
美和がカウンターを回り込み、天の隣に座る。
彼女の体温と、微かな桜の香りが、凍りついていた天の心をゆっくりと解かしていく。
「……本当? あの人の褒め言葉は、どうしてあんなに重いんだろう」
「それがお姉様なんです。……さあ、天ちゃん。今夜はもうお店を閉めて、おうちに帰りましょう? お昼から仕込んでおいた『あご出汁のおでん』、もう味が染みているはずですよ。天ちゃんの大好きな栗きんとんも、デザートに用意してありますから」
美和は、天の少し白髪の混じった髪を優しく撫でた。
「お姉様が何を言おうと、私は今の天ちゃんが一番好きです。40代の天ちゃんも、50代の天ちゃんも、しわくちゃになった天ちゃんも……全部、私が独占するんですから。ね、分かっていますか?」
「……うん。分かってるよ。……お姉ちゃん、ありがとう」
天は、美和の温かな手に自分の手を重ねた。
千歳の言う通り、自分は老いていく。
寿命という名の「終着点」は確実に近づいている。
けれど、美和が作るおでんの湯気、栗きんとんの甘さ、そして自分を「天ちゃん」と呼ぶ彼女の声がある限り、その「あがき」は、世界で最も幸せな闘いなのだ。
翌朝、天が洗面所でいつにも増して丁寧に美顔パックを貼っている姿を見て、美和が「天ちゃん、やっぱり気にしてるじゃないですか」とクスクス笑い転げるまで、櫻庭家の夜は、穏やかに、そして贅沢に更けていった。
あとがき
お姉様襲来、いかがでしたか。
岩のような重い愛と、白い顔になるほどの戦慄。
でもその奥に、妹を想う千歳さんの優しさと、天ちゃんを「今このまま」愛してくれる美和さんの言葉が詰まっています。
Bar風花は、怖い人だって、優しい人だって、全部受け止めてしまう場所なんです。
読みに来てくださってありがとうございました。
また、カウンターの片隅でゆるくお待ちしています。
天照(Bar風花)




