【Bar風花 閑話】美和さん宅でお花見~桜と日向夏の春宴〜
【Bar風花】第二章 美和さん宅でお花見~桜と日向夏の春宴〜
※本編とは独立した、完全なる春の日常回です。
※戦闘も恋愛もありません。ただ、満開の桜の下で繰り広げられる、家族の温かな宴と一杯のカクテルだけ。
皇グループの頂点に立つお祖母様を招いた、美和さん宅の庭でのお花見。
そこへ突然、ライムグリーンのNinja 250で現れた天の実子・日向海里。
桜シロップと日向夏の爽やかなヴァージンスカッシュ、そして名所を冠した「吉野」の一杯が、世代を超えた絆と、静かな春の予感を彩ります。
風花町の春は、暴力的なまでの美しさに満ちている。
神社の裏手に位置する櫻庭家の庭では、巨大な枝垂れ桜が今まさに満開を迎え、薄紅色の花弁が天から降り注ぐ光を透過して、空間全体を淡い夢のような色に染め上げていた。
緋毛氈を敷いた縁側に腰を下ろすのは、皇グループの頂点に立つ「お祖母様」。
その傍らには、鉄の仮面を被ったかのように隙のない秘書官、天野里美が控えている。
「……良い風ですね、お祖母様」
天が、手元の原稿を置いて穏やかに微笑みかけた。
美和は、氷を湛えたワインクーラーから一本のボトルを抜き出す。
淡いピンクの泡が、クリスタルグラスの中で桜の光を反射して輝き始めた。
【静寂を切り裂くライムグリーン】
その静謐な聖域に、異質な音が飛び込んできた。
遠くから近づく、高回転型のパラレルツインエンジンが奏でる軽快な排気音。
「……珍しい客人が来たようですね」
お祖母様が、冷ややかな氷を湛えた瞳を庭の入り口へと向けた。
ほどなくして、庭の木戸の向こう側に、鮮やかなライムグリーンのKawasaki Ninja 250が停まった。
ヘルメットを脱ぎ、慣れた手つきでバイクを降りた少年が、こちらへ向かって歩いてくる。
天の面影を色濃く残しながらも、より涼やかで、瑞々しい若葉のような瑞々しさを纏った少年。
天の実子、日向海里だった。
「……突然お邪魔して、すみません。父さんから今日はこちらでお花見をしていると聞いたので」
海里は庭の入り口で足を止めると、手に持ったヘルメットを脇に抱え、深く一礼した。
お祖母様の視線は、鋭く、そして冷たい。
彼女にとって、離れて暮らす天の息子は、未知の、そして秩序を乱す可能性のある不確定要素に過ぎなかった。
「天。……これが、例の子ですか」
お祖母様の短く、拒絶に近い言葉が、満開の桜の空気を一瞬で凍らせる。
しかし、海里は怯むことはなかった。
彼は真っ直ぐに歩み寄り、お祖母様の前で背筋を伸ばした。
「初めまして。櫻庭天の息子、日向海里と申します。お祖母様とお呼びしてよろしいでしょうか。父がいつも、大変お世話になっております」
完璧な角度の礼。
そして、淀みのない、清廉な声。
海里は、母方の姓である「日向」を名乗りながらも、その佇まいには隠しようのない気品が宿っていた。
その瞬間。
お祖母様の隣で、海里の姿を「排除すべき対象」として観察していた里美の時が、止まった。
【静かなる一目惚れと祝祭】
里美の視線が、海里の横顔に釘付けになる。
天の優しさと、少年特有の真っ直ぐな意志が同居したその瞳。
里美は表情を一切変えず、完璧な秘書としてのポーカーフェイスを維持していたが、グラスを持つ指先が、微かな振動を刻んでいた。
(……なんて、綺麗な)
彼女の心臓が、一度だけ、鐘を突いたように大きく跳ねる。
しかし、彼女はただ、音もなく海里のために飲み物を注ぐ準備を始めた。
美和が、この緊張感と高揚を包み込むように、新しいグラスを用意した。
「ようこそ海里くん。あなたには、今朝摘んだばかりの日向夏のスカッシュをお作りしますね」
『桜と日向夏のヴァージンスカッシュ』
自家製の桜シロップの淡いピンクに、日向夏の爽やかな黄色が溶け合う。
グラスの底には、翡翠色のミントの葉が沈んでいる。
「ほう……日向、ですか。太陽へ向かう名を持つのですね」
お祖母様の声から、先ほどまでの刺々しさが消えていた。
海里が持参した、風花町の老舗の和菓子――「お祖母様がお好きだと、父から伺いましたので」という言葉と共に添えられた気遣いに、最高神の眉間が緩んでいく。
「礼儀正しい子ですね。あなたは良い育てられ方をしたようだ」
「……恐縮です、お祖母様」
天は、自分の息子が最高神に「気に入られた」ことを悟り、安堵と共に誇らしげな微笑みを浮かべた。
「海里。こちらへ来なさい。わたくしの隣で、この桜の美しさをめでなさい」
「はい。喜んで」
海里がお祖母様の隣に座ると、庭の空気は、これまでの「静寂な聖域」から、賑やかで温かな「家族の宴」へと書き換えられていった。
【名所を冠した一献】
海里を隣に招き入れ、満足げに目を細めるお祖母様。
その傍らで、美和は静かに道具を整え始めた。
「お祖母様、そして里美さん。折角の花見ですから、この季節に最も相応しい一杯を振る舞わせていただきますね」
取り出したのは、凍りつくほどに冷やされたウォッカ。そして、澄み切ったキルシュ・ワッサー。
「お作りするのは、カクテル『吉野(Yoshino)』。奈良の桜の名所を冠した、非常にドライで、かつ気高い味わいの一杯です」
美和はあらかじめ熱湯で塩抜きしておいた桜花の塩漬けを、丁寧にグラスの底に置く。
熱湯を通すことで、花びらが春の陽光を浴びたように美しく開くのだ。
シェイカーの中で、ウォッカ、キルシュ、そして微量のグリーンティー・リキュールが混ざり合う。
鋭いシェイキングの音が、満開の桜の木々に吸い込まれていった。
「お待たせいたしました。吉野でございます」
差し出されたグラスの中で、薄緑色の液体に浸った桜の花が一輪、静かに咲いていた。
お祖母様が一口、その端麗な酒精を口に含む。
「……素晴らしい。キルシュの種子の香りが、まるで桜の樹そのものを体現しているようですね。そしてこのドライな後味、まさに吉野の山を吹き抜ける風のようです」
「ありがとうございます。かつては日本酒をベースに考案されたものですが、この鋭い切れ味こそが、桜の潔さを生みますね」
里美もまた、差し出されたグラスを恭しく受け取った。
海里を意識するあまり、喉を通り過ぎるアルコールの熱さが、いつも以上に胸に深く染み渡る。
「……美味しいです。美和様」
里美は、海里に悟られぬよう、より一層背筋を伸ばした。
しかし、彼女の瞳に映る桜の花は、目の前の少年の笑顔と重なり、淡い桃色に滲んで見えた。
【春の余韻】
満開の桜の下、世代を超えた笑い声が響く。
お祖母様は、海里の屈託のない、しかし思慮深い言葉の一つひとつに、満足げに頷いている。
美和が注ぐポメリー・ブリュット・ロゼの泡が、桜の花びらと共にグラスの中で踊っている。
天の隣で、狐白が海里の匂いを嗅ぎ、懐かしそうに尾を振った。
風花町の春の日は、黄金色の夕暮れへとゆっくりと溶けていく。
海里が乗ってきたライムグリーンのNinja 250が、庭の隅で静かにその時を待っていた。
里美は、海里が飲み干したグラスを片付ける際、その縁に残った微かな桜の香りを感じ、そっと目を伏せた。
完璧な秘書官としての日常。
その平穏な水面に、今、大きな波紋が広がっていることを、彼女だけが知っていた。
「美和さん、とっても美味しいです。これ、僕の名字と同じ味がしますね」
海里の無邪気な言葉に、美和は異色瞳を優しく細めた。
「ええ。日向夏の爽やかさと、桜の優しさは、海里くんにぴったりだと思っておりますね」
桜吹雪が、宴の終わりを告げるように、さらに激しく舞い上がる。
最高神をも虜にした少年の訪れは、風花町に、新しい愛の物語の予感と、忘れがたい春の記憶を刻みつけていった。
あとがき
『美和さん宅でお花見』をお読みいただきありがとうございます。
満開の枝垂れ桜の下、お祖母様と海里くんの初めての対面、そして秘書官・里美さんの胸にそっと広がる小さな波紋……そんな穏やかで優しい春の一日を、ありのままに書きました。
桜と柑橘の香りに包まれた、Bar風花らしいほんのり甘い時間を、少しでも味わっていただけたら嬉しいです。
またいつか、別のグラスで。
天照(Bar風花)




