【Bar風花】第二章 深紅の韋駄天と白州ハイボール 〜十輪の地鳴りが止む夜、黄金色の止まり木にて〜
【前書き】
※ 本話は『Bar風花』外伝、一条山整備プロジェクトと臼井建材にまつわる一幕です。
※ 実在する車両・バイクの機構描写、ならびに土木施工の専門用語を含みます。
※ 激しい現場の土埃と、夜の静謐なカウンターのコントラストをお楽しみください。
秋の陽だまりが残る山肌に、低く唸るディーゼルの咆哮。
泥にまみれて未来をならす若い手と、その上へ惜しみなく流し込まれる深紅の誇り。
西日が落ち、鉄の熱が冷める頃、止まり木には柔らかな氷の音が響きます。
どうぞ、そっとカウンターの向こう側を覗いてください。
第一章:一条山の赤韋駄天
秋晴れの風が一条山の尾根を柔らかくなでていく。
湿った赤土のにおいと日なたの草いきれが混じり合う。
プレハブ小屋のトタン屋根が昼前のぬくもりに時折パキンと乾いた熱膨張の音を立てていた。
朝の八時から三人娘は泥にまみれっぱなしだった。
葵はユンボで掘り起こされた頑固な木の根をチェーンソーで切り刻む。
まひろと遥花は基礎枠の足元を固めて入念に土をさらっていた。
「……ふぅ。よし、型枠の通り、バチッと出たっスね」
「うん。水糸との通りもゼロ、控えの建ちもバチバチさね。あたしたち、今週は骨折れるほど働いたよ」
「頑張ったどころじゃないっスよまひろ先輩!昨日だって日暮れまで伐採木の玉切りやって、うちの背筋は全身バッキバキっス。山親方も橘事務所の緊急案件で午前中はおらんし、午後の生コン打ち込みまで、ほんの十本——十分だけ休んだってバチは当たらんはずっスよ!」
月に一度あるかないかの奇跡的なエアポケットだった。
過酷なノルマをやり遂げた達成感が警戒心を数ミリだけ緩めていた。
ピンクのサンバーのあおりを倒して三人は並んで腰掛ける。
葵が保冷バッグからソーダ味のアイスバーを引っ張り出した。
封をピリッと破り青い氷をくわえて足をぶらつかせた瞬間だった。
——ズォォォォォン。
山の底が微かに鳴動した。
耳朶を叩く音ではない。
足裏の地面から長靴を伝って骨を震わせる重厚な低周波だった。
超重量のピストンが上下する鉄の脈動。
葵の口からアイスバーが膝へ落ちた。
「……ま、まひろ先輩」
「……なんだい、葵」
「いまの地響き、なに……?」
「……大型のディーゼルだねぇ。それも、排気量十リッター級の腹に響く図太い直6の地鳴りさ……」
未舗装の登坂路の奥から秋光を跳ね返す鮮烈な色彩がぬっと頭を覗かせた。
現場で見慣れた風花生コンの青と白のキャビンではない。
山肌の深い緑を切り裂く濡れたように艶めく深紅だった。
「あ」
深紅のキャビンが豪快に砂煙を巻き上げてストレートを駆け上がってくる。
メッキグリルに誇らしげに掲げられたいすゞのエンブレム。
白の遮熱塗装ドラムが地鳴りのような音を立てて低速回転していた。
「あ、赤ボディっす!ぎゃ〜〜〜〜ッ!!臼井の姉御っす〜〜〜〜ッ!!」
「なんでぇぇぇ!?ウチら今週いっぱいいっぱい真面目にやったのに!?」
「よりによって、アイスの袋開けて一口かじったこの瞬間に来るんスかぁぁぁ!?」
「神様、タイミング悪すぎっスよぉぉぉ!!」
阿鼻叫喚のスクランブル発進だった。
スコップを拾いアイスのゴミをポケットにねじ込む。
泥だらけの長靴をもつれさせながら基礎枠の前へと走った。
ズドドドドドドッ!
狭隘な未舗装路を深紅のギガが吸い込まれるようにバックさせていく。
基礎の型枠まであと三十センチ。
十輪の巨体がピタリと静止した。
ホイールパークのノブが押し込まれる。
プシュウウウーーッ!!
大気を震わせるエアの排気音が木魂した。
ドアがバカンと開き安全靴が土煙を立てて着地する。
汚れのない白ヘルメットの下から覗く涼しげな目元。
二の腕までまくった深紅のツナギがしなやかな筋肉を包んでいる。
指先の赤マルから紫煙がすっと秋風に流れた。
「……アンタらさ」
「アタシがこの山を登ってくるたびに、なんで毎回ピンポイントでアイスくわえてケツ放り出してんだい?仕事はどうした?」
「ち、違うんス!誤解っス美鈴先輩!ウチら朝八時から型枠の最後の通り出して、足元締め固めて、今さっき終わって本当に十秒前にアイスの袋を開けたところなんスよぉぉぉ!!」
「お、お疲れ様っス、美鈴総長!!!」
「誰が総長だって?アタシはとっくに引退した臼井建材の専務だよ」
美鈴は携帯灰皿に吸い殻をねじ込むとツナギから現場伝票を引き抜いた。
視線はすでに掘削された基礎底と狂いのない型枠をスキャンしている。
「……ふん。まあ、逃げずにツラは綺麗に出してるね」
「だが、油断大敵だよ。結社長から朝イチで入電さ。『うちの子たち、朝から根を詰めて頑張りすぎて昼前にガス欠になりそうですさかい、早強セメント効かせた特注配合で一発打設してやっておくれやす』ってね。プラントのバッチャーで私が直々に骨材と水を計量して、一条山の赤土に合わせて極上の配合で練り上げてきてやったよ」
「じ、自らバッチャープラントまで回してくださったんスか……!」
「当たり前だろ。アンタらが真面目に組んだ型枠に、半端な生コン流して冬の霜柱でクラックでも入ってみな。一条山農林とウチの看板に泥塗る気かい?……ほら葵!ボケッと突っ立ってないでシュート受ける!スランプ十八、空気量四・五パーセント、粗骨材二十ミリ!打ち込み開始から四十分以内が勝負だよ。テキパキ均さないと、アンタらのケツにバイブレーター突っ込むよ!!」
「ヒエッ……!!均すっス!死ぬ気で均すっスよぉぉぉ!!」
ドラムが逆回転を始めた。
青みがかった極上の生コンクリートがドロリと吐き出される。
冷たいアルカリのにおいが立ち込めた。
葵が一輪車で絶え間なく生コンを送り込む。
まひろが足場を固めてバイブレーターでジャンカを許さず気泡を抜く。
遥花が木ゴテを巧みに操り表面のペーストを均等に伏せ込んでいった。
プレハブの脇にいつの間にか小さな影が立っていた。
朱色の着物に小さなピンクのヘルメットを被った山神様のかみちゃんだ。
型枠を満たす生コンを見つめ小さな右手を鋭く突き出した。
(  ̄ v  ̄ )「シュッ!」
「おう、かみちゃん現場監督。今日も無事故無災害で頼むよ」
第二章:奥山への新風と二輪の咆哮
「——ふふ、相変わらず美鈴さんの生コンは、惚れ惚れするほど肌が綺麗ですえ」
白×黒のルーミーカスタムから一条結がふわりと降りてきた。
手には京都の老舗の包み紙を提げている。
外した手のひらを打設直後の表面にかざし水和熱を確かめた。
「水セメント比と骨材の噛み合わせ、完璧ですねぇ。ブリーディングもほとんど出てませんえ。これなら冬に氷点下まで冷え込んでも、ヘアクラックひとつ入りませんねぇ」
「当たり前だよ。誰が配合組んだと思ってんだい」
美鈴がヘルメットを脱ぐと黄金色の長い髪が背中に広がった。
首筋の汗をタオルで拭いながら結の隣の丸太に腰を下ろす。
「それにしても社長、次の奥山の開墾路、図面見せてもらったけどさ。あの沢沿いのヘアピン、ギガじゃどう足掻いてもケツを振れねぇよ。ホイールベース長すぎるし、奥の杉の枝をドラムで薙ぎ倒しちまう」
「ええ、そこが悩みどころでして。ユンボで道を広げるにも、水脈を傷つけたくありませんし……」
結は大福をかみちゃんに手渡し二人は微笑み合った。
美鈴はジッポーで赤マルに火をつけ紫煙を空へ逃がす。
「だから、買っちゃったよ」
「……はい?」
「来週納車だよ。一条山専用の、いすゞ・フォワードの4t。もちろんキャビンはアタシの赤、ドラムは白の遮熱塗装。ついでに砕石運ぶための4tダンプも赤キャビンで一台抑えた」
「よ、4t車ぁ!?美鈴先輩、わざわざこの山のためだけに新車下ろしたんスか!?」
「当たり前だろ。仕事の幅を狭めてどうすんだい。あの4tなら、ショートホイールベースで高床4WDだからね。奥の泥濘地だろうが急勾配だろうが、生コンもC-40もアタシが直接ねじ込んでやるよ」
「これで、奥山でサボ……いや、息抜きしようとしても無駄だってことさ。赤いキャビンが見えたら、一秒で一輪車用意しな」
「ぎゃあああッ!山奥まで追いかけてくる気満々っスよぉぉぉ!!」
「まぁまぁ、美鈴さんのおかげで一条山の道は百年保ちますえ」
プラントへ戻った美鈴はギガのホッパーとドラム内を高圧洗浄した。
テストピースのシリンダーを湿潤棚へと丁寧に並べる。
明朝に脱型し二十度の水槽へ沈めるまでが彼女の仕事だった。
事務所の奥にある専用ガレージのシャッターを押し上げる。
ベレット1600GTRと初代ピアッツァが静かに佇んでいた。
その奥に鈍い砂型鋳造のクランクケースを持つCB750FOURが眠る。
「……よし、今夜はお前だ」
キックペダルを踏み降ろした。
ズォォォンッ!
砂型エンジンが目を覚まし重厚な地鳴りが木魂する。
暖気とともにヨシムラの手曲げ管が乾いた金属音を奏で始めた。
クラッチを繋ぎナナハンは夕暮れのバイパスへと滑り出す。
無駄な蛇行もせず分厚いトルクに身を任せて風を切る。
金髪を夕闇になびかせ快走していると側道で点滅するハザードが見えた。
ウォルター・ウルフカラーのガンマの横で葵がキックを蹴り下ろしている。
「……ったく、何やってんだか」
アクセルを煽り野太く乾いた咆哮を一発響かせて停止した。
「ヒエッ!?……あ、美鈴先輩!?」
「おい葵。焼き付かせたかい?」
「ち、違うんス!なんか急に片肺になっちゃって、火が飛ばないみたいで……」
「工具出しな」
美鈴は二本のチャンバーに触れ冷えている側を即座に見極めた。
プラグレンチで黒く煤けたプラグを取り出して光にかざす。
「カブってんじゃないよ、カーボン噛んでギャップが詰まってんだ。ツーストオイル、安いホムセンの粗悪油使ったろ?CCIスーパーにしなさいって言ったじゃないかい」
「うっ……金欠で、ホムセンの安いやつを……」
「バカ野郎。シリンダー抱きついたらどうすんだい」
ワイヤーブラシで電極を擦りフレームのボルトに当てて隙間を詰める。
爪先でギャップを確かめ指先でスルスルと手締めした。
座面が当たったところからレンチでクッと本締めを施す。
「蹴ってみな」
パランッ……パララララランッ!
白煙とともにツーストツインが綺麗に目を覚ました。
「か、かかったぁぁぁッ!すげぇ、一発っス!!」
「ほらよ。夜は冷えるよ。さっさと帰って、明日は朝イチでキャブとオイルタンク洗いな。……じゃあね」
「あ、美鈴先輩!あざっス!!」
赤いテールランプが夜の闇へと溶けていく。
葵は渡されたホット缶コーヒーを握りしめ背中を見送っていた。
第三章:止まり木の琥珀と紫煙
夜の十時。
シャワーを浴びた美鈴は黒のタートルネックにデニムを合わせていた。
初代ピアッツァのステアリングを握り夜の舗装路を滑らかに滑空する。
細い路地の奥にぽつんと灯る真鍮のランタンが見えた。
重厚なオーク材の扉の前にクーペを静かに寄せる。
真鍮プレートに刻まれた文字は『Bar 風花 -kazahana-』。
扉を開けると微かな桜の香りと静寂が美鈴を迎えた。
磨き上げられた鉄刀木の一枚板が間接照明を吸い込んで艶めいている。
棚のクリスタルが細かな虹色の光を放っていた。
「いらっしゃい、美鈴ちゃん」
「……こんばんは、美和さん。ふぅ……やっと一息つけるよ」
美鈴はカウンターの端の黒革ローチェアーに身を沈めて息を吐いた。
「今日も一条山の上まで行っていたのね。遠くから、力強いエンジンの音がここまで聞こえていたわ」
「結社長に急かされてね。あの三バカをシゴきながら、四立米半を一気に打設してきたよ。……美和さん、喉がカラカラなんだ。いつもの、濃いやつ頼めるかい」
「ええ、もちろんよ」
美和は冷えたバカラのタンブラーへ柱状の氷を静かに滑り込ませた。
メジャーカップを使わず白州のボトルを傾ける。
明るい黄金色の液体が目分量で注がれスプーンが素早く氷を回した。
冷えた内壁を滑らせるように強炭酸を満たしていく。
氷の底を一度だけ持ち上げると細かな気泡が静寂を満たした。
「はい、どうぞ」
グラスを滑らせると厨房の小鍋の蓋を開けた。
「それと、ちょうどいい具合に煮上がったところなの」
差し出されたのは青磁の小鉢に盛られた豚の角煮だった。
箸でほろりと崩れる肉の上に針生姜が美しく散らされている。
美鈴はハイボールを喉へ流し込んだ。
炭酸の刺激と森の若葉を思わせる爽やかなスモーキーフレーバーが染み渡る。
「……あぁ、生き返る。美和さんのハイボールは、なんでこんなに旨いんだろうね」
「ふふ、美鈴ちゃんが一生懸命働いたからよ」
美鈴は角煮を口に運び針生姜の辛味とともに至福の息を漏らした。
とろける脂の甘みが冷えた白州の余韻と溶け合い神経をほどいていく。
「美鈴さん、今日もお疲れ様」
「天ちゃんもいたのかい。原稿は進んだのかい?」
「ええ、おかげさまで一本書き上がりました。昼間、山から下りるときにすれ違いましたよ。深紅のギガ、本当に格好いいですね。一条山の紅葉よりも鮮やかでした」
「茶化すんじゃないよ。……美和さん、一本いいかい?」
「ええ、どうぞ」
美鈴は手元へ引き寄せた陶器の灰皿の上でジッポーを鳴らした。
細い紫煙が柔らかな光の中へと吸い込まれていく。
「あの子たちさ。アタシが行くと決まってアイスくわえてたりサボってるとこばっかりだけど……型枠の通り、一ミリも狂ってなかったよ。葵の重機の据え方も、まひろのバイブレーターの突っ込み方も、遥花のコテの押さえもいい筋してる。アンタと結社長が守ろうとしてるあの山にさ、あの子たちが泥だらけで均した場所に、アタシが練った生コンを流す。何十年か経って、アタシらが爺さん婆さんになっても、あのコンクリートは山の土留めとして残り続けるんだ」
「そう思うとね。生コン屋の一人娘に生まれたのも、悪くねぇなって思うのさ」
美和は何も言わず温かい眼差しで美鈴を見つめた。
薄はりグラスの結露をリネンで拭いチェイサーをそっと寄せる。
「美鈴ちゃんの手は、この町を支える誇らしい手よ。さあ、今夜はゆっくりしていってね。帰りは、剛三さんに連絡してあるから」
「……うん。ありがと、美和さん」
路地では黄色い行灯のアルトワークスが排気音を潜めて待機している。
運転席の響香と助手席の剛三がピアッツァの鍵を預かる時を待っていた。
止まり木で深紅の韋駄天は金髪を揺らし静かに夜を深めていった。
【あとがき】
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
昼の現場で汗と泥にまみれ、夜は手入れの行き届いた愛機を走らせて、静かなバーの止まり木に辿り着く。
臼井美鈴という女性が背負う「職人の厳しさと、不器用な温もり」を、一条山の赤土とバカラのタンブラーを通して描きたくて筆を執りました。
何十年先も山を守り続けるコンクリートのように、誰かの目には留まらなくても、確かに誰かの生活を支えている無骨な手。
そんな手のひらへ、美和の手からそっと極上の一杯が手渡される瞬間を大切に紡ぎました。
もし今回の美鈴や三人娘の奮闘、そして夜の『Bar風花』の空気を少しでも気に入っていただけましたら、ブックマーク登録や下部の【☆☆☆☆☆】からのご評価、ご感想などをいただけますと、次のお話を紡ぐ大きな励みになります。
また次の夜、この静かな扉の奥でお会いできますように。
天照(Bar風花)




