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白きモンスターと秋晴れの参観日 〜アルマーニの若頭は黒板の前で目尻を溶かす〜

【前書き】


※本作は『Bar風花-kazahana-』の本編エピソードとなります。

※高瀬家の騒動を経て、幼い真理亜ちゃんから届いた「参観日への招待状」を巡る、少し騒がしくも温かな秋の日の物語です。

※アルマーニを纏った天ちゃんの全力の空回りと、二人の女神が織りなすランウェイ、そして夕暮れの食卓に広がる手作りの温もりを、ゆったりとお楽しみください。


秋桜がそっと揺れる平屋の縁側で、小さな少女が口にした健気な願い。

「世界で一番かっこいい保護者」として晴れ舞台を支えようと、誠心誠意を尽くしたはずの装いは、なぜかカタギの空気を切り裂く圧倒的な威圧感へと仕上がってしまいました。

銀杏の舞う校門前を揺らす重低音と、教室を凍りつかせた無言の制圧。

けれど、凍てついた空気を一瞬でほどいたのは、黒板の前で見せた小さな少女の笑顔と、情けないほど優しい父親の顔でした。

どうぞ、そっとカウンターの向こう側を覗いてください。

第一章:小さな願いと、秋の重低音

 

 風花町(かざはなちょう)の秋は、空の青さがひときわ高く澄みわたり、遠く耳納連山から吹き下ろす風が、町全体に熟した果実と乾いた落ち葉の匂いを運んでくる季節である。

 この町には、古くから四季の巡りをそっと飛び越える不思議な理(ことわり)があった。神社の裏手にある櫻庭家の平屋の庭先では、秋晴れの柔らかな光を浴びながら、狂い咲きの山桜が薄紅色の花びらを静かに散らし、そのすぐ隣では黄金色に色づいた柿や蜜柑が、枝もたわわに実を結んでいる。

 外の世界から見れば奇跡と呼ぶほかない情景を、住人たちはことさらに騒ぎ立てることもなく、「風花だからね」と穏やかに微笑み、秋の収穫を喜びながら日々の丁寧な暮らしを重ねていた。

 その神社の裏にある平屋の縁側で、フリーランスのルポライター・櫻庭天(さくらば・あまね)は、庭の秋桜(コスモス)を眺めながら、淹れたての温かいほうじ茶の湯呑みを両手で包んでいた。

 彼の左頬には、まだうっすらと紫がかった青あざが残っている。

 数日前、町の路地裏にある洋館のエステサロン『サロン・タカセ』で起きた騒動。金を無心しに押し入った高瀬美由紀の元夫から、幼い一人娘の真理亜(まりあ)をその身を挺して庇い抜いたときに刻まれた、いわば無私の勲章だった。

「……天ちゃんお兄ちゃん」

 縁側の引き戸の隙間から、鈴を転がすような、けれど少し遠慮がちな声がした。

 振り返ると、柔らかなチェック柄の長袖ワンピースに薄手のカーディガンを羽織った真理亜が、もじもじと指先を弄びながら立っていた。母親の美由紀がサロンの午後の仕込みをしている間、櫻庭家へ遊びに来ていたのだ。

「どうしたんだい、真理亜ちゃん。外は少し肌寒かっただろう。中にお入り」

 天がいつものように目尻を下げて優しく微笑みかけると、真理亜はとてとてと小走りで駆け寄り、天のネルシャツの裾を小さな手でぎゅっと握りしめた。

 上目遣いに見上げてくる丸い瞳には、ためらいと、それ以上の祈りにも似た期待が揺れている。

「あのね……来週の金曜日、学校で、授業参観があるの」

「参観日か。秋の公開授業だね。楽しみだなぁ」

「うん。……でもね、周りの子たちはみんな、お父さんとお母さんが二人で来るんだって。うちは、ママはお仕事の合間に来てくれるって言ってるけど……その……」

 真理亜は言葉を詰まらせ、小さな胸を上下させた。

 そして、秋風に染まる夕暮れのように頬を真っ赤に染めながら、胸の奥にしまい込んでいた切実な願いをぽろぽろとこぼした。

「天ちゃんお兄ちゃん……もし、お仕事が忙しくなかったら……美和お姉ちゃんと一緒に、来て、くれる……? 真理亜、天ちゃんお兄ちゃんに、学校で手を挙げるところ、見てほしいの……」

 その瞬間、縁側の空気がふわりと止まった。

 天は丸くした目をぱちくりと瞬かせ、それから、弾かれたように膝を打った。

「行く! ……いや、行かせていただきますッ!!」

 普段の穏やかなルポライターの佇まいはどこへやら、元自衛官の生真面目な血が騒いだのか、直立不動に近い背筋で即答した。

「ふふ、当然よね、天ちゃん」

 台所から温かいお茶の盆を手に現れた妻の美和が、悪戯っぽく、けれど深い慈愛を湛えた異色瞳(右:ワインレッド、左:アンバー)を細めて微笑んだ。

「真理亜ちゃんが勇気を出して誘ってくれた晴れ舞台だもの。櫻庭家の総力を挙げて、世界で一番格好いい保護者として、真理亜ちゃんの笑顔を死守しに行きましょう」

「美和お姉ちゃん……! ありがとう!」

 真理亜の顔に、秋の陽だまりのような眩しい笑顔が満開に咲き誇った。

 それからの櫻庭家は、文字通りの厳戒態勢に入った。

 最大の懸案事項となったのは、天の左頬に残る青あざだった。

 真理亜を守り抜いた誇らしい傷痕とはいえ、小学校の教室という平穏な場において、頬に生々しい打撲痕のある大人が現れれば、周囲の保護者や児童にあらぬ動揺と恐怖を与えてしまう。

「真理亜ちゃんに、恥ずかしい思いや肩身の狭い思いだけは絶対にさせられない」

 そう固く心に誓った天は、身だしなみを完璧に整えることを決意した。

 傷口を清潔にケアした上で、あざを自然に覆い隠すため、薄いブラウンのカラーレンズを入れたチタンフレームの眼鏡を新調。さらに、襟元を正すために長年大切に保管していたダークスーツを丁寧な手仕上げクリーニングに出し、髪も馴染みの理髪店で清潔感を極限まで追求したツーブロックへと刈り上げた。

 移動の足にも抜かりはなかった。

 普段の山林取材で泥だらけになっている軽四駆ではなく、平屋のガレージの奥で天が自ら丹念に整備し、大切に維持し続けている愛機――日産『GT-R NISMO』に火を入れることにしたのだ。

 元自衛官であり、機械の構造や走行性能の極限を知り尽くす天が、一切の妥協なくオイル管理からボディのガラスコーティングまで施してきた、彼自身の純白のモンスターマシン。真理亜の晴れ舞台を飾るにふさわしい、最高の礼装としての出動だった。

 そして迎えた、秋晴れの光が降り注ぐ参観日の当日。

 風花町立小学校の閑静な校門前に、地を這う地鳴りにも似た、不気味なほど低く澄んだ重低音が滑り込んできた。

 ——ヴゥゥゥン……。

 銀杏の落ち葉が舞うロータリーへ音もなく現れたのは、ホワイトのボディに漆黒のカーボンパーツを纏った天の愛車、日産『GT-R NISMO』。

 研ぎ澄まされたエアロダイナミクスと、低く唸りを上げるV6ツインターボエンジン。公立小学校ののどかな風景にはおよそ不釣り合いな圧倒的マシンの登場に、児童の誘導を行っていたPTA役員や保護者たちの動きが、まるで時間が止まったかのように完全に静止した。

「な、何あの車……? どこかのレーシングチーム……?」

「誰が乗っているの……!?」

 ざわめきが波紋のように広がる中、重厚なドアが吸い込まれるように開いた。



 

第二章:アルマーニの龍と、二人の女神

 

 最初にアスファルトを踏みしめたのは、櫻庭天だった。

 だが、その姿が初秋の日差しの下に現れた瞬間、校門前の空気が物理的な圧力を伴って凍りついた。

 天が身に纏っていたのは、かつて海外要人との会談取材のために誂えた、ジョルジオ・アルマーニの端正極まるダークスーツ。鍛え上げられた元自衛官の無駄のない体躯に吸い付くように仕立てられた最高峰のウール生地は、歩くたびに深い陰影を生み出し、息を呑むほどの重厚感を醸し出している。

 髪型は、清潔感を追求した結果としての、ビシッと撫で付けられたツーブロックのオールバック。

 そして左頬の青あざを隠すためにかけた、薄いブラウンのカラーレンズ眼鏡。

 ――仕上がってしまった。

 本人は「真理亜ちゃんのために、清潔で礼儀正しい格好を」と誠心誠意を尽くした結果なのだが、自慢のGT-R NISMOから降り立ったアルマーニのスーツ×ツーブロックオールバック×頬のあざ×色付き眼鏡という四重奏は、どこからどう見ても、映画のスクリーンから抜け出してきた『極道の若頭』そのものの迫力を放っていた。

 しかも、元自衛官の習性として、無意識のうちに周囲の死角や不審物の有無を冷徹に確認しようと鋭く視線を走らせる癖が、カタギの空間に足を踏み入れた修羅の威圧感に拍車をかけている。

「……天ちゃん、少しだけ気合いが空回りしていないかしら?」

 助手席から降り立ち、くすりと鈴を鳴らすように笑ったのは妻の美和だった。

 彼女はエルメスの最高級ウールとシルクで仕立てられた、ノーブルなネイビーのアンサンブルに身を包んでいる。無駄な装飾を一切削ぎ落としたミニマルなシルエットが、彼女の持つ神話的なプロポーションと気品を極限まで際立たせていた。

 歩を進めるたび、秋風に乗って、遠くの春を思わせる微かな桜の香りがふわりと廊下へ漂っていく。

 そして後部座席から、胸元をそっと押さえながら降りてきたのが、高瀬美由紀だった。

 美由紀が纏うのは、美和が「この日のために」と自らのクローゼットから選び出し、懇意の仕立て屋に頼んで美由紀のサイズへ完璧に補正させたシャネルのスーツ。繊細なラメ糸が織り込まれたペールピンクのツイードは、サロンのオーナーとして培われた彼女のたおやかな美貌と、母としての柔らかな温もりを極上のエレガンスへと昇華させていた。

「天さん、美和さん……本当に私までこんな格好でよかったんでしょうか……目立ちすぎていませんか……?」

 不安そうに身を縮める美由紀に対し、美和は柔らかく、しかし凛とした微笑みを向けた。

「何を言っているの、美由紀さん。母親が娘の晴れ舞台に精一杯のおしゃれをして、どこがいけないっていうの? 堂々と胸を張っていいのよ」

 美和の温かい言葉に、美由紀は小さく息を吸い込み、そっと背筋を伸ばした。

 アルマーニの若頭(天)、エルメスの女神(美和)、シャネルの聖母(美由紀)。

 この三人が並び立ち、校舎の昇降口へと向かって歩き出した瞬間、小学校の廊下は一瞬にして最高峰のファッションショーのランウェイ、あるいは超巨大組織の幹部視察の様相を呈した。

「ちょ、ちょっと……高瀬さんのところのお母さん、あんなに綺麗だった……?」

「それより横の男性を見てよ……あの凄み、ただ者じゃないわ……」

「後ろのネイビーの女性も息を呑むほど美しいわね……一体どういう関係なの……!?」

 すれ違う保護者たちが思わず壁際へと身を寄せ、静かに道を開けていく。

 天としては、すれ違うたびに「こんにちは」と穏やかに会釈をしているつもりなのだが、色付き眼鏡の奥から放たれる眼光とアルマーニの威圧感によって、相手には「極道の挨拶」として受け取られていた。



 

第三章:算数の時間と、解けた氷

 

「え、ええと……それでは、今日の五時間目、算数の授業を始めます……」

 三年一組の教壇に立つ若い男性担任教師は、教室後方の参観スペースに目をやった瞬間、喉の奥がカラカラに渇くのを覚えた。

 最前列のど真ん中に、直立不動で陣取る三人の影。

 特に、腕を組んで黒板を凝視しているアルマーニの男(天)の威圧感が凄まじい。

 天としては、「おお、最近の小学校の黒板は視認性が高くて素晴らしいな」「先生の声もよく通って一生懸命だなぁ」と感心しながら目を細めているだけなのだが、ツーブロックとカラーレンズのせいで、教育現場の綻びを冷徹に見定める査察官か、いつ怒号を飛ばすか分からない修羅にしか見えない。

 その隣には、この世のものとは思えない美貌で静かに佇む異色瞳の女性(美和)と、清楚なシャネルのスーツで手を前に揃える母親(美由紀)。

 教室内のやんちゃな男子児童たちも、背後から放たれるただならぬ気配を敏感に察知したのか、誰一人として私語を交わさず、まるで軍隊のように背筋をピンと伸ばして前を見つめている。

(あぁ、今の風花町の子供たちは、本当に礼儀正しくて真面目だなぁ……素晴らしい教育環境だ)

 天は心の中でひとり、ふにゃふにゃと目尻を下げて感銘を受けていた。

 だが周囲の保護者たちからすれば、男の無言の圧力によって教室全体が完全に制圧されているようにしか見えなかった。

 そんな極限の緊張状態が頂点に達したとき、担任教師がおずおずと声を震わせながら黒板にチョークを走らせた。

「で、では……この問題の解き方が分かる人、手を挙げてください」

 教室中が水を打ったように静まり返る。

 その沈黙を破ったのは、窓際の最前列に座っていた少女だった。

「はいっ!」

 高瀬真理亜が、ピンと右手を真っ直ぐに伸ばした。

「高瀬さん、黒板の前に来て書いてみてください」

「はい!」

 真理亜は元気よく立ち上がり、黒板の前へと歩み出た。

 教室の後ろを振り返る。そこには、張り詰めた大人たちの視線の中央で、自分だけをじっと見つめてくれている三人の姿があった。

 真理亜の顔が、嬉しさと誇らしさでパッと明るく輝いた。

 少女はチョークを握ると、小さな手で迷いなく数式を書き進め、最後にしっかりと正解の数字を丸で囲んだ。

「素晴らしい、正解です」

 先生の言葉に、教室中からパラパラと拍手が起きる。

 真理亜はくるりと振り返り、教室の後ろにいる天と美和、そして美由紀に向かって、両手を大きくぶんぶんと振った。

「パパ! ママ! 美和お姉ちゃん! ……見ててくれた!?」

 少女にとって、今日この晴れ舞台で自分を守ってくれた天を「パパ」と呼ぶことは、大勢の友達の前で見せたい精いっぱいの背伸びであり、誇らしさの証明だった。

 そしてその瞬間だった。

 直立不動で「覇王の眼光」を放っていたアルマーニの男の顔面が、音を立てるようにして崩壊した。

「……っ! 真理亜ちゃん、すごいぞ! 完璧だ!」

 天は眼鏡を指先で少しずらし、両目を目尻が消えるほどに細めると、周囲の視線も構わずに満面のふにゃふにゃな笑顔を咲かせ、胸の前で小さく拍手を送った。

 その顔には、先ほどまでの刺々しい凄みなど微塵も残っていない。ただただ真理亜が可愛くてたまらない、情けないほど優しい保護者の表情そのものだった。

 美由紀は愛おしさに胸元をぎゅっと押さえて涙ぐみ、美和は口元に手を添えて、ワインレッドとアンバーの瞳を優しく三日月のように細めた。

「ふふ、天ちゃんったら、顔が崩れすぎよ」

 美和が天のスーツの袖を小さく突く。

 教壇の真理亜が、天のその情けないほど優しい笑顔を見て、「あはは!」と無邪気な声を上げて笑った。

 その澄んだ笑い声が教室に響き渡った瞬間、それまで部屋を支配していた氷のような緊張感が、春の雪解けのように一気に崩れ去っていった。

「な、なんだ……ものすごく優しい人じゃない……」

「奥様と旦那様のあのギャップ、なんなの……!?」

 教室の後ろにいたお母様方は、強面スーツの男が見せた破壊的なまでの「ギャップ萌え」に、今度は別の意味で胸を撃ち抜かれ、頬を紅潮させて小さくざわめき合っていた。



 

第四章:白いミニンジャと、夕暮れの食卓

 

 授業参観が無事にお開きとなり、天が操縦するGT-Rの静かな排気音とともに風花町の路地裏へと戻ってきた頃、町は柔らかな茜色の夕暮れに包まれていた。

 高瀬家の洋館の前にあるガレージで、天たちが車を降りると、路地の奥から甲高い、けれどどこか愛らしい超高回転の排気音が響いてきた。

 ——ファァァァン!!!

 秋の冷たい風を切り裂いて滑り込んできたのは、驚くほど小さな車体のオートバイだった。

 ベースはホンダのモンキー50。そこにドレミコレクション製のGPZ900Rスタイル外装『ミニンジャ』を組み込み、ピュアホワイトにオールペイントされた一台である。エンジンには名門SP武川製の106ccスーパーヘッドDOHCキットが組み込まれており、小柄な見た目に反して、アイドリングの排気音には野太いレーシングマシンの鼓動が宿っていた。

 キィと小気味よいブレーキ音とともにマシンを停め、両足の裏を地面にべったりと着けたのは、櫻庭深雪だった。

 彼女の頭部を守るのは、美由紀のヴィンテージ・ベスパとお揃いになるよう特別に設えられた、アイボリーホワイトのスモールジェットヘルメット。額に押し上げられたクラシカルな防風ゴーグルの下から、黄金色の瞳が冷徹なまでの光を放っていた。

「……(カチャリ)。……防衛任務、完了。……周辺半径五百メートル、不審者、ゼロ」

 深雪はぽかんとした無表情のまま、ヘルメットのあご紐を外した。

 実は彼女、天たちが小学校へ向かっている間、万が一の襲撃に備え、ピンクナンバーを掲げたこの過激な極小チビNinjaを駆って、学校外周を「自律機動型・タクティカル・マスコット」として極秘裏に周回警戒していたのだ。

「深雪ちゃん、パトロールありがとう。風が冷たくなかった?」

 シャネルのスーツ姿のままの美由紀が歩み寄り、ヘルメットで少し潰れた深雪の純白のボブヘアを優しく撫でた。

 深雪は黄金色の目を細め、静かに美由紀のスカートの裾をぎゅっと握りしめた。

「……美由紀さん。……みゆき、寒くない。……美由紀さんの服、お花みたいで、すごく綺麗」

「ふふ、ありがとう、深雪ちゃん。さあ、みんなでご飯にしましょうね」

 その日の夕暮れ、高瀬家の洋館のダイニングキッチンには、秋の肌寒さを吹き飛ばす温かな湯気と、何とも食欲をそそる香ばしい匂いが満ちていた。

 アルマーニのジャケットを脱ぎ捨て、白シャツの袖を捲り上げてエプロンをつけた天が、真理亜のために大好物の特大ハンバーグを仕込んでいる。ツーブロックのオールバックのまま、両手でリズミカルにひき肉のタネを打ちつけ、中の空気を抜く手つきは、そこらの料理人顔負けの鮮やかさだった。

「はい、真理亜ちゃん。今夜はお兄ちゃん特製の、肉汁たっぷり和風おろしハンバーグだよ。秋のきのこをたっぷり使った餡掛けにしたんだ。商店街の肉屋のおじさんが、参観日のお祝いだって、特別にいい合挽き肉を分けてくれたんだよ」

「わぁっ! お兄ちゃん、すごーい! いい匂い!」

 真理亜がダイニングテーブルの上で両手をパチパチと叩いて歓声を上げる。学校での「パパ」という背伸びから、いつもの大好きな「天ちゃんお兄ちゃん」へと自然に戻り、その表情には安心感が溢れていた。

 そのテーブルの上には、美和と美由紀が笑い合いながらお皿に盛り付けた、商店街の精肉店特製の揚げたてコロッケが、からりと黄金色の衣を誇らしげに並べていた。エルメスのアンサンブルのままの美和と、シャネルの美由紀が、まるで長年連れ添った姉妹のように寄り添い、グラスに温かいほうじ茶を注ぎ分けている。

 ダイニングの隅の椅子では、深雪が大切そうにヘルメットを抱えながら、美由紀が淹れてくれた特製のホットココアを小さな両手で包み込み、生クリームの溶けた甘い雫をちびちびと味わっていた。

「……天ちゃん、本当に今日はお疲れ様。いいお兄ちゃん役だったわよ」

 美和が天の背中にそっと寄り添い、温かいお茶の湯呑みを手渡しながら耳元で囁く。

「最初は周りがパニックになってどうなるかと思ったけれど……真理亜ちゃんがあんなに誇らしそうに笑ってくれたんですもの。満点の保護者役だったわ」

「ありがとう、美和さん。美和さんが隣にいてくれたから、僕も胸を張っていられたよ」

 天が照れくさそうに頭を掻くと、頬の青あざが夕暮れの明かりに淡く照らし出された。

 暴力の傷跡は、やがて時が経てば綺麗に消えていくだろう。

 だが、この秋の夕暮れ、ひとつの食卓を囲んで響き合う笑い声と、手作りの料理がもたらす確かな温もりは、決して消えることはない。

 血の繋がりなどという脆い枠組みを軽々と超え、互いを慈しみ、守り合う意思によって結ばれた本物の絆。

 風花町の優しい夕闇が洋館のリビングの窓を包み込む中、グラスの触れ合う澄んだ音が静かに響き、またひとつ、誰にも奪えない愛おしい日常の記憶を刻みつけていくのだった。

【あとがき】


最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。

今回は、前回の騒動を乗り越えた高瀬母子のアフターエピソードとして、真理亜ちゃんの授業参観に挑む櫻庭家と高瀬家の少しコミカルで、心温まる一日をお届けしました。

真理亜ちゃんに恥ずかしい思いをさせまいと、傷を隠すために色付き眼鏡をかけ、愛車のGT-R NISMOを丹念に磨き上げてアルマーニに身を包んだ天ちゃん。

本人は至って大真面目なのに、周囲から見れば完全に「組の若頭の視察」になってしまうという、彼特有のギャップを楽しんでいただけたら幸いです。

そして、エルメスの美和さんとシャネルの美由紀さんが並び立ったときの圧倒的な華やかさ。

教室の空気を一変させた真理亜ちゃんの無邪気な声と、それを聞いて一瞬でふにゃふにゃに崩れてしまった天ちゃんの笑顔は、血の繋がりを超えて結ばれた絆の確かな証なのだと思います。

学校の外周を小さなチビNinjaで健気に警戒していた深雪ちゃんや、夕暮れの洋館で囲む手作りハンバーグと温かいほうじ茶の湯気。

そんな風花町の優しい日常の余韻を感じていただけたなら嬉しく思います。


もし今作の賑やかな参観日や、夕暮れの食卓に灯る温もりに少しでも心が和みましたら、作品への「ブックマーク」や「評価」、温かな「ご感想」などをそっと寄せていただけますと、日々の執筆の大きな励みになります。


風花町の秋が、皆様の心にも優しい陽だまりを届けますように。

天照(Bar風花)

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