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【Bar風花】外伝 深夜2時のドリンクバーと、完璧すぎるガレージの神様

【前書き】


※本エピソードは『Bar風花』のサイドストーリー(一条山三人衆編)です。

※深夜のファミレスで繰り広げられる、少女たちの他愛もない夜話を描いています。

※本編の雰囲気をそのままに、彼女たちの目線から語られる「天さん」の姿をお楽しみください。


深夜二時、黄色い看板の下で交わされる秘密の会話。

彼女たちが見つめるのは、静かに街を守る男の後姿と、甘いお酒の記憶。

どうぞ、そっとカウンターの向こう側を覗いてください。

第1章:深夜三時のシグナル

 

 深夜二時のファミレスは、いつだってどこか浮世離れした匂いがする。

 黄色い看板の明かりに吸い寄せられて集まるのは、夜の闇を自分の足で切り裂いてきた連中ばかりだ。トラックの運転手に、コンビニの配送ドライバー、それから、エンジン油の匂いを拭いきれていない遥花たちのようなバイク乗り。

 程よく効いたエアコンの冷気が、走ってきたばかりの熱い肌に心地いい。店内には低音のBGMが細く流れ、テーブルの上のプラスチックケースに入ったメニュー表が、蛍光灯の下でぼんぼんとなだらかな光を反射していた。

「……はぁ。なんかさ、最近つくづく思うんスよね」

 山盛りのフレンチフライポテトが置かれたテーブルで、遥花が抹茶パフェのスプーンを器用に指先で弄びながら、ぼやくように言った。

「同世代の男見ても、なーんもトキメかないんスよ。マジで一ミリも」

「……急になに。また変なスイッチ入ってんだけど」

 隣で黒革のジャンパーを脱ぎ、黒い地雷系の私服に袖を捲り上げた葵が、ストローでドリンクバーのコーラを啜りながら冷ややかな目を向けた。十八歳。見た目は華奢な地雷系ギャルだが、日中は一条山の開拓現場で、対面に座るまひろ先輩とたった二人で重機を回し、現場を仕切っている筋金入りの現場監督だ。指先には黒のネイルが施されているが、爪の根元にはうっすらと落ちきらない山林開拓の砂埃が残っている。

 対面で、仄かにバニラに似た甘い香りを漂わせているのは、一条山農林で山仕事をしている白石まひろ先輩だった。山で吸ってきた缶ピーの香りが、作業着の生地にうっすら残っているのだ。

「……まひろ先輩、そういえばモモちんは?」

 遥花が尋ねると、まひろ先輩はふっと目を細めた。

「あの子は昼行性だからねぇ。今頃は家の毛布の中で、丸くなってぐっすり夢の中さ。流石にファミレスに連れてくるわけにもいかないしね」

「あはは、流石まひろ先輩。ちゃんと『大人の分別』があるッスね」

「ふふ、当たり前じゃないか。……で、そりゃあさ、遥花。普段接してる『大人の男』の基準がバグってるからじゃないかい?」

 まひろ先輩は氷の浮かんだグラスを指先で弄びながら、くすりと笑った。

「それッスよ、まひろ先輩!!」

 遥花がテーブルをバンと叩く。ドリンクバーのコップがカタリと揺れた。

「だってウチらの同世代の男子なんて、イキってるわりにプラグ交換の一つもまともに出来ないじゃないッスか! 挙句の果てにはTikTokでイキり動画撮ってるだけでしょ!? そんなのに比べたらさ……天さんは次元が違いすぎるんスよ!!」

 遥花の目が熱を帯びていく。彼女が乗っているのは、バイト代をギリギリまで注ぎ込んでローンで買った愛車のCBRだ。パーツ代や維持費で全財産が二桁を切ることすら珍しくない遥花にとって、あのガレージと櫻庭天という男は、文字通り救世主のような存在だった。

「こないだもCBRのキャブの調子が悪くてさ、泣きつきに行ったんスよ。天さん、文句ひとつ言わずに工具箱開けて、一時間もしないうちに新車みたいに吹き上がるように調整してくれたんス。で、ウチが震える手で財布出して『整備代、いくらッスか……?』って聞いたらさ……あの人、なんて言ったと思うッスか!?」

 葵とまひろ先輩が静かに遥花を見つめる。

「『整備代はいらないよ。そのかわり、遥花ちゃんのバイクへのこだわりを、また記事の取材として聞かせてもらってもいいかな?』って……! あの優しい笑顔で言ってくれたんスよ!! お金じゃなくて、ウチのマシンへの愛をひとつの『作品』として認めてくれたんスよ……!? もうカッコよすぎて、胸がキュッとなったッス!!」

 遥花は顔を覆って悶絶した。その姿を、まひろ先輩は優しく見守っている。

「しかもさ……」

 遥花が声を低くして続けた。

「ウチら、一応この辺じゃ知られたレディース『紅蓮華』のメンバーじゃないッスか。普通の大人なら関わりたくないって引くか、露露骨に警戒するじゃないッスか。なのに天さんはさ、そんなの欠片も気にしないで、当たり前に『遥花ちゃん』って一人のバイク乗りとして接してくれるんスよ……。あんなの、惚れない方が無理ッス!!」

「……言いたいことは分からなくもないけどさ」

 それまで静かにポテトをつまんでいた葵が、ポツリと呟いた。その瞳に、珍しく強い熱が宿る。

「整備の腕だけじゃないから。天さん、現場の重機とか何でも余裕で乗りこなすし。バックホウもクレーンも、自分の体の一部みたいに滑らかに動かすじゃん。あれ、並の熟練工でも絶対無理なレベル。構造も全部叩き込まれてるし……現場監督の目から見ても、マジで化け物だから」

「あはは、そりゃあそうさ」

 まひろ先輩が可笑しそうに目を細め、缶ピーの煙を薄く吹き出した。

「天さんは元陸自のヘリコプター整備士だったからねぇ。大型の特殊重機から航空機の精密機械まで、国家資格も免許も山ほど持ってるんだよ。……それにさ」

 まひろ先輩は氷の浮かんだグラスをゆっくりと傾け、どこか懐かしむように目を細めた。

「山の事もめちゃくちゃ詳しいからねぇ。あのお人、陸自の過酷なレンジャーコースを修了した資格持ちなんだよ。山の地形も、季節ごとの山菜も、危険な生き物の習性も……うちの山仕事の職人やプロの猟師が舌を巻くレベルで知り尽くしてるのさ」

 葵のストローがピタリと止まった。

「……陸自のヘリ整備士で、レンジャー持ち……!?」

 葵の目が、驚きでわずかに見開かれる。18歳にしてまひろ先輩と共に一条山の厳しい現場を預かり、重機や山と向き合っている葵だからこそ、その経歴がどれほど規格外で凄まじいものか、痛いほど理解できるのだ。

「……免許皆伝のリアル重機&サバイバルマスターか……。同世代のチャラい男なんて、バックホウ一台まともに動かせないし、山に入ったら速攻で遭難するじゃん。尊敬どころの話じゃない……マジで一目惚れするレベル」

「葵先輩!? どさくさに紛れて本音が漏れてるッス!!」

 遥花が身を乗り出して突っ込む。だが、葵は耳まで真っ赤にしたまま、真顔を装ってコーラをゴクリと飲んだ。

「……っていうか、あんなにハイスペックで頼もしいのに。天さん、ガチの甘党だしね」

「あ、やっぱり知ってるッスか!?」

「こないだ見ちゃったんだよね」

 と葵が声を潜める。

「『パティスリー・カザハナ』で。あそこ、フランス仕込みのシェフがやってて結構敷居高いじゃん。そこで完熟イチゴとシャンパンジュレが乗ったバカデカい『季節のスペシャルパフェ』をさ……天さん、めちゃくちゃ嬉しそうに食べてたの……。あのゴツい手で繊細なパフェスプーン持って、満面の笑みで……」

「ぐ、ぐうの音も出ないッス……!」

 遥花はキュッと口をすぼめ、小さくなって頭を垂れた。

「ギャップで脳がバグるッス!! こないだもウチが最新のコンビニスイーツ差し入れたら、少年みたいに目を輝かせて喜んでさ! メモ帳取り出して『ねえ遥花ちゃん、最近の若い人の間では、こういうスイーツはどんな言葉で表現するのが一番しっくりくるのかな?』って真面目な顔で取材してきたんスよ!? 尊すぎて倒れるかと思ったッス!! お礼にガレージのロッカーから、全国のご当地駄菓子を山ほどくれたし……!」

「ふふ、どこまでも天さんらしいねぇ」

 まひろ先輩がくすくす笑う。だが、葵はどこか遠い目をして、ぽつぽつとポテトを口に運びながら言った。

「……そういえば現場の古株から聞いたんだけどさ。天さん、昔めちゃくちゃヤクザの若頭みたいな外見してた時期があるんだって……」

「はぁ!?」

 遥花が素頓狂な声を上げた。

「あの神様みたいに優しい天さんがヤクザ!? 葵先輩、流石にそれガセッスよ!」

「ガセじゃないし……」

「ああ、あの話かい」

 まひろ先輩が懐かしそうに目を細めた。

「あったねぇ、そんなことも。美和さんを守るために、男としての『凄み』を出そうとして一人で空回りしたやつだろ?」

「そう……」

 葵が頷く。

「髪型をサロンでサイドゴリゴリのツーブロックにして、トップをグリースで固めたオールバックにして。で、薄紫のサングラスかけて商店街を歩いたらしい……。本人は威厳を出したつもりだったらしいんだけど、八百屋の店主には『上納金なら払いますから命だけは!』って大根落として泣かれて、野良猫には逃げられ……」

「ぶっっ!?」

 遥花が飲みかけたメロンソーダを吹き出しそうになる。

「上納金!? 弱そうな自分を気にして背伸びした結果がそれッスか!?」

「それだけじゃない……。坂道で千草さんに遭遇して指差して大爆笑されて、噂を聞きつけた里美さんには『皇グループの私設特殊部隊を投入して風花町を封鎖するところでしたわ!』ってガチギレされたらしい……」

「ギャップが愛おしすぎて死ぬッス……!!」

 遥花が胸を押さえてテーブルに伏した。



 

第2章:甘いカクテルと夜の噂

 

「でね」

 まひろ先輩が氷の溶けたグラスを静かに揺らし、カランと小さな音を響かせながら言葉を継いだ。

「その日の夜、あの格好のまま『Bar風花』に行ったんだよ。美和さんは一瞬、本気の犯罪組織の人間かと思って『お引き取りください』って冷たく突っぱねたらしいんだけど、天さんが半泣きでメガネ外したら、お腹抱えて大爆笑したんだとさ」

「美和さんが爆笑……! 見たかったッスそれ!」

「そのあと美和さんがね、天さんのためにカクテルを作ったんだよ。『アレキサンダー』をね」

「アレキサンダー?」

「ブランデーとカカオリキュール、それに生クリームを使った、すごく甘くて濃厚なお酒さ」

 まひろ先輩の声が、少しだけトーンを落とし、お酒の持つ物語を紡ぐように滑らかになる。

「普通はカクテルグラスで出すんだけど、美和さんは大きな丸氷を入れたロックグラスで仕立てたんだ。ブランデーの強い芳香を、クリームの優しさとカカオの甘みで包み込んでね。背伸びして強がろうとした天さんの緊張を、その甘さで全部溶かしてあげたんだよ。で、髪を撫でながら『私はそのままの天ちゃんが一番好きだよ』ってさ」

 ファミレスの騒がしさが、一瞬だけ遠のいた気がした。

 氷の溶ける音、重厚なグラスの重み、そしてカウンターを挟んで交わされる夫婦の深い愛。その光景が、まひろ先輩の語り口からありありと浮かび上がってくる。

「……はぁぁぁ」

 遥花が深いため息を吐いた。

「最高すぎるッス……。お酒一杯にそんな意味を込められるなんて、やっぱり美和さんもタダモノじゃないッス……」

「……っていうか」

 葵がふと思い出したようにストローを弄くった。

「天さん、見た目は二十代後半か三十代前半に見えるけど、実は四十過ぎらしいよ……」

「マジッスか!?」

 遥花が跳び起きた。

「あのお肌ツヤツヤで爽やかなフェイスで四十オーバーは詐欺ッスよ!!」

「スナックカサブランカの順子ママと同級生で幼馴染らしい……。この前順子ママが『天ちゃん昔と全然変わらないわね〜』って話してるの聞いて、うちも二度見した……」

「四十代の大人の包容力であの顔面と技術……ズルすぎるッス……! でもねまひろ先輩、美和さん実は相当『隠れドS』ッスよ!! こないだも天さんが駄菓子食べすぎそうになった時、あの綺麗でミステリアスな左右で色の違う瞳で、静かに『天ちゃん……?』って、逃げ場のない極上の笑顔で微笑んだんス。そしたら天さん、一瞬で背筋ピーンと伸ばして正座して……! 一見、天さんが甘えてるように見えて、完全に美和さんが手の上で転がしてるんスよ……!」

 遥花はそこで急に周囲を見回し、声をひそめて顔を真っ赤にした。

「しかもッスよ……美和さんがこっそり教えてくれたけど……天さん、夜は凄いらしいッス……しかもアソコがおっきいらしいッス……」

「……ぶっっ!?」

 葵がポテトを口に運ぶ手をピタリと止めた。そのままゴクリと息を呑み、耳まで真っ赤になっている。

「は、なにノータイムでエロい方向に話広げてんのバカ!! どこまで聞いてんの、マジで……!」

「ふふ、美和さんたらノロケてくれたんだねぇ」

 まひろ先輩はくすくす笑っている。

「まあ、あの天さんなら、色んな意味で『規格外』でも驚かないけど?」

「うぐっ……!」

 遥花は悶絶したように声を詰まらせると、そのままテーブルに額を擦りつけるように平身低頭した。

「あんなに格好よくてハイスペックで、パフェ大好きで過去に若頭ごっこして、夜も凄い(らしい)のに……普段の天さんって、美和さんの後を嬉しそうについて回るただのおっきなワンコじゃないッスか!! 『美和さん美和さん♡』って尻尾ブンブン振ってるのが目に見えるッスよ!! あのギャップは尊さの破壊兵器ッス!!」

「……あーもう、最悪……」

 葵が両手で顔を覆った。

「明日からウチ、どんな顔してガレージで天さんにセッティングの相談すればいいの……!? 変なこと聞いたせいで、無駄に意識しちゃうじゃんバカ……!」

「自業自得ッスよ葵先輩! 抱かれてもいいとか言ってたじゃないッスか!」

「……現場監督として、仕事ができる人を純粋に評価してるだけだし!!」

 二人の不毛な言い争いを、まひろ先輩は満足そうに眺めていた。ドリンクバーの氷がカランと音を立てて溶ける。

 深夜のドリンクバーで交わされる、他愛もない噂話。けれど、そこに登場する「天さん」という男の存在は、荒削りな日々を生きる彼女たちにとって、どこか眩しく、そしてあたたかい灯台のようなものなのかもしれなかった。

 葵がG-SHOCKの画面に目を落とし、呆れたように眉を寄せる。

「……待って、もう三時なんだけど。あいつのバカ話に付き合って時間ムダにした」

 葵が伝票を引き寄せた。現場監督の顔に切り替わる。

「散々ムダ話つき合わされたし。ほら、そろそろお会計するよ」

 遥花が「はーい」と返事をしながら、黒のアウターのポケットから使い古した財布を取り出した。パカッと開いて、中身を覗き込む。

「……あ、葵先輩」

「……何……」

「ウチ、全財産38円だったッス」

 遥花は財布を覗き込んだまま、綺麗に目を白黒させた。

 静寂が降り立った。抹茶パフェの空き容器と、山盛りのポテトの残骸が、虚しく蛍光灯の下に転がっている。

 葵は深々と、地響きのようなため息をついた。

「……はぁ。同世代とか語る前に、アンタはまずお財布をまともにしな……」

 葵は黒いトートバッグから、現場猫のラバーキーホルダーが揺れる黒いミニ財布を取り出すと、伝票をひっつかんだ。

「ほら、今日くらい奢ってやるから。伝票ヨシ、お財布ヨシ……ご安全に退店」

「葵先輩ッ!!」

 遥花が目元をぬぐいながら葵に抱きついた。

「神……! ガレージの地雷系女神ッスーーー!! 一生ついて行くッス!!」

「鬱陶しい離れろバカ!! ネイルが剥がれる……」

「あはは、ごちそうさま。じゃあ奢ってもらった分、明日も一条山農林で死ぬ気で稼ぐとしようかねぇ」

 テーブルの上のバイクの鍵を取りながら、まひろ先輩が立ち上がった。

 自動ドアが開くと、深夜の風花町のひんやりとした空気が頬を撫でた。街灯の橙色の光が、静まり返った道路をぽつんと照らしている。

 エンジンを始動させる。爆音が夜の静寂を切り裂き、三台のバイクがエキゾーストノートを響かせて走り出した。

 遠くの闇の向こう、あの小さな町の一角には、きっと今夜も、静かで甘いお酒と、世界で一番温かい日常が守られている。

 それを思い浮かべるだけで、冷たい夜風の中を走る胸の奥が、ほんの少しだけ熱くなるのを、彼女たちは感じていた。

【あとがき】


深夜のファミレスで交わされる無駄話には、どこか特別な温もりがある気がします。

プロとしての誇りを胸に日々を駆ける遥花、葵、まひろの三人にとって、天さんや美和さんの存在がどれほど暖かな灯台となっているか——そんな日常の一片を描かせていただきました。

彼女たちのささやかな夜の空気感を、少しでも楽しんでいただけたなら幸いです。


もし作品を気に入っていただけましたら、ブックマークや評価、感想などをいただけますと大変励みになります。


皆様の温かな一票が、風花町に咲く桜の糧となります。

天照(Bar風花)

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