【Bar風花】第二章 真珠色の白米と甘やかな熱量 〜櫻庭家の食卓から納豆が消えた日〜
【前書き】
※ 本エピソードは、櫻庭家の賑やかで温かな朝の一幕を描いた日常編です。
※ 完璧なメイド・高瀬千草の愛らしくも可憐な素顔をお楽しみください。
朝の光が静かに降り注ぐ、櫻庭家の食卓。
完璧な手際で整えられる和の朝食と、耳年増な姉を襲うあまりに刺激的な「事件」。
手作り納豆の香りと共に巻き起こる、甘く、可憐で、ちょっぴり賑やかな夏の朝の物語です。
どうぞ、そっとカウンターの向こう側を覗いてください。
第1章:漆黒と純白のスイッチ
夏の朝の光は、少しだけ青みを帯びている。
薄手のレースカーテンを透かして差し込む陽光が、オーク材のフローリングに静かな模様を描いていた。クラシカルなインテリアで整えられた室内。優雅に配置されたアンティークのチェストや、細やかな彫刻が施されたベッドフレームが、朝の柔らかな空気の中で穏やかな影を落としている。
その上質な空間の真ん中で、千草はゆっくりと微睡みから意識を引き上げた。
「……ん」
薄く息を吐き、重い瞼をゆっくりと持ち上げる。体を包んでいるのは、昨夜袖を通したノースリーブの淡いピンクのルームウェアだ。パイル地の柔らかな生地が、寝返りを打つたびに肌を優しく撫でる。普段の仕立物のようにパリッとした装いからは想像もつかない、無防備で可愛らしい装い。豊満な胸元が生地を押し上げているが、今の彼女はただの寝起きで頭がぽんやりとしている一人の女性に過ぎない。
薄く開いた瞳に映る、清々しい夏の朝空。
「今日も、良いお天気……」
胸いっぱいに朝の空気を吸い込み、ふんわりとした髪を指先で整える。まだ夢の余韻が残る頭を振り、ベッドから降りた。
パジャマを脱ぎ捨て、鏡の前で身を正す。これから身に纏うのは、彼女の日常そのものであり、美学の象徴でもある装い――ロング丈のクラシックスタイル・メイド服だ。
深みのある漆黒の生地。パリッと糊の効いた純白のエプロン。首元まで包み込む高めのスタンドカラー。ファスナーを引き上げ、エプロンの紐を背中でキュッと結ぶ。豊満な胸元と引き締まったウエストのコントラストが、時代を超えたクラシカルなシルエットによって、上品かつ艶やかに際立っていく。
髪を完璧にまとめ上げ、鏡の中の自分と向き合う。ふっと背筋が伸びた。櫻庭家のお姉ちゃんとして、そしてこの家を預かる者としてのスイッチが入る瞬間だ。
「よし……朝ごはんの支度を始めましょう」
第2章:煮えばなの立ち上る厨房
自室を出て廊下を進み、厨房へ足を踏み入れると、そこは澄みきった朝の静けさに満ちていた。
千草の動きに迷いはない。昨夜から水に浸しておいた昆布の鍋を静かに火にかけ、湯気が立ち上る直前の、わずかな一瞬で見極めて引き上げる。沸き立つ手前の湯へ惜しみなく放り込まれた削り節が、鍋の底へと静かに沈んでいく。立ち上ったのは、角の取れたふくよかな和の香りだ。
本日の献立は、心温まる極上の和食。
ツヤツヤと真珠のように光る白米。
豆腐とナメコ、三つ葉を浮かべる合わせ味噌汁。
脂がじっくりと乗った塩鮭の焼き物。
出汁をたっぷりと含ませ、巻きたてで湯気を立てる綺麗な黄金色の出汁巻き卵。
そして、旬の小鉢。
包丁がまな板を叩く「トントン」という規則正しいリズムが、静かな朝の空間に心地よく響く。ひと通りの仕込みを終え、手際よく合わせ味噌を溶き入れ、一煮立ちする直前で火を止めた。
煮えばなの最も華やかな香りが立ち上ったところで、千草は食卓の上に人数分のお椀とお箸を手際よく並べた。
お味噌汁の吸い口が温かいうちに、二人を起こしに行かなければ。
木造平屋の静かな廊下の奥へと、足音もなく進む。天と美和の寝室の前に立ち、トン、トン、と小さく扉を叩いた。
「天さん、美和。朝ごはんができましたよ」
返事はない。いつものことだと思いながら、千草は優しくドアノブを回した。
「失礼しますね。もう、お味噌汁が冷めてしま……」
言葉が、途中で完全に途絶えた。
開け放たれた扉の隙間から差し込む、朝の眩い光。その光の粒子の中で、ベッドの上の光景が浮き彫りになっていた。
二人は、一枚の白いシルクシーツに包まれて眠っていた。
ただ抱き合っているのではない。シーツの端から覗くのは、美和の眩しいほどに真っ白な肩と、緩やかな曲線を描く背中のライン。美和は天の胸元にぴったりと顔をうずめ、足まで絡めるようにして、無防備に体温を預けている。天もまた、素肌のまま美和の腰に腕を回し、互いの体温を分け合うように穏やかな寝息を立てていた。
昨夜の甘い熱量が、まだ薄く残る室内。
遮る布地など何一つ存在しない、肌と肌が直に触れ合う生の温もり。
「〜〜〜〜っ!?」
千草の思考が、音を立ててフリーズした。
耳年増な彼女の頭の中に、古今東西のあらゆる知識や情景が一瞬で駆け巡り、それが目の前の「リアル」と直結する。頬が、耳たぶが、首筋までもが、一瞬で林檎のように真っ赤に染まった。
豊満な胸が激しい動揺で上下し、どこを見ていいのか分からず激しく視線を彷徨わせる。
「う、嘘でしょう……!? ふ、服を……服を着ていらっしゃらないなんて……っ!」
普段の冷静で凛としたお姉ちゃんの顔はどこへやら。パニックを起こした頭の中は真っ白だ。それでも何とかお姉ちゃんとしての威厳を保とうと、引きつった声で叫ぶ。
「あ、あのっ! 天さん! 美和! は、早くお洋服を着て、お顔を洗って起きてくださいねっ! お、お味噌汁が……冷めてしまいますからっっ!!」
早口でまくし立てるや否や、千草はバタンと勢いよく扉を閉め、逃げるように廊下をあわあわと走り去っていった。
静まり返った寝室。
扉が閉まる大きな音に、美和がゆっくりと睫毛を揺らした。
「ん……天ちゃん……今、千草お姉ちゃんの声が……」
「……うん。すごく慌てて走っていっちゃったね」
寝ぼけ眼のまま胸元にすり寄ってくる美和の柔らかい髪に触れ、天は愛おしそうに苦笑しながらその頭を撫でた。
第3章:スリープモードと甘やかな食卓
「落ち着きなさい千草……私はお姉ちゃんなの……お姉ちゃんだから……っ!」
厨房へ駆け戻った千草は、両手で真っ赤になった己の頬を必死に冷やしていた。心臓がバックバクと鳴り響いている。知識として知っていることと、最愛の弟と妹の生々しい愛の痕跡を目撃することは全く別物だ。
そこへ、着替えを済ませた二人が平然とした顔でやってきた。
「千草お姉ちゃん、おはようございます。ふふ、朝早くからすみません……」
美和はどこか甘やかな雰囲気を纏いながら、しとやかに挨拶をする。
「千草お姉ちゃん、おはよう。……すごくいい匂いだね」
天も爽やかな笑顔を見せる。
「っ……! お、おはようございます……(目を合わせられない)」
そそくさと視線を逸らす千草。そこへ、奥の部屋のドアがガチャリと開き、パジャマ姿の深雪がふらふらと現れた。
その手には、彼女の小柄な体躯よりもはるかに巨大な、モコモコした白フクロウのぬいぐるみが握られている。ズルズルと廊下の床を引きずりながら、小さな手で目をこすっている。低血圧と重度の冷え性で、朝のスリープモード全開の深雪だ。
「……ちぐ姉ぇ……おはよ……。……フクロウさん……一緒にお起きたの……」
ぬいぐるみをぽてんと倒すと、深雪は吸い寄せられるように天の元へ歩み寄り、膝の上へコアラのように抱きついた。
「……てんにぃ……。……充電、して……(すりすり)」
「はいはい、深雪ちゃん、おはよう」
慣れた手つきで深雪の頭を撫でる天。
「〜〜〜っ! み、深雪ちゃん!? 朝からそんなに天さんに甘えて……っ! というかその大きなぬいぐるみは何ですの……!?」
千草が再び赤面して狼狽える。美和はワインレッドとアンバーの異色瞳を悪戯っぽく輝かせ、楽しそうに微笑んだ。
「ふふっ、千草お姉ちゃんったら、そんなに真っ赤になって。深雪ちゃんは朝、こうして天ちゃんに充電してもらわないと動けないのですから……」
美和にそう微笑みかけられ、千草は返す言葉も失ってしまう。朝から繰り広げられる無防備で甘やかな光景に、櫻庭家の姉としての威厳は形無しだった。千草は熱くなった顔を隠すように、丁寧に入れたお茶を「熱っ……!」となりながら一気に煽るのだった。
やがて、全員が食卓についた。
「いただきます」
声を合わせ、和気あいあいとした朝食が始まる。千草の作った料理は、どれも素材の味が引き立つ優しい味わいだ。脂の乗った塩鮭の香ばしさと、ふっくら炊き上がった白米。出汁の効いたお味噌汁が体にじんわりと染み渡る。
「千草お姉ちゃん、お味噌汁のお出汁がすごく優しくて……本当に美味しいわ」
「うん、千草お姉ちゃんの和食は絶品だね。いつもありがとう」
天が深雪の鮭の骨をサッと手際よく取ってやりながら感謝を伝える。
一方、天の膝から椅子へと移動した深雪は、目の前の料理をご機嫌で見つめていた(( ・ิω・ิ)✨)。しかし、出来立てのお味噌汁を一口含んだ瞬間――
「……はふッ……あつッ……!(うるうる)」
重度の猫舌を発動し、涙目になる。すかさず発動するのが、櫻庭家の過保護フォーメーションだ。
「深雪ちゃん、焦らなくていいからね。ほら、フーフーしたから大丈夫だよ」
天が絶妙な息加減で冷ましてやる。
「……てんにぃ、ありがと……(モグモグ)」
「もう、深雪ちゃんたら慌てん坊さんなんですから」と言いつつ、千草が魚の身を優しくほぐして皿に乗せ、美和がすかさずお水を手渡す。
頬に残っていた熱が、ゆっくりと引いていく。
恥ずかしさで遠ざけようとしていた胸の奥が、目の前の穏やかな光景に少しずつ解きほぐされていくようだった。器から立ち上る湯気の向こうで微笑み合う家族の姿に、千草はそっと目を細めた。
第4章:くるくるネバネバの大惨事
その時、天が「あ、そうだ」と何かを思い出したように立ち上がった。
「昨日、取材先でお世話になった農家さんから、すごく上質な手作り納豆をいただいたんだ。すっかり出すのを忘れてたよ」
冷蔵庫から出されてきたのは、経木に包まれた黄金色の藁苞納豆。
「まあ、天ちゃん。香りがすごく豊かで美味しそうね」
小鉢に取り分けられた大粒の納豆に、特製ダレと刻みネギ、カラシが投入される。深雪の目が、瞬時に「狩人」の光を帯びた。
誰からともなく、絶妙なリズムで箸が動き始める。
「「「くるくるネバネバ♪ くるくるネバネバ〜♪」」」
天、美和、深雪の三人が、見事なハモりを披露しながら楽しそうに納豆を混ぜ始めた。
「しっかり空気を混ぜ込んで……」と天。
「白く泡立つくらいまで、ね♪」と美和。
「……くるくる……ネバネバ……。……てんにぃ、みゆきの……すごく糸ひいてる……」と深雪。
楽しげな歌声と、お椀の中で生まれる白い泡。そして、天高くびよ〜んと伸びる無限の白い糸。
その瞬間――千草の顔から、スッと血の気が引いた。
「(な、納豆……!? しかも、あんなに強力にネバネバさせて……っ!?)」
そうなのだ。千草は、あの独特の匂いとネバネバした糸が、大の苦手であった。
普段の洗練された身のこなしは完全に影を潜め、千草は引き気味に体をのけ反らせた。両手を胸の前で固く握りしめ、青ざめた顔でじわじわと身体をのけぞらせていく。
「……ちぐ姉ぇ……? これ、粒が大きくて……すごく美味しいよ……?」
深雪が無邪気に、びよ〜んと糸を引かせた小鉢を差し出してきた。
「ひっ……! み、深雪ちゃん、近いですわ! 糸が……糸が飛び散りますから……っ!」
「千草お姉ちゃん、もしかして納豆苦手だった……? すごく美味しいんだけど……」
天が申し訳なさそうに苦笑いし、美和も「あらあら……千草お姉ちゃん、お顔が青いですわ」と、自分も美味しそうに納豆ご飯を(はむっ)と頬張る。
三人で楽しそうに「くるくるネバネバ♪」と盛り上がる食卓。
一人だけ納豆がダメで輪に入れず、離れた場所で震える千草。
朝の「裸の抱擁」の甘々パニック。
大苦手な納豆の匂いと押し寄せる糸。
情けなさと、そして何より――「大好きなみんなが三人で楽しそうにしていて、自分だけ仲間外れにされている寂しさ」。
すべての感情がキャパシティを超え、ついに千草お姉ちゃんは限界を迎えた。
「ふ、ふえぇ……っ! 天さんも美和も深雪ちゃんも……っ! 私だけ仲間外れにして……ネバネバでイジメますのねぇぇ〜〜〜〜っ!!」
「「「えぇぇぇっ!?」」」
普段の凛とした「櫻庭家のお姉ちゃん」の姿はどこへやら。千草は高級ハンカチを両手で固く握りしめ、ボロロッと大粒の涙を零してギャン泣きし始めた。
「ご、ごめんね千草お姉ちゃん! 仲間外れにするつもりなんて全然なかったんだ! ほら、納豆はもう片付けたから!」
天が大焦りで納豆の鉢にラップをかけ、急いで冷蔵庫へ封印する。
「千草お姉ちゃん、泣かないで……! 悪気があったわけじゃないのよ? ほら、もう納豆はありませんから、ね?」
美和は慌てて千草の肩を抱き寄せ、優しく背中をさすった。深雪も巨大な白フクロウのぬいぐるみを抱え直し、トコトコと寄ってきた。
「……ちぐ姉ぇ……泣かないで……。……みゆきの『フクロウさん』、貸してあげる……」
ぎゅっとぬいぐるみを押し付けられ、天には手際よく新しいお茶を淹れてもらい、美和には背中を優しく撫でられる。
手厚すぎるほどの愛情で包み込まれた千草は、抱きしめたぬいぐるみに顔をうずめながら、ぐすっと鼻を鳴らした。
「ぐすっ……ふえ……ほんとうに……もうネバネバしません……?」
「絶対しないよ! 約束するから!」
天の真剣な言葉に、千草はようやく涙を拭い、照れくさそうに、けれど幸せそうに微笑んだ。
――こうして、櫻庭家の波乱に満ちた夏の朝は賑やかに過ぎて行った。
そしてこの日以来。
櫻庭家の食卓に納豆が上がることは、二度となかったという。
【あとがき】
最後までお読みいただき、誠にありがとうございます。
今回は普段凛として完璧な「櫻庭家のお姉ちゃん」である千草さんが、弟妹たちの無防備な愛の姿にパニックを起こしたり、大苦手なネバネバに追い詰められてギャン泣きしてしまうという、人間味あふれる可憐な姿を描かせていただきました。
プロとしての美学を持ちながらも、家族の温もりに包まれて感情を素直に爆発させる彼女の可愛らしさを、少しでも感じていただけたなら幸いです。
作品を気に入っていただけましたら、ぜひブックマークや作品評価(★★★★★)、温かいご感想をお寄せいただけますと、今後の執筆の大きな励みになります。
また次の物語で、皆様とお会いできるのを楽しみにしております。
天照(Bar風花)




